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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋人たちの日

作者: 荊汀森栖

 約束のない僕たちは、恋人たちのイベントをふたりで過ごす。

 ひとりでいても味気ない、他の誰かに誘われるのは煩わしい。それならいっそ気の合う友人と過ごす方がいいと、学生時代から続く恒例行事となった。

 ケーキもシャンパンもなければチョコもない。花束や指輪など論外で、ただ会って、その辺の普通の飲み屋で酒を酌み交わし、肉を食らい、毎回決まって「きっとこれが最後になるさ。」と笑い合う。

 数学者の卵な君は、数式に囲まれ過ごすのが愉しくて、恋人が出来ても疎かにしてしまうのだという。告白されて付き合って、一ヶ月もしないうちに喧嘩別れになると苦笑する。きっとそのどれもが一方的にぶつけられる感情に過ぎず、君は気がつけばいつも振り回され置き去りにされ途方に暮れるのだろう。

 そう指摘したら、目を丸くして「君は、僕よりよほど僕の事を理解している。物書きとは皆、そういうものなのか?」と関心しきりに僕を見つめた。酔いが回ってトロンとした目で、頬杖をつく君はとても無防備に見えた。普段の、隙のない学者然とした姿とはまるで違う。プライベートな君を独占しているという優越感を僕が密かに抱いていることを君は知らない。

「さあどうだろう? 他人には興味がないから分からないな。」と僕は考えなしに口を滑らせる。

 君以外の他人の事なんて、僕には何の意味も価値もない。

 そう気がついたのはいつの頃からだったろう。だから特別な日には必ず予定を空けている。気兼ねしなくていいからと、半個室の店を事前に予約する。

「ふうん?」と君は意味深長な笑みを浮かべた。

「他人に興味がないのに、よくあんな作品が書けるものだ。先月の新刊も評判が良いらしいじゃないか。」

「君はあれを読んだのか?」まさかと疑いながら尋ねる。事実確認。君は読む筈がない。否定の言葉が返って来るのを待つ。お願いだから……

「君の作品は処女作から全部、読ませて貰っているよ。」

 だがその言葉に、冷や水を浴びせられたように酔いが冷めていく。僕は絶望する。

 嘘だと言ってくれ。

「それは……想定していなかった。」

 羞恥のあまり両手で顔を覆っても、僕の赤面は隠しきれていないに違いない。顔だけじゃなく今や全身が熱い。冷めたと思った酔いが一気にまわって来る。

「僕は数学馬鹿だけど。君の書く話はどれも好きだよ。そう……とても興味深い。」

 その声は、火照った耳に甘く響いた。

「先月のバレンタインに遅刻したのは、君の本を発売当日に買いたかったからだよ。少し遠回りしたけど無事サイン本を確保出来た。」

「そんなのいつでも書いてやるし、配る相手もいないから家に献本が山積みになってるよ。あげるよ!」

 僕は自棄になって言った。いつも何も言及されないので、まさか彼に読まれているとは思ってもいなかった。

「そうだね、この本は君の手から欲しかった。」

 目の前に何かを置く音がして、僕は両の手の間からそっとテーブルの上を盗み見た。

『numbers』と題した小さめの変型ハードカバーは、初めて装丁に要望を出した本だった。彼が愛用しているノートと同じ大きさ。数字に纏わるオムニバス短編集で、副題は『数に恋して』。僕はこの本に君への密かな恋を綴った。フィクションの名を借りたノンフィクション。彼にしか分からない赤裸々な独白。

 これを読んだ上で、君は僕を拒絶しないというのか。

 その疑問は程無く解消された。

「これからも、特別な日には僕と会ってくれるよね?」

 彼は僕の手を取り、指先にそっとキスをした。

 手持ちのカードを全て晒してポーカーは出来ない。

 僕は観念して「君は特別なひとだから。」と真っ赤な顔で精一杯の告白をすると、「僕もだよ。」と蕩ける笑顔で返される。

 曲者め、と僕は心で呟いた。

 いつかと言わずすぐにでも、君を暴いてやろうと恋人たちの日に決意する。

初出 2018.03.14 Twitter

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