第1回「lemon/米津玄師」
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小鳥遊賢斗
ほんの些細な喧嘩の筈だった。
同棲している彼女の誕生日を忘れていたことが原因で、大喧嘩になった。
本当は謝れば良いだけの話だったのに、その日は仕事で上司にいびられ虫の居所が悪かった僕は、謝るどころか彼女に暴言を吐き、それを聞いた彼女は家を飛び出して行ってしまった。
しばらくして自分のしたことの惨さに気付いた僕は、彼女を探すことにした。
彼女は誕生日を祝って欲しいだけだったのに、こんなにもこじれてしまった。全部僕のせいだ。
近所を探し回っていると、彼女の携帯から連絡があった。
連絡を受けた僕は、血相を変えて病院へ向かった。
病院に着くと、看護婦さんに名前を聞かれ、病室へと案内された。
どうやら無我夢中で道に飛び出したところを、乗用車に跳ねられたらしい。
彼女は昏睡状態の中、何かうわごとを言っていた。
僕の名前だった。
思い返せば、僕は彼女にいつも助けられてきた。
いや、もしかしたら、助け合ってきたのかもしれない。
僕も彼女もあまり社交的な性格じゃなかったけど、いつも一緒だった。
辛いことはお互いに相談して乗り超えてきた。
抱え込んでいるものは悲しみも苦しみも一緒に分け合って生きてきた。
「――君、痛いよ……」
痛いのは僕の心の方だ。
あれだけ酷いことをされておいてまだ求めてくるのかよ。
求めたいのはこっちだよ。
なんで……。
僕は号泣していた。
──結局彼女は帰らぬ人となった。
もし君が今僕と同じ苦しみを抱えているとしたら、僕のことはもう忘れて、天国で幸せに暮らして欲しい。
それだけが今の僕の願いだった。
それほどまでに君を想っていることに、君が居なくなって初めて気付いた。
「でも僕には……忘れることなんて……出来ない……!」
きっと彼女も同じことを思うのだろう。
僕は気持ちを言葉にして、即座に気付いた。
──それなら、君を心配させないために精一杯明るく生きよう。
ずっと君の光を、この心で感じながら。
会えない苦しみも、生きていた頃のように半分こにしよう。
僕らは切り分けられた果実だから。
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髭虎
牢獄塔の最上階。
硬くて、冷たい石の部屋。
その片隅に身を寄せて、私はひとり小さな窓から差し込む月明かりを見上げる。
明日、私は処刑される。拷問官がそう言っていた。
王国を戦争の混乱に陥れた魔女として。民衆の敵として。
そして和平への生贄として、私は殺されるらしい。
けれど、おかしな話。この胸にあるのは死への恐怖でも、彼らへの憎悪でもなかった。
ただ、ほんの少しの安堵。
それだけが温かくこの心を照らしている。
「……ふふっ」
目を閉じると、いつでもそこには温かな思い出がある。
子どもの頃の情景も。
果樹園で遊び回ったあの頃も。
あの子と交わした小さな約束も……全部、ぜんぶ。
「明日……やっと、すべて終わる」
だから怖くはない。
言い聞かせるように呟いて、意識を落とした。
◆◇◆
『ほら! こっち来いよ!!』
たぶん、夢を見ている。
夢を夢と自覚して、そこに浸っている。
『ここの区画は俺が育てたんだぜ!!』
もしも……ずっとこのままでいられたら。
『これ、やるよ。俺が作ったやつ』
戦争なんか起きなくて。
村が占領されることもなくて。
無理やり戦争に徴用されることもなかったら。
『ブフッ! あっははは!! おま、そりゃレモンそのまま齧っても甘いわけないだろ!?』
ずっとあの頃のままでいられたら、今とは違う未来があったのかな。
『あ、怒った! 逆ギレしやがった! いやお前が食ったんだろ!? うぉ、あぶね』
幸せな夢。幸せだった頃の夢。
ここはひどく居心地が良い。
けれどもう行かなくちゃ。
『なぁ、戦争がさ、終わったらさ…………また、みんなで暮らせんのかな』
そこに私は居ないとしても。
『俺たちで、終わらせよう……ぜんぶ。ぜんぶ、終わらせて……そしたらさーー』
貴方と交わした小さな約束を、覚えているから。
◆◇◆
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赤髪のLaëtitia
「あなたは神を信じますか?」
最近はこの手の勧誘が多くなった。しかもこいつはⅡ型アンドロイドときてやがる。仕事でくたくたなんだ勘弁してくれ。
既に終電は出て他に乗り物も無い。一杯ひっかけて帰っていくかと、近くの飲み屋を検索する。ここから少し離れたところに新しく出来たばかりの店がヒットした。黄色く警報ランプが発令する中、俺は急ぎ跳ねながらそこへ向かった。
「いらっしゃいませ」
二重扉の先にある引き戸を開けると電子音声が聞こえた。店内はどこか懐かしさが込み上げる雰囲気、マスターは……、驚いた、Ⅰ型アンドロイドだ。他に客はいないらしい。
俺はカウンターに着いた。マスターの後ろには様々な酒の瓶が並んでいる。本物なら随分と高額だ。入る店を間違えたかもしれない。だがその棚の脇には見慣れたマシンが置いてあり、俺はひとまず安心した。
「そいつで、何かサッパリとしたやつが飲みたいんだが」
「かしこまりました」
マスターが例のマシンで作っている間にもう少し店内を見渡す。すると部屋の隅に置いてあるそれに目が止まった。
「……ジュークボックスか?」
近づいてみると、硬貨を入れる場所があり、曲を選曲できるボタンがついている。間違いない。
「マスター、一曲かけてみたいんだが」
「良いですよ」
マスターが硬貨を手渡す。見覚えのある懐かしい硬貨だ。静かだった店内にメロディーが流れだす。
席に戻ると、飲み物が用意されていた。グラスに口をつけると爽やかな香りが、突き抜ける。仄かな苦みと甘味、そして酸味とともに喉を駆け抜ける炭酸が疲れた体に染み渡った。
俺の選曲、或いは好みに合わせてくれたのか、マシンにしちゃ出来過ぎだと思うくらいレモンのフレーバーが素晴らしく感じる。仕事柄気になるのだ、だいぶ疲れているみたいだ。流れる曲が心に染みる。
ふとマスターを見上げると、俺は、目の前にいるその姿に暫く体が固まり動かせないでいた。
「お気に召しませんでしたか?」
なんてこった、声までそっくりだ。Ⅰ型は人間のディープメモリーにシンクロ干渉し強い記憶のイメージを自身に投影する。しかし彼らも必要があってそう造られた、仕方がない。
「いや、そのままでいい。酒もうまい」
俺は酒と音楽の余韻に暫く浸っていた。目の前の彼女と過ごしていた頃を思い出しながら。その時、小さい揺れが生じた。
「ん? 予測されてた隕石か?」
「そうでしょうね。時刻もピッタリだし。おそらく場所もピッタリなんでしょう」
「脅威でないから落とさないとニュースで言ってたな……」
しばし沈黙が流れる。果たしてアンドロイドのマスターは俺と同じことを考えていたのだろうか。
「さてと、隕石警報も解かれたことだし、帰るかな」
カードを渡して勘定を済ませる。
ふとカウンターの少し離れに置いてあった半分のレモンと絞り器の飾りに気付く。アイツも好きだった。近寄ってじっと見ると、俺は心臓が跳ね出るほど驚いた。
「これは……、本物が使われてたのか?」
「はい。この店もお陰で建てられました。安心してください、お代はマシン製のままですから」
店の外に出た。どうやらあのアンドロイドの主人は相当頭の切れる人物の様だ。今はアンドロイドが備え持つ演算システムでここでの生活にも目途がついているらしい。
俺はマスターに名刺を渡し何かあれば連絡をくれと言った。なにせ植物を育てる仕事だ。既に関係者とは知り合いなのかもしれない。
真っ暗な空を見上げる。そこには大きなクレーターをつけた赤い地球が浮かんでいる。俺はそれに一瞥して帰路についた。
あぁそういえば、仲間達にもこの店を紹介すると言ったんだが……。鞄を開け中からレモンを一個、それを見つめ思い直した。
だから俺はあの店に、未だに一人でしか行った事が無い。
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