霧の使い魔
黒い霧の上は、月が明々と照らして、まるで雲海の上にいるようでした。そこには、ひとつの人影が、まるでそこに地面があるかのように立っていたのです。
「あなた、誰!?」
「あの霧を放ったのは、あなたなの!?」
「なぜ、私たちに暴力を振るうのですか。答えなさい!」
「答え方によっちゃ、ちょっと覚悟してもらうわよ!」
「黙ってないで、何とか言いなさいよっ!」
「私たちは、いつでも話し合いに応じます。こちらに来て姿を現しなさい」
ミーティアから順に、2周目の問いかけに、ようやく影は動きました。右手を天高く掲げると、黒い霧を集めて槍のようにし、それを三人目掛けて投げつけてきました。一本の霧の槍が、フレイをかすめて後ろに消えて行きます。これに怒ったのはジェネスでした。
たちまち髪の色がエメラルドグリーンに輝き、光の粒子が捲き起こったかと思うと、光のツブテを影に向けて放ちました。
「そこの痴れ者、名乗る名があるならば答えよ!我が名はジェネス・ビジター!森の守護者たる精霊の使い手である。いきなり攻撃を仕掛けるとはどういう了見かっ!答えによっては容赦せぬ。心して答えよっ!」
「ちょっと、ジェニー、どうしちゃったのよ。大丈夫?」
「よく言ったわ!ジェニー!このミーティア・ホワイト、相手になろうじゃないの!」
影は黙って、再び手を上空にかざし、霧を呼び寄せました。気が付くと影の背後には、数百本の槍が並び、こちらに向けて狙いを定めています。その一本一本からは黒い霧がガスのように漏れ出ています。
「やばっ、ありゃあ、きっと毒ガスかもね・・。」
ミーティアでさえも、ちょっと言い過ぎたかと思いましたが、勢いは止まりません。
「いいわ!来るなら来なさいよ!このへなちょこ影法師!」
その言葉を待っていたかのように、黒い槍からガスが噴き出しました。
「何よ、槍って飛んでくるんじゃなかったの!?」
槍は飛んでくるものだとばかり思っていたので、ビックリです。
呪いを含んだガスは蜘蛛の巣のように拡がって、三人を包みこもうとします。ジェネスの金の光ツブテが応戦しますが、網の目を素通りしてしまい、少し糸を切るくらいの事で精一杯。ガスの網は自己修復をしながら、すぐ側まで近づいてきます。
「あっちへ行きなさいよ!このへなちょこ影法師!」と、さっきとは違う事を言いながら、少しづつ石柱を後退させていきます。
ミーティアは、槍から放たれたガス体が、その槍から離れるほど薄くなることに気が付いていました。
「よし!今だわ。」
十分に薄まった所で、ミーティアが叫びます。
「闇の先手となりし聖霊よ、光のもとにその真を表し、無に帰せよ!」
ミーティアの使い精霊たちが、一気に輝きを強めると、網は白く灰のように崩れていきます。
「どお!これならいけそうかしらっ!」
「ダメよ!後ろからどんどん拡がってる!」
「光が後ろまで届かないからです!」
「もっと強い光は出ないの!?」
「えー!これ以上は無理ぃ!」
ミーティアも必死ですが、四方八方から忍び寄る、ガスの包囲網には抗いきれず、どんどん押し負けてしまっています。そしてついに石柱ごと地面に落とされてしまいました。
「ちょっと!これ、何とかならないの!?」
堪りかねて叫んだ時です!
闇の中から銀白色に輝く何かしらが飛んでくるのが見えました。
「!」
銀色の翼を一閃羽ばたかせると、羽の一本一本が一気に抜けて空一面に拡がりました。それはまるで、大きな丸い鏡のようです。月の光を吸収し、一気に真昼のような光源となって、闇と、闇の影を蒸発させてしまいました。まるで一瞬の出来事でしたから、三人は何が起きたのか、よく分からないまま、その鳥のようなものを見つめるのでした。
「三人とも無事であるか。怪我は無かろうな。」
聞き覚えのある声です。
「ポロ!」
三人は声を揃えて、名前を呼びました。
「うむ。やはり思った通りであったか。」
「なに!なんで!?すごく小っちゃくなっちゃって!どうしたのこれ!」
「洞窟から出られたんですか?鎖の呪縛が解けたのですね?」
「よかったあ。こんなところでまた会えるなんて思わなかった!」
「まあ、待ちなさい。」「話しを聞きなさい。」「ちょっと静かにせんか!」
小さなフクロウは、三人を押しとどめます。
「まず、これは私ではない。使い魔である。しかしウツシミの魔法を掛けておるので、私だとも言えるがな。但し能力は少ない。」
「鎖の呪縛はそんなに簡単に解けるものではないと言ったであろう。お前たちの事が気になって、こやつを飛ばしたのだ。着いてみれば思った通り影に襲われておったわ。」
「そうなの。本当に危なかったわ。ありがとう。」
「なによ、もう少しでやっつけられたのよ。後、ほんの少しだけ・・。」
「ほんの少し何よ。網に絡み取られてしまっていたわよ。」
「陛下、あの影は一体何者でしょうか。陛下の洞窟で襲われたのも影でした。正体をお教え下さい。」
「おそらくは、我々に敵対するもの。ダーク・エルフの使い魔であろう。お主達、妖精のカケラを拾い、解放したのじゃな?」
「ええ。地図の謎を解いてウンディーネに会ったわ。彼女の眼を返してあげたの。とっても奇麗な、まるで宝石のようだったわ。」
「そうか、ヤツはそれに気づいて奪い返しに来たのであろう。邪魔をするお前たちを消しに来たのかもしれぬ。これまで久しく、ヤツらに抵抗できるものは現れなかった。ひとつカケラを奪われた事で、目覚めてしまったのやも知れぬ。これからはますます警戒を怠ってはならぬぞ。」
「でも私達、勝てるのかしら。」
「全くです。使い魔が相手ですら勝てなかったのですから。陛下の助けが無くては、今頃どうなっていたことか。」
「確かにこのままでは先が思いやられるというもの。よいか、まずは魔力を磨け。力を蓄えよ。各々の得意を武器とせよ。お前たちなら出来るであろう。我もそなたらとともに行こう。まずは鍛えてくれるものを見つけねばなるまい。今日のところはダーク・エルフも襲っては来ぬであろうから、朝まで休んで明日の朝に出発するぞ。」
そう言うとフクロウ王は突然何も話さなくなってしまいました。
「どこへ行くっていうのかな。」
「さあ、でもこうなったら明日の朝まで、待ちましょうよ。私ほんとに疲れちゃった。ここでいいわ。もう寝る。」
「相変わらず、神経が細いのか太いのか。まあ無理もないわ。不思議と寒くもないし、ジェニー、私たちも休みましょうよ。全く。いろいろあり過ぎたわ。」
いつの間にか、石柱の周りには、光の粒たちが三人を守るように飛んでいるのでした。
朝霧が柔らかく流れ、少し冷たく新鮮な空気は、深呼吸すると体中の細胞が一斉に目覚めるように感じます。
夜が白んでくるころ、紫色の空とまだ暗い森の中で、小鳥のさえずりが聞こえ、朝の訪れを知らせるように忙しなく・・・え、小鳥の鳴き声?これまで鳥も獣も見かけませんでしたが。どういうことでしょう。
昨晩三人が眠っていたのは、水の妖精と会った所とは、それほど離れていない川のほとりでした。川は中流域でしょうか、岩にあいだを流れる音はごうごうとしていて、心なしか活き活きとしています。朝日が昇るにつれて、川の煌めきは澄んだ水面一面に拡がっていき、周りの草木の色も深く瑞々しい輝きを放つようでした。
「ミーティア、おはよう。朝よ、起きてちょうだい。」
「うううー。」
「ミーティアってば。」
「ねーむーいー。」
「今日は、出かけるのよ!起きてちょうだい。すごいわよ、昨日までとは打って変わって、森が息づいているわ。小鳥の声なんてこれまで聞いたことなかったもの。ウンディーネが戻って水が浄化されたのね。だから、森の小鳥たちも生き返ったみたいにさえずるんだわ」
「ミーティア、コーヒーはいかが?ウンディーネの川から汲んだ水で沸かしたんです。すごくおいしいですよ。」
「んー。コーヒーは飲むぅ。」
「あとは、これ。」
「あーっ!シャインマスカットじゃない!どうしたの、これ!」
「わかんないけど、起きたら籠に盛られていたわ。あなた好きでしょ、これ。」
「もう、私の主食よ!なんで?」
「きっと水の妖精からの贈り物ね。」
「そうですね、きっとお礼なのだと思います。」
三人は眩しい朝の光の中で、久しぶりに暖かい飲みものと、爽やかな甘さの葡萄で、すっかり元気を取り戻していました。
「ところで、ちいポロはどうしたのよ。」
「ちいぽろ?」
「なにそれ。」
「フクロウよ。小さいポロが来たでしょ。」
「ああ、小さいフクロウのポロだから?ちいポロ?あなた昔からセンスないわねえ。」
「ポロさんならまだ眠っていますよ。」
「なによ、朝から出かけるんじゃなかったの?起こしなさいよ。ありゃ、昨日より縮んじゃってるじゃない。ねえ、ポロ起きなさいよ、朝よ!」
「あーあ、あんたに起こされるようじゃあ、お終いね」
「仕方ありませんよ、ミーティア。フクロウは夜行性です。それに昨晩は寝ないで私たちの周りを警戒してくれていたのですから。」
「それじゃあ、どうするのよ。どこを目指せばいいのかわかんないじゃない。」
「昨夜、ポロ王は地図を見れば解かるだろうとおっしゃいました。森が目覚めたせいでしょうか、地図の書き込みがどんどん増えて行っているのです。」
「へえ、地図見せて。」
覗き込んでいたフレイディアも
「なるほど。これって、線でつなぐとルートが出来るんじゃないかしら。」
「ルートって何?どういう事?」
「ほら、ここの近くからなぞっていくと、まずは、”火竜の涙”に出るわ。次に”巨人の迷路”そして、”金杯の園”、最後にあるのは”風の谷”かしら。」
フレイディアが地図に浮かび上がった文字を順番につなぐとルートが浮かび上がりました。
「火・巨・金・風。」
「?」
「どういう事でしょうね。」
「私達、月は攻略したわ!月あかりに何とかっていう!」
興奮したミーティアは続けます。
「分からない?これって曜日よ。月、火でしょ。水はきっとウンディーネの事ね。それから巨?は置いといて金曜!風はわかんないけど。なんかそれっぽくない?」
「巨と風は置いとくんだ。なんじゃそりゃ。」と、フレイディア。
「でも、あながち間違いではないかもしれませんね。こうして地図の文字が文字通り浮かび上がってるのですから。」
「だって、順番だってめちゃくちゃよ?」
「大丈夫だって!まずは行ってみましょうよ!皆、私につかまって。」
「待って。ポロをポケットに入れとくから。」
「じゃあ、行くわよ!」
「どこへよ!」
「火曜日よっ!」
そう言うと、ミーティアは足首の風紋をカチッと合わせ、あっという間に空へと舞い上がって行ったのでした。