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負け組次郎兵衛忍法帖  作者: 鴉野 兄貴
【第一巻 秘法御伽草子の術】
9/13

井出丸が本質の事

 輝くように実る稲穂が。

 あれぞ宝と讃えられし此乃潟の里。


 戯れる人々の顔は明るく幸せそうで、虐待の中生きてきた彼は目を逸らしたい。


「一人ではない!

 吾は、阿が一人に見えるか!」

「……ひとりで、ございます」



 風が止まる。

 川原にひしめくように現れた人また人。


 細石に座るは矢弾で死した百姓。

 犯され斬られた娘。

 首のない赤子。


 そして。


 彼も見た。あの見事な立ち往生を遂げた黒力丸だけではない。

 乳母お止めと思しき女性は胎を刀でくり抜かれたまま立っていた。


 井出丸の母、富嶽院。豪奢な衣装に血まみれの胎。

 まもなく世継ぎが生まれるとされていた。その形も揃わぬ赤子を手に微笑んでいる。

 父伊州もまた畳に刺した名刀十振りを川原に突き立てた壮絶ないくさ姿に反した優しい笑み。


 井出丸の乳飲み兄妹である株丸。


「こいつか。頼りねえなあ。しかしまあ、頼んだおっちゃん」


 そしてその妹おたま。


「おいでさま。よかったね」


 震えが止まらぬ。

 一人。

 いや。10。

 100。

 無数の瞳が彼を見ている。



「ここにいるのは父上母上。我を守るため死した領民その全てである」


 見えている。

 だがそれをくちにしてはいけない。


「もう良い。目を逸せ」



 気づけば鄙びた川原に戻る。


「井出丸さま。いまのは」


 彼はあやかしには詳しくない。


「わたくしにはわかります。

 父上。母上。

 おたまに株丸。


 黒力丸。お止め。

 そしてわたくしの弟様。


 皆が死ぬことでわたくしの、そちの、星を繋いでおったのだ」

「……そんなこと」


 井出丸の濡れ細った首筋が迫る。

 少し開いた胸元も見える。



「では、今までの戦い、そちが、わっぱに過ぎぬわたくしが生き延びた理由を言えぃ」

「……」


 おそらく、最初の『へりこぷたぁ』の時点で死んでいたはずだ。


 崖に落ちた。

 爆破に巻き込まれた。

 幾重にも撃たれた。


 しかし面妖にも彼らは無傷。


「無理です」


 次郎兵衛は負けたくない。

 次郎兵衛は奪われたくない。

 次郎兵衛は虐げられたくない。


 次郎兵衛は負けたくない。

 このような狂気の沙汰には関わりたくない。


「わたくしはき奴には勝てません。

 奴は伊庭のおきょう。伊庭の里長おげん様の娘」


「勝てる」

「何故なにゆえにかようなことを仰るのでしょうか」



 次郎兵衛。おまえは背が高い。少し座れぇ。

 井出丸の声は暖かい。


 あなおかし。

 川原の細石も極上の布団かな。



 井出丸は、『彼女』の瞳はあれほどの地獄を刻んでなおも光に満ちていた。

 そのぬくもりを彼は知らぬ。

 その強さ。彼は理解できぬ。


 存在しないとわかっても信じる事。


 神や仏を、愛を。

 見えるものしか信じない彼にはそれはできぬ。



「次郎兵衛。違う。人は過ちをおかすものだ。

 どんな猛者でもいつかは地に塗れるものだ。


 人は弱い。人は過ちを犯す。

 だから人は寄り添うのだ。


 ひとが組織を作り子供を育み人材を育て国を作るのは。

 失敗しても負けてもまた立ち上がるためだ」



 井出丸の本質。

 たとえ人々が過ちをおかし罪を重ねるものだと知っていても、知るが故にその心が井出丸を支える。


 許し。愛。そして信じる心。

 託し育む心。



 憎しみ怒り悲嘆に諦観。

 それに汚れ塗れた自分如きには到達できない。


 彼女の瞳は、凍える身体とこころをほぐしていく。

 まるで春の花の香りのごとく。


 火は大きくなっていた。


「強いですな。井出丸さまは」


 震えはおさまっていた。


 人心地がついてきた。

 戯れに井出丸は彼の胸に頭をもたげる。


 慌てて離れようとする彼を井出丸は制した。



 井出丸は小枝に刺した魚を火にあてて少し焦げ目を入れたものを差し出してくれた。



「いや弱い。わたくしは下郎どもが母上を汚すなか、声を押さえて震えていただけだ。

わたくしは弱い。そして何もできない。だが」



 井出丸はまっすぐに彼を。下忍の彼を見た。



「ぬしとなら、やれる」

「できません」



 この後に及び、彼は怯懦きょうだを見せる。

 しかし井出丸は違った。



「できる! この井出丸は……おいでは。

 ぬしを、この幾日を戦い抜いたぬしを信じる」

「滅相もない。買い被りです」



 首を振る彼を『彼女』はじっとみている。

 井出丸は潰れた血豆の匂いがする手のひらを差し出す。



「一人では怖いのは同じです。

 でも二人ならできます」


 彼女は炎を見ていない。

 しかし星あかりが彼女の瞳にある。


「恐怖があれば怒りも悲しみも乗り越えていけましょう」


 星々は散っていく戦国の世の民がいのちか。



 毅然と立ち上がるおいで。

 それは農民の子供にやつした姿に見えぬ高貴さであった。


「それでは次郎兵衛。

 わたくしにできることを少しでも教えてください」

「……はい」

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