回帰した召喚聖女と偏屈な辺境伯との契約結婚 〜かつての夫である皇帝とは絶対結婚しません〜
くそったれ。
今の気持ちは、まさにそれだ。この状況にも、これまでこの言葉を使わずに生きてきたことに対しても、くそったれと思う。
「いい加減、自分の罪を認めたらどうだ。そうすれば、せめて死後の世界では、神の慈悲もあるかもしれないぞ、魔女」
醜く歪んだ顔でそう言ったのは、わたしの夫で、わたしが召喚された国の皇帝をしている男だ。わたしに無実の罪を着せた張本人。わたしには何の罪もないってことは、誰よりもよくわかってるはずなのに。
かつては聖女なんて持ち上げられて喜んで、結婚したこの男の顔がいい、とか、夫婦として仲良くなりたいと考えてたことがあった。今はそう考えたことがある自分にも死ぬほど腹が立つ。
「わたしの罪は、お前みたいな男と結婚したことだけなんだよ! くそったれ!!」
死ぬ間際になってようやく言いたいことが言えた。ほんとはつばでも吐きかけてやりたいんだけど、ちょっと距離が遠すぎるので、罵声を浴びせるに留めた。
それを聞いた皇帝は少し意外そうな顔をした。わたしはこれまでずっと、なんとか皇后としてうまくやろうと大人しくしていたから、きっとこんな風にののしることが意外だったんだろう。
でも、この状況になって、そんなことしても本当は意味がない。
皇帝がちょっと前から、わたしと結婚する前に良い感じだった女と公然といちゃいちゃし始めたのは、もちろん知ってた。でもさ、まあそこまで目くじらたてても角が立つだろうと思って我慢してたんだよね。
そしたら、そのうち皇帝は、わたしが宝石を買うために公金を横領したとか、敵と通じたとか、考えもしなかったような罪をわたしに押し付けて、わたしの処刑許可書にサインした。
そして、今まさに、わたしは火あぶりにされそうになっている。
「なら、お前は死後も己の罪によって苦しみ続けるがいい」
皇帝は、処刑の見物に集まった民衆に、演劇がかった調子で言うと、右手をさっと上げた。その合図で、わたしの足元含め、周囲に積み上げられている薪に火がつけられる。
薪はしけっているのか、すぐには燃え上がらなかった。煙ばかりが出て、苦しい。
そのうち、だんだん熱さがやってきて、自分の肉が焼けているのがわかった。
熱い。苦しい。自然と涙が出てくる。どうして、わたしがこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。なんで、皇帝じゃなくて、わたしが火あぶりになってるんだろう。
悔しい。苦しい。まだ死にたくない!
こうして、しけった薪によって無駄に苦しむ時間を長引かせられて、わたしは、悔しさと憎しみと苦しみのうちに、死んだはずだった。
***
「聖女さま、起きてください」
誰かにそう声をかけられている。
目を開くと、ベッドの脇にはクリスがいた。わたし付の侍女で、そのために半年前に死んだ子だ。かわいい茶色の巻き毛をコイフの下に押し込んでいる。
「クリス。そうか、わたしは死後の世界にいるんだね」
死んだ後にクリスと会えるなら、死後の世界もそんなに悪いものじゃない。そう思っていたが、クリスに怪訝そうな顔をされた。
「死後の世界? なんの話ですか?」
そう言われたので、わたしの方も不思議に思って、ベッドから起き上がると、見覚えのある場所だった。
召喚されてすぐから、結婚するまで、わたしを養女にしてかわいがってくれたロクフォール公爵の邸だった。
わたしは戸惑った。火あぶりにされて殺されたとおもったのに、本当はそうではなかったのかな。クリスの言葉を聞いたら、その混乱はさらに深まった。
「聖女さまは、昨日こちらの世界にいらっしゃったばかりですものね。慣れないことがたくさんおありでしょ。だから、戸惑われるのも無理ないです」
昨日、この世界に来た? どういうことだろう。わたしは五年も前にこの世界に来たはずなのに。
ふと思い立って、わたしはクリスに聞いてみた。
「ねえクリス。今って皇国歴何年だった?」
かつて、この大陸全土を支配していたというメレル帝国が滅びてから、もはや五百年余りが経っている。それでも、未だに大陸中の各国はメレル帝国の暦を使用していた。
「え? 今ですか? 九二七年ですが?」
やっぱり。わたしは目を強くつむった。わたしが召喚された年だ。
確かによく見れば、クリスも若く見える。
わたしは、なぜだか、召喚された翌日に回帰したんだ。
***
「聖女のお披露目パーティーをしなければならないな」
ロクフォール公爵は、にこにこわたしを見ながら言った。わたしがここにいることが本当に嬉しそうだ。
わたしが過去に戻って、既に三日が過ぎた。その間、以前体験したことと同じことが起きている。
召喚された聖女のわたしは、すぐにこの国の有力貴族であるロクフォール公爵が養女として、後見してくれるようになった。
そして、召喚されて十日後に、わたしをこの国の有力者に紹介するためのパーティーを開いてくれたのだ。
「それは、素晴らしいお考えですね」
隣の公爵夫人も、同じように、にこにこしている。回帰前から思っていたけど、二人は、本当にいい夫婦だ。
でも、わたしはこの状況に対する危機感を持っていた。
わたしが皇帝と結婚したのは、召喚されてから八ヶ月後だった。このままいけば、わたしはまた八ヶ月後に皇帝と結婚することになるだろう。
それは避けなければならない。
かつてメレル帝国では、五十~百年に一度の割合で、聖女を召喚していたらしい。わたしの前の最後の聖女は帝国崩壊直前に召喚された聖女で、六百年程前に召喚されたのだとか。
帝国崩壊とともに、聖女の召喚方法もわからなくなったと思われていた。しかし、つい最近、聖女召喚方法が記された文献が見つかったのだ。そこで、帝国の後継国家を自認するこの国で召喚の儀が試されて、わたしが召喚されてここに来た、ということだったはず。
とはいえ、聖女が何か特別な力があるとか、そういうことはないようだ。メレル帝国では、聖女はただ、そこに存在するだけで臣民からの支持を集めていたのだそうだ。
そして、この国では聖女召喚を主導し、国一番の勢力を持つロクフォール公爵の養女になった。公爵も公爵一家も本当にいい人で、嫁いでからは何度、公爵家に逃げ帰りたいと思ったかわからない。
今度こそ、皇帝とは結婚しない人生を進んで、絶対に皇帝に復讐してやるんだから!
***
「聖女よ、どうかわたしと結婚してくれませんか?」
おかしい、回帰前はこんな展開じゃなかったのに。なぜか皇帝がわたしの前に跪いている。
ロクフォール公爵は、やっぱりわたしのためにお披露目パーティーを開いてくれた。その席上で、今世では初めて会ったはずの皇帝に、わたしはプロポーズされている。
回帰前の皇帝が、わたしにプロポーズしたのは、お披露目パーティーよりもずっと後の召喚から三か月くらい過ぎたころのことだったのに。
回帰前のわたしは、だれかに好かれるっていう経験がほとんどなかった。わたしの両親はいわゆる毒親っていうやつで、ふだんは全然かまわないのに、気に障ることがあると、わたしのことを殴ったりしていた。もちろん命に係わるほどのものではなかったけれど、その分、学校の先生にも見ないふりをされていたと思う。そういうことに関わるのってめんどくさいからね。
家がそんなだから、学校でも周りとどう接していいかわからなくて、まだ仲良くない子に変になれなれしくしちゃったりとか、逆に話しかけることができなくて、遠くからクラスメイトが楽しそうに話してるのを眺めたりするしかできなかった。
学校では別にいじめられてたわけじゃない。ただ、ひんやりいないものにされていたというか。無視されていたわけじゃない。話しかければ答えてはもらえてた。でも決して向こうから話しかけられることはなかった、というだけ。
家族ともクラスメイトともいい関係を築けなかったわたしは、この世界に召喚されて、あなたは聖女で、必要なんですって言われて、舞い上がった。
そして、一番舞い上がったのが、このときだった。この国の皇帝にプロポーズされたとき。誰にも好かれなかったわたしが、若くて容姿のいい皇帝にプロポーズされるなんて、そんなことってあるんだって思って。
そして、簡単に恋に落ちた。
でも、今のわたしは知っている。これは地獄の入口だと。
回帰前に皇帝と出会ったとき、なんてかっこいい人なんだと思ったけど、今は違う。嫌悪感しかない。顔も見たくない。本当に大嫌い。
わたしは跪く彼に対して顔をそむけた。周りがざわつく。
ロクフォール公爵も戸惑った顔で言った。
「どうしたんだ?」
それに対して、わたしは何も答えることができなかった。
でも、そのとき、一人の男が現れた。
「申し訳ありません。聖女さまには、わたしが先に結婚を申し込んでいたのです」
パーティー出席者の多くは、あっけにとられている。ムルシア辺境伯だ。彼は、自身の領地に籠っていて、ほとんど都にはやってこない。しかし、彼の美貌と、先祖代々、魔物と人間の地の境界を守る武勇は、都にまで聞こえていた。
偏屈だと噂高いムルシア辺境伯は、例え都にいたとしても、ふだんは社交の場には顔を出さない。それが、こんなパーティーにやってきて、突然結婚宣言するのだから、周りは当然驚くだろう。
彼の姿にわたしも驚いて瞬きした。まさか、彼が本当に来てくれるなんて。
周囲はざわつきを通りこしてどよめいている。
「ムルシア辺境伯」
思わずつぶやくと、彼はわたしに向かって言った。彼なりに精一杯優しい口調を心がけているような声だった。
「エリックと呼んでくれと言ったはずだ。おれたちは結婚するんだから」
わたしは嬉しくて、ひざまずく皇帝に目もくれず、エリックのもとに走った。
「来て下さったんですね」
「もちろんだ」
***
三日前、わたしはムルシア辺境伯の邸を訪れていた。皇帝との結婚を避ける、もっとも確実な方法は、別の男と結婚することだと考えたからだ。
「契約結婚?」
わたしが、ムルシア辺境伯に結婚を申し込むと、彼は不審そうな声を上げた。
「はい。わたしたち、五年間、表向きだけの夫婦になりませんか?」
わたしが、契約結婚の相手にムルシア辺境伯を選んだのには、三つの理由がある。
第一に、回帰前、ムルシア辺境伯は女嫌いで知られていた。理由は知らないが、顔のいい男は、それはそれでいろいろな悩みがあったんだろう。女にもてすぎて困るみたいな。だから、表向きだけの結婚も受け入れてもらえる余地があると思ったのだ。わたしだって、男はもう信頼できないでいるから。
第二に、実は彼の死が、間接的にわたしが処刑されることにつながったのだ。武勇に優れたムルシア辺境伯の名声は、この国だけでなく、魔物の国にも知られていたらしい。彼が流行り病で死ぬと、魔物たちはこの国への侵攻を開始した。
でも結果としてそれは皇帝にとっては有利に働いた。
この国の貴族は主に、わたしの世話をしてくれたロクフォール公爵派と、皇帝派に別れていた。しかし、わたしが召喚された頃、ロクフォール公爵の勢力は、皇帝派を凌いでいたのだ。だから、ロクフォール公爵派と融和を図るために、皇帝は幼い頃からの恋人がいるにもかかわらず、ロクフォール公爵が後見する聖女であるところのわたしと結婚せざるをえなかったのだ。
しかし、ムルシア辺境伯の死に勢いづいた魔物を討伐することを命じられたのは皇帝派の貴族で、皇帝の恋人の兄だった。彼は、彼自身も知らなかったことだが、卓抜した戦略・戦術家だったらしく、あっという間に魔物を退けてしまった。
彼の名声が高まったことによって、貴族間の勢力図も大きく変わった。ロクフォール公爵派の勢力は大きく後退した。だから、皇帝はロクフォール公爵派の聖女であるわたしと結婚を続ける必要がなくなったのだ。それが皇帝がわたしを処刑した理由である。
つまり、皇帝に復讐するためにはムルシア辺境伯を殺してはだめだ。彼が死なないようにしないといけない。ムルシア辺境伯の死後、しばらくして、致死率の高かった流行り病の治療法が見つかって、病の死者は大きく減った。
その治療法は覚えている。彼のそばにいて、ムルシア辺境伯が死なないようにしなければいけない。
第三に、わたしは辺境に行きたかった。宮中での生活は息が詰まることの連続で、耐えがたかった。復讐するにしても、しばらく皇帝の顔を見ずに過ごしたかった。
でも、わたしの提案にムルシア辺境伯は眉間に皺を寄せた。
「そんなことをしておれに何のメリットがあるんだ?」
ばかばかしいと辺境伯はわたしに背を向けた。時間の無駄だとでも言いたげに。あなたが死なないようにしてあげます! と言いたかったけど、回帰前の知識をもとに、あなたはもうすぐ死にますなんて言ったら、それこそ追い返されそうだ。だから、わたしはあわてて、その後ろ姿に声をかけた。
「あなたが探しているものの行方を、わたしは知っています」
「なに?」
彼は顔だけ振り向いた。
「あなたが探しているのは、この家の家宝ですよね」
言うと、ムルシア辺境伯は勢いよく振り向くと、わたしに大股で近寄ってきた。
そう。彼が辺境からわざわざ都に来たのも家宝を、見つけるためだ。
「なぜ、それを知っている!」
「それは言えません。でも、もしわたしとの契約結婚を承認してくださったら、わたしが知っていることをすべてお話します」
「お前の望みはなんなのだ」
ムルシア辺境伯は歯ぎしりせんばかりだ。
「ですから五年間の契約結婚です。そして、結婚したら、わたしを領地に連れて行ってくださること。望むことはそれだけです。もちろん、離婚の際に財産を分与しろなどとは申しません。結婚したときに、持ち込んだものだけを持って、わたしは辺境伯のもとを去ります」
ムルシア辺境伯は、疑わしげな顔で、わたしを見つめた。わたしの方も、わたしの意志が伝わるように、目をそらさず彼を見つめ返す。
さきに背けたのは、彼の方だった。
「しばらく、考えてみよう」
***
彼はそう言ったきり、わたしに連絡をしてこなかった。でも、今、彼はもっとも大事な局面で、わたしの提案を受け入れるという答えをくれた。
皇帝を見ると、悔しそうな顔をしている。当然だ。彼はここで聖女と結婚しなければ、苦しい立場に立たされることになる。ロクフォール公爵の派閥を味方に引き入れるために、ここ数年間、皇帝は様々な努力をしてきた。
それでもなびかなかったロクフォール公爵を、引き入れるための最後の手段、それが聖女との結婚なのだ。
彼は悔しくてたまらなかったに違いない。好きな女と結婚できない自分の無力さを呪ったに違いない。そんな悔しさを抑えてまで、皇帝は自分の立場を守るために、わたしに結婚を申し込んだのだ。
それなのに、わたしはほかの男と結婚するという。
皇帝は、普段、いつも冷静ぶった仮面をかぶっていたのに、それさえもできなくなるくらい、真っ赤な顔で悔しそうにしている。
その顔を見て、わたしは気分がよかった。だって、あれ以来一秒たりとも忘れたことなんてない。
炎の向こうから、わたしを嘲笑っていた、あの顔を。
悔しがれ。悔しがれ。仮面が剥がれて、醜い性根が隠せなくなるくらい悔しがれ。
心の中で、彼を嘲笑ってみせる。
「わたしは認めないぞ!」
立ち上がった皇帝が叫んだ。あの必死な顔を見ていると、胸がすく心地がするけれど、それでもやっぱり、あの男が大嫌いで、顔も見たくないとも思ってしまう。
わたしは、ロクフォール公爵に向かって言った。
「お養父さま。お養父さまは先日、わたしに好きな男と結婚すればいいとおっしゃってくださいましたよね」
「あ、ああ」
ロクフォール公爵にも、ムルシア辺境伯と結婚したいということは言っていなかったので、公爵はすごく驚いている。
「だから、わたし、ムルシア辺境伯と結婚することにしました。認めて下さいますよね?」
初めは驚いていたロクフォール公爵も、状況を咀嚼すると、すぐに温かい笑顔を浮かべてくれた。
「もちろんだとも」
「ロクフォール公爵!」
皇帝が叫んでいるが、ロクフォール公爵には、皇帝の命令に従わなければならない道理もない。むしろ皇帝が叫べば叫ぶほどに、彼は皇帝という地位に就いてはいても、実質的な権力という面では公爵に及んでいないということが、露呈するばかりだ。
ざまあみろ、と思う一方で、ちょっと反省もする。
回帰前、わたしが皇帝のプロポーズを受け入れたばっかりに、ロクフォール公爵は我慢を強いられることになったのだろう。ロクフォール公爵はとても責任感の強い人だから、一度養女にして面倒をみると決めたわたしが、皇帝と結婚していたばっかりに、皇帝に対して譲歩を迫られることも多かったに違いない。
今度こそ、ロクフォール公爵にはそういう思いをさせずにすむことも、嬉しかった。
わたしはまだなにか叫んでいる皇帝をそのままに、エリックに近づいた。彼も、わたしに近寄ってくれる。
彼が差し出した手を握ったとき、何かがわたしの手を通って体全体を走り抜けた気がした。彼の見開いた目を見ると、彼も同じものを感じたのかもしれない。
わたしたちはざわめく人々でいっぱいのパーティー会場を抜け出そうと、廊下につながる扉をふたり一緒にくぐり抜けた。
わたしたちの契約結婚は、ここから始まるのだ。
活動報告にクリス視点の番外編のようなものを載せました。よろしければご覧ください。