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星の降る夜にありて  作者: 奈鹿村
第三章 知らない世界
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第八話

 夕刻のチャイムが鳴り、すべての授業が終わる。花宮にとって、ほとんどの授業は既に人間の学校で体験していたものだったが、どれも真新しく思えた。というのも、例えば数学の授業は、確かにこの科目を学習したことがあるが、先生の質問に受け答えする生徒の雰囲気は奇妙だった。先生がする質問対しては、どの生徒も模範解答をまるで暗記しているように答える。数学以外の授業もそうだ。国語も物理も、全て丸暗記のようだ。実際、彼らは暗記しているに違いないのだ。永遠を生きる天使は、この一年を何度も繰り返している。花宮が受けた今日の授業は、彼らにとっては数えきれないほど体験したことがあるものなのだろう。教室は静かで皆落ち着いている。ふざけた生徒はだれもいなかった。授業中、教室で誰の声も響かない瞬間というものがある、そういう時は、空恐ろしい気がする。学校とはいえ、少しの冗談もないなんて。自分の隣に座る少女の横顔に幾度も目をやった。不思議な人、そして少しだけ付き合いのある人。居心地の悪い教室で、彼女の傍にいると、ほんの少し心が安んじた。それは間違いなく自分の弱さだ。


 天使たちが通う希望の丘学園高等学校の敷地はかなり広い。敷地の門を潜ると小さなロータリーがあって、校舎の玄関がむかえる。校舎は大きく長方形に伸びていて、その中に中庭がある。その建物の左右に、校舎に比べると細長い建物が走っていて、これらは連接されている。これらを含めて校舎なのだ。その奥にグラウンドがあって、更に奥に体育館。校舎から体育館までは渡り廊下で繋がっている。グラウンドを囲むような形で、いくつも細長の建物があって、これらは聞くところによると、寮だったり、部活動用の建物らしい。


 そして、敷地にはそういった学校らしい建物の場所と、それより少し小さい面積の場所がある。そこには教会と、それに関連する建物、そして世界樹があるという。


「ここが──」

 花宮から言葉が漏れた。


「そう、今から儀式です」

「なんの……儀式?」

「もう、花宮くん、そういうわかりきったことを聞くのはとても気が利かないことだよ」

「それでももう一度聞きたいんだ。どうするかを決めるために」


 目の前には教会がある。それは荘厳な作りで、外壁の上部、入口の左右に開けられた壁龕には、何をモチーフにしたかわからないが見事な彫像が置かれている。また外壁上部のステンドグラスは色鮮やかだ。三角屋根の青黒い色、その前面の端には、もともと何かしらの装飾が建てられていたのだろうが、下部の一部を残してまるで折られたような形を留めている。


 入口の両扉は閉まっていたが、その脇に普通の戸があった。静玖はそこから中へ入る。


 中にはステンドグラスから漏れた光が差し込んでいる。信徒席が並んでいて、奥にはひろい檀が設けられていて、そこに祭壇と、その後ろにはここに立ち入る者どもが信仰すべき彫像がある。その彫像の威厳と、見事さはとても言葉には言い表せない。全体的にブロンド色だ。彫像の下部は薪だろう。いくつもの刺々しいものが四方に飛び出している。そこから柱が前のめりにあって、その柱に人間がとても苦しそうに体を細いもので幾重にもまきつけられている。その細いのは茨か、鉄条網にも見える。細いものには、小さな棘が沢山あった。だが、この美術的な雰囲気からして茨の縄には違いない、と花宮は思う。


 祭壇近くの信徒席に、一人の修道女が座っている。全身が白衣だ。

 二人はそれに近づく。


 修道女は上背がそれほどなく、小柄だとわかる。丈の長い、装飾のついた頭巾帽子を被っている。帽子から垂れた布は上衣に垂れている。

 うら若い少女だとわかった。彼女は二人の訪問者に気が付くと、立ち上がり、左右に信徒席を分けて設けられた、紅い敷物を敷いた道で相対した。


「よくこられました。星界の眷族らよ」

「はい。この度は星界の意志の定めるところの儀式へ呼んでいただき、この上ない幸いです。……しかし私はこれは初めてで、この儀式の目的は分かっておりますけど、何をどうしたらいいのか全くの不作法です」


 修道女は笑んだ。

「何も難しいことはしませんよ。あなたは役目をこなし、その少年をこちらへやるだけです。そうすれば、その人間は、汚い生き物から、全てを全く超越したものに生まれ変わることができるでしょう」

 花宮は二人の会話を聞いていて、自分がいよいよ後戻りできな一線に望んでいるのだという気がした。

 内心では、戻ろうか、戻るまいかと二つの気持ちがせめぎ合っている。

 修道女がこちらを見た。彼女の髪は淡い金髪で、その目は真っ青だった。優しい表情をしているはずなのに、その視線は厳しいものだった。


 彼女はこちらを見て微笑む。

「大丈夫ですよ。ここへ来る人間はみな緊張しています。今のあなたのようにね。だけど誰も気が付いていないんです。もう既に定まったことだから、ここで何を考えるにしても無意味なのだと」

 はっとした。全てを見通されているような気がした。その表情を汲んだのか、少女は続ける。

「しかし、無意義ではありません。何をどう考えようとも、結局それは、人間が人間として最後に考えた、人間への決別に他ならないのです」

 ゆっくりとそう言って、少女は花宮を見る。静玖もじっと花宮を見ている。

「あの、おれは──」


 突然、少女は少し明るい調子になって、手を叩く。

「さあ! さあ! 全ては無意味と言いました。しかし無意義ではありませんよ。もう一度言いましょう! 結局は、あなたはあなたの汚い、いやらしい部分を軽蔑して足蹴にするに他なりません。絶対に! 本当にね」


 少女は踵を返して祭壇へ向かおうとする。振り返り、花宮を手招きする。花宮はつられて、つい数歩すすんだが足をとめた。何か言おうとした花宮を、静玖が促す。

「さあ、行って。私たちの仲間になって……。すべてはもう、そう定まった。私があなたを迎えに行ったときには既にね」

「でも」

「あなたは私につられてここまで来た。それがあなたの感情の答え。理屈も、感情も、すべてはもう定まった。最後はあなたの決によって」


 花宮の内心はぐちゃぐちゃになっている。もはや現状の流れに異存を唱えるのが精一杯で、人間であるとか、天使の不死性がどうとかは、どこか見えないところに隠れてしまった。ともかく、何かが違うと心で叫ぶ。叫びながら、この神聖な聖堂の雰囲気に圧倒されてしまっている。目の前で自分をまつ修道女は、抗いがたい神聖な運命の導きのように思えて他ならない。


 実際、自分に差し出されたあの手が導くままにすれば、自分は全てを超越できる。


 花宮は呆然としながら進んだ。修道女は祭壇の前に立ち、両手を広げて花宮を迎える。花宮が小さな彼女の前に立つと、彼女は広げた手の片方をほんの少し動かす。花宮の意志とは違って、足が屈した。


 少女は花宮に優し気な言葉を駆ける。

「不安があるの?」


 花宮は答えない。花宮は母親のことを考えていた。あの時、母親にあればいいと思った天使の不死性。それがもうすぐ手に入るのだ。母親はもういない、もうそれを手に入れる必要はないのだ。それでも無性にあの時の光景が蘇る。ベッドに横たわる母、その手を握る自分、あればいいのにという願望。思えば思うほど、それ欲しさに心が焦がれている。なぜかはわからないけど、不老不死が欲しくて欲しくてたまらなかった。ここでその機会を手放すのが、惜しくて仕方がなかった。


 くすり、と少女が笑う。花宮は跪いていて、力なく、顔を上げることができない。ステンドグラスから漏れる光が周囲を照らしている。紅い敷物に、華やかな光がぼうっと投じられている。


 ほんの小さな声で少女が言った。

「あなたのひいおじいさんも、きっとお悦びになる」


 その言葉を聞いて、花宮は体を震わせた。声が出ない。


「この儀式が終われば、見にいってごらんなさい」

 少女が言い終わると、花宮の頭に彼女の両手が触れた。

 心臓の音が高鳴り、体が汗ばむ。呼吸を押さえようとしても、上手くできているかわからない。何も考えられない。


 しばらくして少女が言う。

「さあ、終わったよ」


 花宮はしばらく動けない。少しして、ゆっくりと振り仰ぐと、少女はどこか得意げな顔をしていて、少し仰いで背後の彫像を見ていた。


 少女の目だけが眼下の花宮にやられる。

「ようこそ。天使になった気分はいかがかな?」

 そう言った少女の顔は、何か含みがあるように口許を歪めていた。

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