2話 ハカイリョク、ハンパナイ
「ねえ、お腹すかない? 何か用意しようか?」
私は重い気分を振り払うように努めて明るく言うと返事も聞かずに立ち上がった。冷蔵庫には昨夜作ったがめ煮――あ、筑前煮のことね。私が住む福岡では年中食べるおかずだけどお正月料理の定番でもある――が入っている。
「がめ煮でいい?」
「うん、サンキュ。俺伯母さんの味付け好きなんだよね」
私が作ったことは伏せておこう。不器用な私も煮物ぐらいは作れるようになったのだ。
しっかしイケメンの破壊力半端ないな。
私はリビングをそっと盗み見る。こたつでみかんを食べているだけなのにただならぬオーラというか色気を醸し出している。
それは、きっと遼太のせいではない。……私がそう感じ取ってしまうのだ。生まれた時から側にいて慣れてたつもりだったけど……長く離れていたせいで私がこれまでためてきた経験値はすっかりリセットされてしまったみたいだ。
そっか、この人こんなにかっこよかったんだ。そりゃ、周りの女の子も目の色変えて私を警戒するはずよね。……ずっと理不尽だと思っていたけどなんか納得。
胸にストンと落ちるってこういう気持ちの事を言うのか。ひとつ勉強になった。やっぱり実際に経験した事は実感を伴って胸に残る。これがホントの勉強だ。子供たちにもこういう教育を……。
あ、いけない。現実逃避してしまった。何で正月から教育論を語っているのだ、私は! こういうところがダメなんだろうなぁ。私の恋が上手くいったためしがないのはこの性格が災いしているに違いない。
手早く二人分のご飯とがめ煮を温めるとトレイに乗せてこたつに運んだ。遼太はさっとトレイを受け取ると料理を並べてくれる。こういうこと自然に出来ちゃうところが憎い。
「頂きます、の前に……」
遼太は私の方に向き直るとかしこまった表情を見せた。
「え? 何……?」
「あけましておめでとうございます……いや、新年の挨拶まだだったな、と思って」
「あ、そ、そうだね。おめでとうございます」
私はぴょこっと頭を下げた。きっと今私の顔は真っ赤になっているはずだ。耳まで熱くなってきた。ここにきての真顔。……ハカイリョク、ハンパナイ……。
遼太はやっぱりイケメンだ。近くにいるとこっちが照れてしまうほどの。……でも私は特に遼太の顔が好みというわけではない。というか、小さいころから一緒にいすぎて意識したことがなかったと言ったほうが正しいのかも知れない。
実は、私、かなりのオジサマ趣味なのだ。中高生のころクラスメイトが同年代のアイドルや部活の先輩に熱中しているのをしり目に私は一人刑事ドラマや探偵小説の主人公にはまっていた。普段はちょっとくたびれたオジサマが時折見せるきりっとした表情にときめいたり、ミステリアスな過去に思いをはせたり……今考えても変わった女子学生だったと思う。遼太はもちろんそのことを知っていて『リカってファザコンだよね』なんて時折からかわれたりしていた。
……まあ、理想と現実は違うもので高校生活の終わりに初めて付き合った相手は同い年の男の子だったワケだけれども……。
「ごちそうさまでした。旨かったよ、これお前の味付けだろ?」
「うん……ばれたか」
「まあな」
遼太は何でもお見通しなんだな……。じゃあどうしてあの時私の気持ちに気が付かないふりをしたんだろう?やっぱり私の事はただのいとこで今後気まずくならない様にと先の事を考えたんだろうか?
「……カ、リカ」
「え? あ、ごめん」
気が付くと遼太は食器をトレイに片づけ始めていた。
「ほら、箸寄越しな。食器は俺が洗うから、お前、顔を洗って着替えて来いよ。あ、寒くない様に厚着するんだぞ」
「……どこかに出掛けるの?」
さっさとキッチンに行って洗い物を始めた遼太の背中に問いかける。
「俺は今日約束を果たしに来たんだ」
「え?」
「天満宮に初詣に行こう。……約束してただろ?」
「約束って……それ、高三の時の話でしょ?」
「そうだよ……八年越しの約束を果たすよ……しかし八年か、お前も年取ったな」
「失礼な! まだまだ若手です! 大体私たち同い年じゃん。でも、なんで急に今日なのよ」
「いいから。ほら、リカ早くして」
遼太は洗い終わった食器を拭きながら私をせかす。
いったいどういう事なんだ! 連絡もなしに急に現れて八年前の約束を果たすって。なんで今更……。
遼太の行動を不審に思いつつも、人をあまり待たせるのは悪いことだ、と私は急いで洗面所で化粧をして長い髪を整えると二階に駆け上る。
とにかく、外は寒いからスカートは無理! 黒のスキニーをはいて、トップスはグレーのタートルの上に白いシャツワンピをあわせた。……うーん、地味すぎる? 学校の先生をやっていると自然と華やかな色の服を選ばなくなってしまいワードローブは無難な服ばかりだ。どうしよう? インナーの色をもう少し明るいものにするか……?
タンスを何度も開け閉めしていたら昔買ったままにしていたきれいな空色のカットソーを見つけた。この服、気に入って買ったものの着ていく機会がなかったんだよね……。シャツワンピの下に着たら襟元からきれいな水色が少しのぞいてかわいいかも?
「うん、これでよし」
鏡に映る自分の姿にちょっぴり満足して頷いた。
コートとマフラーを片手に階段を降りると遼太はもう玄関で靴を履いていた。
「おー、化けたなあ」
「失礼な!」
「ごめんごめん……その青、いいよ。リカに似合ってる」
「うん、ありがとう……」
……遼太も素敵だよ。ざっくりとしたローゲージの白いニットにジーンズというラフな組み合わせだけどスタイルがいいのでスマートに着こなしている。
「行こうか」
「うん……」
「文句いいつつも急いで準備してくれるから、リカはホントいい子だよね」
う、確かに……。今日はどこにも行く気がなかったのに、つい急いで準備してしまった! デ、デートじゃないんだから服なんて何でも良かったのに。ちょっと気分も高揚している気がする。
私、思いがけない遼太との初詣をちょっぴり楽しみ始めているみたいだ……。
「先にエンジンを温めておくよ」
玄関先でカギをかけている私に遼太はそう声をかけてきた。
「あれ?車で行くの?」
「うん、あー、ちょっと寄りたいところがあって」
「あ、そうなんだ」
正月の太宰府天満宮の人出はものすごい。三が日だけで二百万人以上が参拝に訪れる、福岡で最も込み合う神社だ。だから付近はかなり渋滞する。小学生の頃は毎年一月一日に、天満宮にある遊園地に遼太母子と私の家族で遊びに行っていたけど、その往復はいつも西鉄電車だった。
西鉄二日市駅で太宰府線に乗り換えたら終点太宰府駅まで二駅。我が家の最寄り駅から電車に乗っても二十分位で到着だ。電車はぎゅうぎゅう詰めで苦しいくらいだけどね……。
私の家は太宰府市に隣接する市にあるから普段なら車でも二十分かからない。でも……今日は渋滞してるだろうなぁ……。
私はちょっと心配しつつも助手席に乗り込んでシートベルトを締める。
「裏道使うから少しはましだと思うよ……一応地元だし。」
遼太はそう言ってニヤリと笑いエンジンをかけた。家の近くはまだ比較的スムーズに車は流れている。
「この車、リョータの?」
「そ、いいだろ?」
「うん、かなりいいよ」
遼太の車は黒のセダンだった。正直、私の趣味ドストライクだ。オジサマ趣味バンザイ! ミニバンやスポーツカーとは違う萌えポイントがセダンにはあると私は思う! なかなか友達には理解してもらえないけど。
「俺も知らないうちにお前のオヤジ趣味の影響を受けていたんだな……結局セダンを選んでしまった」
「え?何、気に入ってないの?」
「いや、気に入ってるよ。それに今お前が喜ぶ顔も見られたから良しとするよ」
「…………」
遼太の笑顔に私の鼓動が跳ねた。
私は運転している遼太の顔をそっと見た。遼太は涼しげな表情で前を見つめている。私は車の助手席が苦手だ。近すぎる二人の距離に隣でドキドキしているのは私だけなのかな?
遼太はこの席に誰かを乗せたのだろうか? その人にもさっきみたいに笑いかけたりしたんだろうか……。沈む気持ちと呼応するかのように車のスピードも落ちてきた。さすがにお正月だ。道が混んでいる。
「これ、結構時間がかかりそうだな。そこのコンビニに寄っていいか?」
「いいよ」
「ちょっと待ってて、コーヒー買ってくる」
コンビニの駐車場に停めて遼太は車を降りた。残された私はこれ以上何も考えたくなくて目を閉じる。
「ごめん、レジが混んでた。はい、コーヒー」
しばらくして戻ってきた遼太は私にあたたかい缶コーヒーを渡すと車を出した。
「ありがとう」
コーヒーは微糖のミルク入り。高校生の時に私が好んで飲んでいたものだ。
覚えていてくれたんだ……嬉しいな。
でも、やっぱりあのころから時間がたったことを改めて思い知らされた。
「甘い……」
私は今コーヒーを飲むのに砂糖もミルクも必要ない。
私たちの時間は高校三年生のあの日で止まっている。