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星の降る夜にありて  作者: 奈鹿村
第二章 訪問者
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第三話

 マンションの前に黒の高級車が止まっている。静玖が運転して向かうらしい。


「意外?」

 車が動き始めると、静玖が聞いた。

「……はい。天使様が車を運転なさるなんて、思いもしませんでした」

 おかしいわ、という風に静玖は笑う。

「天使様だなんて、仰々しいよ。私のことは静玖って呼んで」

 そう言われても、とてもそんな気分にはならなかった。取って食われる、そんな気さえ未だにしているのに。それでも、はいと言うしかなかった。


 街は朝の人々の移動により、それなりの数の人がいた。


「それでどこへ向かうんですか?」

「だめ、もっと軽々しく聞いて。あ、そうだ。私たち友達になりましょうよ」

 静玖の口調はからかう風だったが、表情からは感情を読み取れない。

「どこへ、向かうの?」

「私たちの学校だよ。まずは転入手続きを済ませなくちゃ。それから、あなたのお家でしょ? それで、教科書とか、筆記用具とか、色々と準備があるでしょ? それで──」

 花宮はつい遮った。

「家って?」

「だってこんな所にはもう住んでいられないでしょ?」

「おれは引っ越しなんて──! それに、まだ天使になるとも」


 静玖がこちらを向いて首を傾げた。車は進んでいる。花宮はつい叫んだ。

「前! 前!」


 静玖はゆったりと前を向いたが、丁度車が歩道に乗り上げた時だった。ボンネットに人が乗せられ、横に弾き飛んだ。


 うわあ、と花宮は叫んで顔を腕で覆う。車は止まらずに走り続ける。外からは人の悲鳴が聞こえ、車にものがぶつかる音が何度もする。ボンネットからは重たい音が数度聞こえてきた。

 声にならない声を上げながら顔を上げると、フロントガラスには血の跡が生々しく残っている。


「車止めて!」

 静玖は不思議そうにした。

「何か用事? でも、早くいかないと」

「人を轢いただろ!?」

 言って、花宮は後ろを振り向いて、車の後ろの様子を見る。


「え?」

 不思議に思う静玖の声がして、花宮は静玖を見る。彼女は動じた様子をみじんも見せずに、少し前と同じ様子で運転していた。花宮はぞっとした気分になった。


「人が……」

 静玖が平然な顔で少し唸って、

「あ、そうか。花宮くん、ちょっと驚いてるんだね」

 静玖は納得したような顔をして頷いていた。

「人が死んだかも、しれないのに」

 花宮が呟く。その間も車は何度も信号を無視して進んでいる。

「死んだと思うよ。結構いたそうだったし。──わからないけど」

 静玖はちらりと視線を寄越す。

「人間は周りの人が死んだら悲しくなる生き物だったね。謝ります。私、そういう感情をもうずっと前に忘れてしまっているの」


 花宮の頭には、人が車にぶつかる音、フロントガラスから横に滑り落ちていく人の背中が思い起こされた。今は何にもまして泣きたかったから、頭を伏せて泣いた。



 しばらくすると前に城壁が現れた。それは天使たちの住む場所と、人間が住む場所を分ける壁だ。この中へ入ったことはない。城壁は厚く厳然と立つ。道路の先に城門が見えてきた。城門は普段から開かれていることを、花宮は知っている。不埒な侵入者などいないのだ。誰もが壁の向こう側を畏怖している。車が門の下を通り過ぎた。


「さあ、城内へ入りますよ」


 この城壁の内を、依月城と呼ぶ。城とは言うが、その実かなり広い。都市の区画としての側面の方が強い。この壁の外側を、人間たちが住む旧市街と呼んだ。旧市街は閑静な住宅街から、商業地区、畑まで多様な雰囲気がある。この中に、かつての古代都市の廃墟地区が存在する。


 城門からしばらくは何もない空き地が広がっていた。すると閑静な住宅地が見えてきた。平屋の大きな家と前庭。それらが小さな塀や垣根で囲まれている。綺麗なところだけど、旧市街の人間たちの綺麗な場所と比較すれば、そう格段の差があるとは思えない。


 そういう花宮の心中を盗み見たように、静玖は言う。

「案外、普通なところでしょ?」

 車のフロントガラスには血糊がべったりと付いている。焦燥しながら、花宮が答える。

「……はい」

「うん、すぐに元気が出ると思うよ。──ほら、もうすぐ学校につく」


 住宅地を抜け、人通りが極端に少ない街に入り、丘を登った先に、白い塀に囲まれた敷地が見えた。


「あれが希望の丘学園高等学校。花宮くんが明日から通う学校で、私が、私たちが通う学校でもあるよ」


 鉄門を抜けると建物があって、その手前に小さなロータリーがある。

「よし、行こう」

 花宮は静玖に続いて降りた。

「うっ」

 つい唸ったのは、車横に血が伸びていたから。車の正面はぼこぼこで、ボンネットはたわんでいる。そのへこみは人の背中の跡に見えるし、実際そうなのだろうと思う。そこに血が付いているから。

 ──なんでこんなことに。花宮は吐きそうになった。


「さあ、こんなところで止まっていても仕方がないじゃない」

 校舎に入ると下駄箱が見えた。人間の学校と造りは変わらないのだろうか。


「靴を脱ぐ必要はないよ。ここはもう何百年も使ってないの」

 廊下を歩いていると、向こうから制服を着た少女が現れた。

「あれ、静玖じゃん。っていうか、何で正装?」

「おはよう、智花。今日は学校は休みだよ。」

「部活なんだよ。会議してた」

 少女は言い終えると、花宮を見て首を傾げた。指で顎を支えながら、花宮の周りを訝しむように歩いた。

「この人間は?」


「転入生だよ」

 その言葉に、智花と呼ばれた少女はとても驚いたらしかった。

「えっ! 転入生がくるの!?」

「もうずっと前から言ってたでしょ? どうせ聞いてなかったんだと思うけど」

「初耳だよう」言いながら、智花は花見を見る。「で、こいつねぇ」

「じゃ、私たちもう行くから。花宮くんの手続きをしに職員室に行かないと」

「あ、そう! じゃ!」

 彼女は手を振りながら玄関へ向かった。


「君も部活に入った方がいいよ。高校生活はそうした方が、楽しいからねえ。あ、そいうえば花宮くんは前の学校では何か部活動をしていたの?」

「パソコン部でした」

「あ、そう。この学校にもパソコン部があるよ。学園都市の管理センターは彼らが仕切ってるの」

 建物には中庭があって、周囲の廊下は庭に面した方は壁がない。二人はそこを通り過ぎようとしている。

「パソコン部って、根暗なやつっていうイメージがあるでしょ? 私もそう思う。でも、今の彼らってなんだか色々とすごいみたい。人間一人ひとりの個人データを収集してるから、政治思想から性的趣向までなんでもわかるんだってさ。私も自分の活動で彼らを頼みにすることがあるよ!」

 花宮は彼女の言っていることがあまり理解できなかった。

「……そう、なんですか」

「あ、また仰々しい。私たちもう友達でしょ?」

「……」


 職員室と掛かれたカードが掲げられた部屋が見えた。静玖は中に入らず、壁に作られた受付窓に向いた。作業用の小さな机が張り出している。彼女は窓を上に開け、転入生を連れてきました、と言った。

 上に引き上げられた窓の向こうに、金髪の、小柄な女が現れた。


「はいよ」そう言って、女は花宮を睨みつける。「こいつは……ああ、あったあった。花宮一也ね」

 花宮から彼女の手元は見えないが、彼女は何かしらの書類を手元からよけたようで、何か別のものを引き取って書いている。

「じゃあ、これに書いて。いくつか丸つけたとこあるでしょ。そこ埋めるだけでいいから」

 紙はいくつも書きこめる場所があったが、彼女が丸を付けたのは上のほんの少しの部分だけだった。名前と、住所と、年齢。

「紹介するね。先生の立花先生。私と花宮くんの担任でもあるね」

「よろしくう」

 気だるそうな声で、女が言った。花宮はおずおずと挨拶する。

「よろしくおねがいします」


「ほら、さっさと書いて書いて」

 花宮が書き終わると、立花がそれを受け取った。そうして目の前でくしゃくしゃに丸めると、自分の足元のゴミ箱にすてたらしかった。


 立花が花宮を見る。

「実際さ、こんなのは形式なんだよ。君はここで私と会って、これを書いたってことにして終わりなんだ。実際の処理っていうのはもう他で済んでるからね」

 そう言って、彼女はタバコを吸い始めた。


「先生、校内禁煙ですよ!」

「うるせーなぁー。ほら、さっさと帰れ。なんだかんだいっても、私はこいつらのことで仕事があるんだよ。──あ、教会の方にも顔をださせろよ」

「わかっています。明日、放課後にそうしようかと思います」

 窓が降ろされた。


「じゃあ、君の住む家を紹介するね」

 二人が歩き始めて少して、静玖が言った。その時、背後の小窓が開く音がした。立花が窓の向こう側で、こちらに顔が見えるように身を曲げていた。

「あ、言い忘れてた! ……少年、天使にようこそ」


 最期の言葉はひどく真剣みがあるように聞こえた。花宮は小さく身震いする。静玖は表情のない顔でじっと向こうを見つめている。

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