へそ
「あ、じいちゃんのへそ。」
ウォーキング途中、薄雲の広がっている梅雨空を見上げた私は、くすんだ水色の中に白くて丸いものを見つけた。
空全体を覆う雲越しに、太陽がぼんやりと見えている。
いかにも梅雨の空という感じだ、全天を覆うこの雲は巻層雲…いやこれは高層雲だったかな。
昔、しこたまこの手の蘊蓄を聞いたはずなのに、イマイチはっきり思い出せない。
おお、老いというものはなんという嘆かわしいことか。
……若い時もこんな感じだったことはさておき。
広い大空に堂々浮かんでいる…穴が開いている?あの丸いものは、何を隠そう、じいちゃんのへそなのだ。
私のじいちゃんのへそは、たまに空に出現するのである。
じいちゃんには、へそがなかった。
初めて見た時、知った時、ずいぶん驚いたのだな。
じいちゃんちの庭で一緒に行水した時に、わりと面食らってしまったのだな。
「じいちゃんにはなんでへそがないの。」
「じいちゃんのへそはなあ、雷さんに食われちまったんだ!!!」
幼い頃の私は、雷が鳴ったらへそを隠さないといけないという迷信を、鼻で笑っていた。
どこか現実的で、迷信やおばけなど…見たこともないものを認めていなかった。
夜笛をふくとオオカミが来るとか、言う事を聞かないと天狗にさらわれるとか、子供だましの大人の脅しに屈しない子供だったのだ。
「大嵐の日によう、腹出して寝とったもんで!気が付いたらへそがなくなっておったんだわ。」
ところが、現実にへそを取られた人が現れてしまった。
どうやら、雷様はいるらしい。
しかも、へそを取っていくらしい。
私の中の、お化けはいない、見たことがないものはいないという認識がくるりと反転した。
毎日お仏壇に線香を立て、手を合わせるようになった。
雷の鳴る日は、腹巻きをして寝るようになった。
天狗の誘いに乗らぬよう、知らない人を警戒するようになった。
「じいちゃんのへそはな、アクが強すぎて雷さんには消化しきれなかったんだ。食ったら腹壊しちまってよう、あわてて吐き出したはいいが、今さら返せねえってんで、おテントウさまに放り投げやがったんだな。それを食っちまったおテントウさまはだな、たまに腹を壊すんだ。腹を壊すと空が濁ってへそが顔を出し、腹痛でおテントウさまが泣き出すって仕組みよ!!」
なんともしっかりとした話を聞かされて、へえと納得したのだ、私は。
じいちゃんのへそは、相当危険なモノだったのか。
化け物にも苦手なモノはあるんだな。
じいちゃんは怒らせたらダメだな。
「見ろ、俺のへそがでとるわ、もうじき雨が降るで傘持ってけ!!」
実際に、じいちゃんのへそを見た時は雨が降ったのだ。
じいちゃんのへその威力を、実にしみじみと感じながら、私は育ったのだな。
のちのち聞いた話によれば、あまり詳しいことはわからないものの、病気が原因で手術をした時に、へそも取ってしまったらしかった。
だが、そんな話は私の中では完全に後付けされたものであり、じいちゃんのへそは、雷様すらお手上げのおてんとうさますら手を焼く代物として認識されている。
じいちゃんがいなくなった今でも、へそは空に時々現れてはおてんとうさまを泣かせ続けているのだ。
へその持ち主はとうに灰になり土に還ってしまったというのに、いまだ猛威をふるい続けているのだ。
いろんなことを学んで、いろんなことを知ったけれども、いつまでたっても、私にとっては、空に時折現れる白い丸は、じいちゃんのへそなのだ。
雲の名前は全然覚えていないというのに、じいちゃんのへその下りは、一言一句忘れずに覚えている。
学生時代に何度もノートに書き、暗唱し、覚えた単語はおぼろげにしか記憶に残っていないというのに、たった一度聞いただけの一文がいつまでたっても記憶に残っている。
……恐るべし、じいちゃんのへそ。
もうじきおてんとうさまは腹の痛みで七転八倒し、大粒の涙をこぼすにちがいない。
私はウォーキングの足を早め、寄り道をすることなくまっすぐ家に向かったのであった。