井出丸登場の事
サトウキビという便利なものはこの時代にはない。
だからくずのような草を煮詰めあるいは花の蜜を集め、あるいは麦芽や米を煮詰め発酵させ甘味とする。いずれも高価なものである。
子供のベタ銭で買えるということはそう言うことだ。とても小さくそして混ぜ物が多い。
飴、飴、飴はあまくておいしいと彼は奇声をあげ女化粧でかぶいて笑いをとる。
糞便握って遊ぶ子供たちは大笑い、掏摸とった銭片手に大人たちは苦笑い。
あちこちで落武者から剥ぎ取った品物を売る屋台からは威勢の良い声。たまに人のものとしか思えぬ頭蓋骨が鍋の中。
市を歩む人々も頭両腕胴体そして両の足揃うものはむしろ稀。飴を売る男とその『息子』は珍しい風体と言える。
次郎兵衛。めしじゃめしじゃ。
井出丸は高貴な子供にしては実に逞しい。
伊庭の山を抜けて井出丸の遠縁である多賀領までまだ日はかかる。
包囲を抜けたわけではない。
この時代この地域においてそばは麺ではなく蕎麦がきだ。それを塩水や味噌などで味付けして食べる。醤油はまだ存在しない。
「うむ。悪くない味ぞ店主」
「は、はぁおぼっちゃま。ありがとうございますだ。柿の渋み、長年塩に漬け込んだ魚から漏れ出る汁が決め手でございます」
この時代、まだキノコを養殖する手立てはない。
椎茸は極めて高価だった。
「ほう! 褒めてつかわす! 生憎と与えるものがないがいっそう励むといい。さすればお主の商いに八幡の加護があろう!」
八幡は今の時代では戦神だが元々は地方の豊漁の神であり商売の加護がないわけではない。
この時代において柿は渋柿だ。1212年ごろ王禅寺という寺にて突然変異により生まれたという。なお、唐土の地においては別の甘柿が存在する。こちらは甘みは優勢遺伝になるがここまでの知識はこの二人にはない。
次郎兵衛は目立った行動を井出丸にはとって欲しくない。
そもそも負け組につきたくない。虐げられたくない。
なのにだ。
「次郎兵衛! おんぶじゃおんぶ!」
「お戯れを……」
めちゃくちゃ懐かれてしまった。
どうしてこうなる!
元々次郎兵衛は子供が苦手である。
話好きでもなければ交友を広げる性格でもない。
なのに昔から子供にはめちゃくちゃ好かれる。
異母妹であるお滝さまなどがいい例だ。
小太郎は溺愛する異母妹の振る舞いに割とキレているが口元ビキビキしながらも彼女が次郎兵衛に懐くのを我慢している。
それにだ。
次郎兵衛の感覚では彼がおいでこと井出丸に好かれる要素はない。
次郎兵衛が伊庭峠に着いた時にはすでに遅し。
井出丸の命運はすでに風前の灯であったのだから。