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「なんだ、恋ネギの悪役令嬢シルクか……。それなら、そう悪いことにはならないかな?」
シルクは自分が悪役令嬢に転生していたという事実を知って驚いたものの、それが恋ネギの悪役令嬢だと気づいたことで、直ぐに冷静さを取り戻した。と、いうのも、恋ネギは他の乙女ゲームとは全く異なる代物だったからだ。
恋ネギは本来の乙女ゲームのような恋愛シュミレーションを楽しむゲームではない。ただ単に流行りに乗っかって乙女ゲーム風を装っているだけのクイズゲームだ。ヒロインはホームページを見に来たユーザーだという位置づけにしているからか、ヒロインのイラストなんて存在していないし、そもそも乙女ゲームではないから、イケメン達とのイベントなんてものも端から存在していなかった。
悪役令嬢のシルクに至っても、クイズが書かれている画面の端の方で、ヒロイン=ユーザーに向かって『あなたには難しすぎたかしら?クスクス』とか『プッ、そんなこともわからないのかしら?』と嫌味ったらしいことを呟いているだけだ。
ヒロイン=ユーザーがクイズに失敗すると、シルクは画面中央にふんぞり返って出てきて、『オホホホ。出直してらっしゃい!』と片手を腰に当て、もう片方の手は扇で口元を隠しながら高笑いして、もう一度ミニクイズに挑戦するよう促す。
そして正解すると、最終画面で瞳にハートを浮かべてヒロイン=ユーザーに愛を告白しながら応募キーワードを口にするネギ達が画面中央に出てくる画像の片隅の方で、『キィ〜!悔し〜!』と小さく描かれたシルクがハンカチを噛み締めて悔しがって終わるだけの雑魚悪役令嬢がシルクの役割だった。
どうして前世のシルクがこんなにマイナーゲームを知っていたかというと、それは某葱農家さんが作る葱とネギ坊主のキャラクターストラップが抽選で当たるのを地方のテレビ局の情報番組をたまたま見て知ったシルクがホームページをチェックしてミニクイズに挑戦して応募したことがあったからだ。……ちなみに残念ながら抽選は見事に外れて貰えなかったが。
……そんな世界に転生したから、シルクは夫の応援も楽にできるだろうと安易に思っていたが、事はそう簡単ではないことに、この後、嫌というほど自覚させられることとなった。
ツーステップのまま神殿を抜け出し、乗合馬車に乗って王都にある公爵邸に戻ってきたシルクは玄関前で待ち構えていたリョクシュウに見つかり、こっ酷く叱られてしまった。
「シルク様!仮にも公爵令嬢である貴方が行き先も告げず、公爵家の馬車も使わず、一人でどこに行っていたのですか!?貴方は一応、第一王子の婚約者候補なのですよ!」
「リョクシュウ様、ごめんなさい。ちょっぴり息抜きのつもりで一人で散歩に行っていたんです」
今日、神殿で召喚の儀が行われると実父であるという公爵が話しているのを小耳に挟み、好奇心に駆られて神殿に潜り込み、こっそり召喚の儀を見に行っていましたと正直に言ったら、更に怒られるかもと考えたシルクは即座に謝りながら、嘘ではないけれども本当でもない言い訳を口にした。
ペコペコと頭を下げるシルクにリョクシュウはメガネを外し、眉間を指で揉みながら言った。
「貴方は正真正銘の公爵の血を引くお方なのですから、お一人での外出は危険だとあれほど申し上げていたのに、お忘れになってしまわれていたのですか?散歩がしたいのならば言ってくだされば、いつでも同行いたしましたのに。……ご無事で何よりでした。素直に謝るところは貴方の良いところですが、貴方は公爵令嬢なのですから、そう簡単にペコペコと頭を下げてはいけません。それと、これも何度もお願いしていることですが、私を様付けして呼ぶのは止めてください。どうぞ私のことはリョクシュウと……」
そう言った後、リョクシュウはメガネを掛け直し、シルクに微笑みを向けてきた。もしもここにリョクシュウのことを知らぬ第三者がいたら、お転婆な公爵令嬢を心配している若き執事に見えるのだろうなと思えるほど、リョクシュウはシルクに対して腰が低く、丁寧に対応してくれた。
シルクはリョクシュウが自分を呼び捨てるようにと言ってくる理由を何となくだが察していたが、だからと言ってリョクシュウの願い通りに彼を呼び捨てになど出来なかったから、リョクシュウにそう言われる度に返事に困っていた。
前世を思い出したことで、こういうときはお互いに譲歩し合えばよいのではないかと思いついたシルクは、折衷案を口にしてみた。
「え〜と……。様付けが嫌なら代わりにリョクシュウ殿とか……、あっ、そうだ!今、下町では、ちょっぴり砕けた感じで呼ぶのが流行りらしいので、リョクシュウ殿っちとかで、呼ぶのはいかがでしょうか?」
「下町?……どうやら無断で外出されたことを反省されてはいないようですね。では、部屋に戻って反省文を5枚書いてきてください」
「ガーン!?謝ったのに〜!リョクシュウ殿っちの鬼〜!」
「鬼で結構。貴方はどこかで誰かに襲われても対抗出来る力が無い女性なのですよ。今回がたまたま大丈夫だったからと言って、次も大丈夫だとは限らないのですから、きちんと反省してもらわないと困ります」
「……はい。ホントにごめんなさい」
そう言われてはシルクは何も言えない。だって、この家で唯一、本気でシルクを心配してくれるのはリョクシュウ一人だけだと、シルクはよくわかっていたからだ。すごすごと部屋に戻っていくシルクは、リョクシュウがいつもと変わらない様子のシルクを見て、心からの安堵の溜息をついて、切なげに見つめていたことに気が付かなかった。