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多くの罪のために
海岸通りの向こう側、水平線の向こう側に沈んでいく夜を見送った。その頃というのは日の出というには遅すぎるぐらいだった。手元は明るい。この時期には少しの人が海岸に出てくるのだが、近くには誰もいなかった。遊歩道を横切り、砂の小さな山を超える。そして、砂浜にレジャーシートを敷いてそこに僕は座った。本を取り出すとき、真上の空を見た。空に浮かぶ月は三日月とも言い切れないが薄い姿をそこに見せている。僕はその月に見とれてしまっていた。多分誰かがロマンチックなことを言ったせいだ。とにかくそれは朝焼けの中にその姿を見ていた。
そのとき音楽、ビートルズの曲を聴きたいなと思った。良さはわかっていないのかもしれないが、今は誰かの物語に身を任せてしまいたかった。しかし、僕は日常的にラジオを聴くことはなかった。トランジスタラジオぐらいは持っていたのかもしれない。そして、その状況になれば仕方なく、鼻歌で『イエスタデイ』を歌うとそれで満足してしまった。
そういう『ビートルズ時代』というのは誰かにとっては何年も前のことなのかもしれない。誰かの数年の人生の中で僕は気づけばバイクや車を運転できる歳になったし、酒や煙草も嗜むこともできるようになった。それだけ嫌なことも増えた。そして、なにか大切なことも手から零れ落ちてしまっている気がした。それだからビートルズの曲を聴きたくなったのかもしれない。多くの人に語られる過去という概念を吸い込んで、吐き出すことは心の安寧につながるものだとこのとき初めて感じた。しかし、それは本当に充実した生活と言えるのだろうか? 無という煙がそこにたちこめて、思考を阻害した。そして、繰り返される呼吸と波の音とが良いノイズとなって本のページをめくらせた。