るーるるるる ほうーほほほほう
広い広い、南の森の中で、私は一人の女の子を見つけました。
私は言葉を調べる研究をしていました。森には、滅びかけた民族の言葉が、残っていたからです。
国の命令により、かつて森に兵士達と分け入った、言語学者の祖父の跡を継ぎ、それをまとめて書物に残す……それが私の仕事です。
……その森には、たくさんの民族の人達が、あちらこちらに小さな集落をつくって、それぞれの言葉の中、静かに生活をしていました。
そう私は、祖父から聞いております。そして祖父は国の命令に従い、彼らの地を奪う任務についたと、生前、悲しそうに話してくれました。
森には、目に見えない王がいて太陽を、月を雨を、雲を風を、友とし力を借り、人々を守っていると、街の人となっている、かつての民族の、どの長もそういいます。
彼らはかつて、祝のときも、殯のときも、人々は王に唄を捧げて、今世の幸せを、来世の夢を祈り。
病になると、やはり人々は唄を王に捧げて、治癒を願い。
森で食べ物を狩ると、人々は感謝の唄を王に捧げてから、皆で分けあい食べたと、話してくれました。
川の水を汲み、木の実をあつめ、大地から芋を掘って、花の蜜を口にし、たまに蜂蜜を採って暮らしていたと。
日が上れば起きて、沈めば寝て、雨が降れば巣穴の中でじっとしている、狼の様に、木と大きな葉で造られた小屋で、のんびりと過ごす……
空を見て時を知り、星の形を指差し遊び、悠々と暮らしていた……目を遠くにやりながらほんの少し昔を話す彼ら達です。
ある時、森の外私の住む『時計の国の人々』が、森へとやって来ました。カチコチ、カチコチ、規則正しく、暮らさなければいけないと、役人たちは言ったと、祖父や、彼ら達から聞いています。
森の人々に、衣服を手渡し、祖父の介入で、自分達の世界の文字を教え、言葉を聞かせたのです。
そして森の人々が見たこともない、様々な器に入っている美味しい食べ物を役人達は、森に運んで行ったそうです。
飲み物も運んでいきました。初めの時は、彼らはそれをお土産として、無理で配ったと聞いています。
とても美味しく、魅力的な食べ物、飲み物、それに大人も子供も虜になったのは当然でした。
しかし次からは、それを手にいれるためには、彼らの国の貨幣が必要でした。
禁断の味を知ってしまった森の人々は、珍しい花を、木のビーズで作ったアクセサリーを、動物の毛皮を差し出したと、聞きました。
しかし、いらないとはねられたそうです。私が住んでいる、時計の国の役人は、彼らのすんでいる場所となら交換しよう、
新しい住む家も、これをこの先、得れる貨幣が手にはいる、仕事もこちらの国で用意するよと、取引を持ちかけたそうです。
それを聞き、一つ、また一つ、長が決断を下し尊い民族が国の使いの者に、集落を明け渡したと、役人の知り合いが嗤って教えてくれました。
祖父は悲しそうに、教えてくれました。罪をおかした事を、死ぬまで後悔していました。
森の木の様に、大地に咲く花のように、無垢な心の森の人々は、こうして外へと連れ出されてしまったのです。
中には、決して離れまいと戦いう民族の者達もいたそうです。しかしはるかに大きな火の力を持つ、外の国には彼らは赤子の様だったでしょう。
集落を焼き払われ、諦め外へと運ばれ行く人達。そして森は、神聖な王の事など知らぬ国の所有物になり下がりました。
全てをおさめた国は、ここで有ることに気がつきました。彼らの持っていた『森の言葉』が、この世から消滅してしまう事です。
文明国を名乗っている時計の国としては、これだけは避けなくてはなりません。他国から、民族文化の迫害者としての、レッテルを貼られるからです。
それは大変不名誉な称号でした。なので私が選ばれ、こうしてそれを調べ、拾い、書き記す事をしているのです。
――たまたまでした。その少女と出会ったのは、その日は、協力してもらっている、街の居住区に住んでいる、まだ言葉を覚えてる皆と、森に来ていました。
葉っぱ一つにしても、民族によって色々な呼び名がありました。王に捧げ唄もそれぞれに美しい旋律のものが、口頭で伝えられています。
そしてそれは現在、猛スピードで人々から、忘れられてます。私は時折森に足を運び、それらを記録しているのです。
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
何処か、固い声が響きました。がさがさと音も聞こえて来ます。私はそちらに目をやると、厳しい視線の少女が、弓矢を手にしてこちらを見ています。
頭に大降りな花を飾り、黒の瞳のまだ幼い子供が、独りそこにいました。
見たこともないビーズの組み合わせの首飾り、細い手首にも幾重にも巻き付けています。
未知なる民族、おそらくそうなのでしょう、先程の声は、警戒のそれとわかりました。
共にいた皆も、幼い子供を目にすると、先ずは森の人々の挨拶をしました。彼らが言うのには、
何処かの民族の長の娘ではないかと、身分高い子供、と片言で教えてくれました。
私もそれにならい、礼をとります。気高き雰囲気を持つ、その少女は私達に自然にそれをとらせる、何かを持っていました。
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
彼女の言葉は、文字にすればこれだけです。私はあれから森にキャンプをはり、皆の手助けをかりながら、どうにか彼女の言葉を知ろうと頑張っていました。
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
優しく空に呼び掛けると、小鳥達が舞い降りて来ます。それを手に取り、私を見て
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
と旋律を変え、何やら教えてくれています。抑揚、声の高さ、低さ、それらを巧みに操る不思議な言葉。
街に移った人々も知らぬ、わからぬと首をふります。ただ私達に敵意がなく、彼女を敬う気持ちが通じているのか、
おそらく最後の、ただ独り遺された民族の幼い長は、触れさせてはくれませんが、私達を受け入れてくれていました。
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
色々なそれを聞かせてもらいました。私に興味があるのか、一日一回は、姿を現してくれました。
そして、花を指差し、動物を指差し、私を指差し、自分を指差し……
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
無垢にきらめく笑顔で、話してくれました。私は彼女と共に過ごす内に、知られてはいけないと思い始めてました。
幸い、独りで暮らしていける様子でした。このまま誰にも知らせないで、森で過ごせばいい……と、たまに私が訪れ、こうして彼女の言葉を聞けばいいと、思っていました
……しかし、それは儚い夢でした。
ある時、国に彼女の存在が届いてしまいました。お金に勤勉な、森の人々が役人に知らせたのです。
「知らぬ、長、いた、子供、女の子、最後の独り」
そして……幼い子供は保護統べし、との命令により、彼女は元同じ『見えぬ王』に仕えていた、他の民族の者たちにより、罠に嵌められ、捕らえられ居住区へと連れて来られたのです。
居住区の人々は、すっかり街の人です。彼女が運ばれて来たときには、珍しい動物がきた、と言わんばかりに、十重に二十重に取囲み覗き込みました。
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
心細くも、目に涙を浮かべながらも、彼女は強い視線で前を見て、彼らを許すまいと見返していました。
当然ながら、報償金を得るために彼女に手をかけた、元森の人々には彼女は心を閉じたままです。食事も取りません。
なので唯一の繋がりがある、私に彼女の世話をするように、と新たな命令が下りました。
居住区の離れた一角、彼女の為の家で住みこみで、向き合いました。
私は、先ずは水を汲み、部屋の隅にしゃがみこむ彼女の目の前に置きました。柔らかい食べ物も、でも私自ら薦めようとはしません。
野生の動物がそうであるのと同じで、警戒をされている内は、決して手を出さないとわかっていたからです。
声を上げて泣きたいだろうに、怖いだろうに、お腹もすいて渇いているだろうに、幼い長は、それに耐え、そこから動こうとはしません。
一日、二日、三日……流れる様に、無慈悲な時だけが、すぎて行きます。弱って行く子供、何も出来ない私。
医者を呼びました。しかし白い見たこともない人間が目の前に現れ、彼女は初めて恐怖の叫びを上げました。
押さえ込み、処置をすることもできたかもしれません。しかしそれをすると、彼女は壊れてしまいそうでした。いや、おそらくそうなったでしょう。
医者は、もう少し落ち着き、慣れたらまた来よう、と何も出来ずに、私に幾つかの薬を手渡し去りました。
しかしどうやって、薬を飲ませるのか、そして飲ませて大丈夫なのか?今までおそらく、摂取して事の無い『異物』を、今弱りきった身体が対応出来るのか……
頭を抱えて伏せる彼女。しかし決して泣き声を上げません。途方にくれる私。
気がつけば代わりに、私が声を殺して泣いていました。ぐっぐっと、声を抑えて泣くしか出来ません。なんて無力な私。
すると、彼女はそれに気がつき、潤んだ瞳で見上げて来ました。その色には、珍しい物を見る様な驚きがありました。
おそらく、大の大人がポタポタと床に染みを作る姿など、目にした事が無かったのでしょう。
視線がかち合い、何か……通じた様な気がしました。泣きながらふと思い付いた事を試しました。
私は彼女の言葉を真似てみました。心配しているよ。水を飲んで、と願いを込めました。
頭に飾っていた、萎れた花を頬に当て、横になっている彼女は、答えてくれませんでした。
私はせめてもと、やがてぐったりとして深い眠りに落ちた彼女を、部屋にあつらえてある、寝台へと運びました。弱り果てているのか気がつきません。
この時私は悩みました。この子を今森にひそかに逃がしても、野生の動物達の糧になってしまうだろう。
それがたとえ彼女の本望としても、私の決心はつきません。しかし元から居住区には森の人々を外にはだせぬと、見張りの兵士達が派遣されています。
私ごときが、この子を抱えて、そこを突破出来るとは、とても思えませんでした。
窓から、白い月光が差し込んできます。眠る子供顔を照らします。会った時は、森の妖精とはこの子をさすのか、そう思った姿はそこにはありません。
私は手を取りある民族の者から教えて貰った、月に捧げる唄をうたいました。
幼い子供に、月の光よ
優しい眠りと 夢を運べ
光のしずく 大地に届け
あしたに 開く花に 光をあたえよ
何回も繰り返しました。心の中ですまない、すまないと謝りました。最初に出会った時に、知らぬ顔をするべきだったと……
『るーるるるる……』
それが届いたのか、わかりません。力なく目を開いた彼女に水が飲みたいと、そう言われた気がしました。
水を汲み、匙でゆるりと少しづつ与えました。にっこりと、笑ってくれました。美味しいと言ってくれてるのが、わかりました……
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
月の光に小さく、気高き声が混ざりました。そして……静かに、時がそれの後押しをしたよう。
この世から一つの言葉が、空に昇って逝きました。
私は深い贖罪の中で見送りました。最後まで涙を流さなかった、彼女の分まで溢れてとまりませんでした。
るーるるるる、ほうーほほほほう、私はそれを唄いました。何回も、何回も、彼女の分まで涙を流しながら、唄い続けました……
……愚かな私は、唄う事しか出来ませんでした。
次の日、私は国に頼み込みました。最後の民族の長として、敬意を払い森に還したいと……
『るーるるるる、ほうーほほほほう』
森の奥深く、風が木々を揺らして通りすぎて行きます。
最後の言葉が、それに混じり聞こえた様な気がしました。
るーるるるる、ほうーほほほほう
きっと笑っているでしょう、大地にあの花を飾り、そこで地に伏せ、泣いても、泣いても涙が止まらない、そんなに愚かな私を眺めて、
るーるるるる、ほうーほほほほう
笑って、笑って、そして私を、許さないで……
許してはいけないよ、いけないよ、ごめんね、ごめんね。
泣いても、悔やんでも、涙を流しても……時はもう、戻りません。
るーるるるる、ほうーほほほほう
最後の言葉が、何時までも、何時までも風の中で、さざめいていました。
愚かな私を……優しく包んでくれている、そんな優しい声が、辺りに広がっていました。
――この多種多様なモノで満ち溢れる世界から、唯一遺された……民族と言葉が消滅した時でした。
『完』