駄作機 重爆撃機B29
名機だった機体が駄作機になってしまった歴史を題材とした架空戦記です。
さて、軍用機には名機と呼ばれる機体はたくさんあります。
それとは逆に駄作機と呼ばれる機体もあります。
駄作機のひとつ、アメリカ合衆国陸軍航空隊の重爆撃機B29を知っている人は、手を上げてください。
いち、にい、さん……手を上げてくださったのは数人ですね。
ほとんどの人がB29を知らないので、本当にマイナーな機体ということになります。
B29を知っている数人の方には退屈な話になるでしょうが、駄作機B29について歩きながら話させていただきます。
B29は第二次世界大戦中にアメリカ合衆国陸軍航空隊が開発・運用した機体です。
1939年9月1日、ナチス・ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が開戦すると、B17・B24を上回る性能の四発爆撃機の開発要求がアメリカ陸軍から出されました。
それがB29でした。
B29は最初から敵国の戦略中枢を爆撃する。今で言う戦略爆撃機として開発されました。
爆弾搭載量は約9トン、最高速度は時速約640キロ。
エンジン出力は高度1万メートルでも排気タービン過給機によりほとんんど変わりはなく。
機内は与圧されているため、搭乗員は酸素マスクや防寒着を必要としませんでした。
まさに良いこと尽くめの機体ですが、それだけに開発は難航しました。
B29は強力な新型エンジンR3350を搭載していましたが、先進的な設計により、エンジンは過熱しやすく、よくエンジン火災を起こしました。
試作機がテスト飛行中にエンジン火災が原因で墜落、搭乗員が全員死亡、民間人にも多数の死者を出す重大な事故になりました。
アメリカ議会で事故調査委員会が設けられ、その調査が終わるまでは開発が停滞しました。
B29の開発そのものに疑問が持たれるようになったのです。
欧州での戦争には既存のB17・B24で充分という意見も多かったのです。
アメリカが日本と戦争をしていれば、B29の開発は促進されたかもしれません。
しかし、それはありえない話でした。
日本は連合国として戦争に参加しており、欧州に陸海空軍を派遣していたのでした。
一時、B29の開発中止も検討されたものの「今の戦争のためでなく将来の戦争に備えた技術開発のため」と陸軍航空隊で熱心に唱える士官がいたため、開発は継続されました。
しかし、予算は少なく開発は遅延しました。
戦争末期、ナチス・ドイツの敗北は明らかになっていました。
その時点でアメリカは原子爆弾の開発に成功していました。
アメリカは、ナチス・ドイツの早期降伏とソ連への牽制も兼ねて、ドイツ本土への原爆投下を検討しました。
その作戦の機体として候補にあがったのが、ようやく実用化に成功したB29でした。
実戦配備されたB29は少数だったので、多数の機体が必要な絨毯爆撃はできませんが、一発で都市を吹き飛ばせる原子爆弾なら少数で問題ありません。
高空を高速で飛行するB29こそ、原爆投下作戦にふさわしいと考えられたのでした。
歴史に残る最高の晴れ舞台となるはずでした。
しかし、アメリカ本土からイギリス本土へ飛行中のB29が1機、エンジン火災により墜落しました。
そのため、B29をドイツ本土への原爆投下作戦に投入するのは中止となりました。
万が一、B29がエンジン火災でドイツ本土で墜落した場合、ドイツに原爆が鹵獲されてしまうからです。
原爆投下作戦は、B17によって行われ、戦争は終結しました。
戦後、B29は後継機の開発が進んでいたため量産はされませんでした。
少数の機体は「エンジン火災による事故が多い」との認識だったので、練習機や輸送機に転用されることもなく退役しました。
B29の現物はアメリカ本土にも残っていませんが、別の国に1機だけ現存しています。
B29は性能的には名機なるはずだったのですが、巡り合わせで駄作機になってしまったと言えるでしょう。
皆様、ガイドの私の時間潰しの話を聞いてくださってありがとうございます。
もう少し歩くと見えてきますよ。
この軍事博物館見学ツアーに参加の皆様。
あそこに見えるのが、第二次世界大戦に参戦した日本空軍の超重爆撃機「富嶽」です。
イギリス本土からドイツ本土を空襲した機体として有名ですが、近年公開された怪獣映画で知った人も多いでしょう。
第二次世界大戦終戦から数年後に、日本に来襲する巨大怪獣に向けて滑空誘導爆弾を投下したシーンは、CGではなく目の前にある実物のこの機体が使われました。
現在でも、この「富嶽」は飛行可能な状態です。
その「富嶽」に隠れるように展示されているのが、現存する唯一のB29です。
残念ながら飛行可能な状態にはありません。
もともと、この軍事博物館は、大正から昭和にかけて活躍した実業家が、莫大な財産でコレクションした軍用車両・軍用機を遺言で博物館としたのものです。
令和となった今も、皆様のようにたくさんの来館者が訪れます。
軍用車両はほとんどが走行可能、軍用機もほとんどが飛行可能なのですが、B29については実業家が「飛行可能には絶対にするな」と遺言しています。
理由は不明ですが、実業家はB29を嫌っていたそうです。
周囲からは「嫌いならばB29をなぜ購入したのですか?」と質問されましたが、実業家は「コレクターとしては欠けている物があるのは気分が悪い」と答えています。
実業家は大正から昭和にかけて日本の産業を躍進させ、政治・軍事にも大きく影響を与えた人物ですが、「まるで別の時代から来たような変わり者だった」と評価をされています。
実業家は、B29を憎しみの目で見ながら「こいつに故郷を焼け野原にされるのを回避できた」と意味不明の言葉を残しています。
さて、ここからは博物館内の周遊バスに乗ります。
ここ満州軍事博物館には、広大な敷地にまだまだ見る展示物がたくさんありますよ。
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