井出丸が瞳の事
井出丸のこころのうちはちがう。
自分ひとりの命のために多くの命が散り過ぎた。
領民のおじさんおばさん。
父に母。家臣たち。
彼らは家の再興を井出丸に託した。
吾ひとりの命。家ひとつにそれほどのものがあるのか。
悩んでいた。
苦しんでいた。
叫びたかった。
圧倒的な力に翻弄され。
己の意思とは別に大切なものを奪われ。
己の立場に縛られてひとつの想いすら口に出せず。
『(株丸やぁ。吾は)』
井出丸は。
井出丸は次郎兵衛の瞳を見た。
彼の瞳の奥に、輝く稲穂たちが見えた。
流れる川。鎌を手に励む領民たち。
棒切れを持って駆けて遊ぶ子供たち。
父。
母。
家臣たち。
井出丸は彼らに手を伸ばそうとした。
そこで正気を取り戻す。
鄙びた川原の中、心配そうな次郎兵衛。
川原の草は長く伸び、風と共に流れる。
ならば吾も流れていこう。
風に流れても千切れぬ強き草の如く。
「伊庭者どもを倒そう。次郎兵衛。手伝え」
「……あなたさまが、ですか」
井出丸は子供だ。
何かができるわけでもない甘ったれの餓鬼。
井出丸は芝を投げる。
それは濡れており、火をかえって弱めてしまう。
貴人にはそれはわからぬ。
「吾が無力な、無知で愚昧な子供に見えるか次郎兵衛」
井出丸は次郎兵衛を見据えた。
次郎兵衛は目を逸らす。
貴人と瞳を合わせるなど許されぬ。
「吾を見よ!」
歴戦の忍びの肩が少し震える。
それは凍えではない。
「吾の眼を見据えよ!
何が見える!? いえ!!」
「……井出丸さまです」
他は鄙びた川原である。
風は直接見えることはない。
それと同じくあやかしもまた。
「次郎兵衛。吾を。阿をみよ。
無力な子供に見えるか。
たった一人の哀れな小童に」
またくるわれたか。
違う。
目の輝きが違う。
確かにそれは狂気を孕んでいる。
しかし。その奥の瞳に。
見えた。