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星の降る夜にありて  作者: 奈鹿村
第一章 序の巻
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第一話

 人々の苦しみと絶望に満ちた声が上がる。それは各々に上げられ、だけれども絶えることがないから、まるで合唱の様に響いた。人々の顔に汗が垂れる。この苦しさと辛さは、一体どうした訳だろう。彼らの自問は、それを強いるものには顧みられない。

 鈍色の曇り空だった。地面より高く設えられた、車が走るためだけの古代道路。その道路の下、周囲には古代の廃墟が広がっていた。人の手を離れてもうずっとたったそれらの遺構は、朽ちるに任され、光を失っていた。暗がりに飲み込まれた街の跡。


 古代人の道路跡を利用して、陵墓まで続く道としたのだ。運ばれているのは、大きい四角い石とか、コンクリートの塊だった。それらは太い綱で巻かれ、大勢の人によって引っ張られている。その長い行列の中ほどが、古代道路の地面からの進入路を登り切り、主たる広々とした道路と合流したところである。運んでいる者らは、子供がいないのを除けば、男と女、若人と老人の区別もない。


 一人の男が綱から手を離した。

「もうむりだ! 手が擦りむけてなんにも持てねぇ!」

 叫びながら、赤くなった手を掲げる。そうして、背後を振り返り、監督する者を探した。その人間もこちらを見ていることに気が付いた。人の間をぬい、その人の前で跪いた。媚びる様な顔をしながら、自分の赤い手を捧げるように掲げた。


 監督者は一切の感情を見せずに、男を見下ろした。その間も周囲から苦痛の声は上がり続けている。彼らの誰も、跪く男の光景を気にしない。

「もう家に帰してくれよう! 俺はもう使い物にならない!」

 だって、ほら、とでもいうように、男は自分の手を見る。


 監督者は腰に佩いた剣を抜く。男が悲鳴を上げて、尻もちをついて後ずさった。彼はためらいなく男の首元に剣を突き立てた。そのすぐ前を、綱引く人々の列が通り過ぎている。


 監督する兵士は叫んだ。

「さあ! 奴隷ども、天使様の為に働け! 叫べ、泣け!」

 男はめいっぱい叫ぶ。

「お前たちがあの御方の安楽のための、石垣ひとつを運ぶために死ねるなら、それ以上の本望はあるまい! 天使様に、万歳、万歳、万々歳! 我らが天使様の中の天使様に、いと美しき、あのお方に、万歳、万歳、万々々々々々歳!」

 言って、男が剣を天に掲げた。


 道路のすぐ脇には、地面から高く聳えたビルの廃墟がこちらを見下ろしている。それは朽ちた様で、先の方は崩れ、中の作りをさらけ出していた。暗闇がそこにもあった。


 この道の先にはある天使様の陵墓があるらしい、とこの場の人間は知っていた。この石やらは、そのための基礎となるのだという。だが天使は不老不死、なぜ墓がいるのだろうか。一体いつ、その中へ入るつもりなのだろうか。

 彼らは知らない。この先にあるのは、ある天使がこの世の快楽と美の全てを集めて、そこに浸り、耽るために作ろうとしている、御殿なのだ。陵墓と呼ばれるのは、その天使が、そこで死ぬからと、気楽に吹聴しているからそう呼ばれているに過ぎない。天使は不老不死、老いることはないし、切り刻まれても死ぬことはないのに。全てがただの道楽だった。 


 上がり続ける怨嗟と苦痛の声はが、それとは誰も気づかないうちに、頂点に達した。

(もう限界だ!)

 一人の男が内心で叫ぶ。気が付くが早いか列から抜け出していた。男は地面にへたり込んでしまう。目を上げると、兵士がこちらを見つけたようだ。こちらへ近づいてくる。


 もういっそ死にたい、と思った瞬間、男の中で何かが弾けた。それは恐怖や絶望を感じなくさせてくれた。薄っぺらい空元気が、男に満ちたのだ。男は勇を鼓して、震える足を立たせると、傍の石に触れた。石の胴にまかれた綱に足をかけ、登る。

 今度は流石に周囲も度肝を抜かれたようで、それを目にした者らがうめき声を止めた。それはまるで水面に石を打つように周囲に広がっていく。男が石の上で両手を広げ呼吸をする。手は震え、汗は止まらない、だけれども全てが気持ちよく幸運な気がした。この空も、今は美しい。顔を向ければ、雲間から差し込んだ淡い光がビルをぼんやりと照らしている。それが何というわけでもなく、ただ心休まる光景に思えた。


「どけ!」

 兵士が人を押しのけながら近づいてきた。男が叫ぶ。

「みんな、もう辞めにしよう! もう無理なんだ! 俺たちはもう、よくやったよ!」

 一人の兵士が石に張り付いた。男がしたように、綱に足をかけて登ろうとする。

「もうやめよう! 俺たちは奴隷なんかじゃないんだよ! 家に帰ろう!」


 兵士が石の上に頭を出した。兵士はこの事態に焦燥の色を顔に映している。男がその顔を蹴りつけた。周囲にどよめきが走り、悲鳴とも応援ともつかない声が上がる。兵士は地面に落ちた。

「俺と一緒に、家に帰ろう!」

 男が言うと、今度は間違いなく歓声が上がった。男の下で立ち上がろうとしていた兵士を、周囲の人間が拳で打ち付けた。それを見ていた別の兵士が剣を抜こうとすると、その傍の人間が兵士に襲い掛かった。


 とうとうこの圧政に対して反乱が起こったのだ。先ほどのうめき声とは打って変わって、全てを奮い起こすような叫び声が、はちきれんばかりに上げられた。それは踏みにじられてきた者たちが、今までに上げさせられてきた慟哭の裏返しだった。



 西暦5498年、旧市街で反乱が起きる。天使・四条紫音の大陵墓建設に携わった人間たちの不満が極度に達したのだ。初め古代の廃墟にあった労働者から始まった天使たちへの反乱は、すぐに旧市街全体に広がった。


 最初に一人の人間が声を上げて反乱を起こしたのち、それに呼応して四人の人間が立った。反乱者たちは彼ら五人を首領格として担ぎ上げ、五王と呼んだ。その内の最初に立ち上がった一人を、人間たちは王の中の王として、原始時代の称号である「大統領」と呼び、五王筆頭とした。それはまだ世界が広く、海に囲まれていた時代、人が地に足を着けていた時代、その時代にひとつの理想を導いたものの称号だった。反乱者たちは民主主義という古代の理念を復活させようとした。

 同年、冬の時、反乱から三日後。事態を重く見た天使たちは「依月城」内から十数人の天使を降臨させた。


 反乱軍は彼らに制せられ瓦解する。市街地は炎が立ち、建物は崩れた。泣き叫ぶ人の声と逃げまどう人の怒号。算を乱して、大路を行く人間たちの集団の前には天使が立ちはだかり、それを受けて動揺した人間の塊には空から火球が撃ち込まれた。彼らが小路に逃げ込めば、天使は周囲の家屋を破壊して逃げまどう者どもを、その下敷きにした。彼らの破壊と殺戮には分別はなかった。


 大統領は捕えられ、四王は殺された。後世に由縁一切を残さぬようにと、彼らの死に様は徹底的で、それを伝え聞くものに恐怖と挫けを与えるものとされた。

 大統領を僭称した人間は天使たちの聖域の奥へと連れさられた。人間たちが後になって聞いたのは、その者は永遠の恥を身に受けながら、犯した罪悪の償いをしてゆくのだろうということだった。


 ──それから四十五年がたった後のこと。

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