1話 いい話、ないの?
「んぁー、寝すぎたー」
私はベッドの上で体を起こすと大きく伸びをした。枕元の目覚まし時計の針は十二時をまわっている。ベージュの遮光カーテンの隙間からは冬らしい白い光が漏れていた。私はカーテンを開けようと立ち上がる。
「寒っ」
部屋はかなり冷えていて急いでカーディガンを羽織る。
「あ、カレンダー去年のままじゃん」
もう年が明けたというのに壁にかかったカレンダーは十二月どころかまだ十一月のまま……。え、だらしがないって……? 確かにいい年をした大人として恥ずかしいと思う。でも、言い訳をさせてもらうと十二月は本当に忙しかったのだ。
ほら師走っていうじゃない。あれ、ホント。本当に先生は走り回るものなのだよ。……ま、十二月に限らないけど。
仕事柄四月はじまりのカレンダーを買っておいて良かった。十一月と十二月のページを破ると正月らしい華やかなフラワーアレンジメントの写真が現れ、私の部屋にもやっと新年が訪れた。
ちなみに十二月の写真はクリスマスの花のアレンジだった。クリスマスのページを飛ばす人生って……。なにも聞かないで欲しい。
窓の外には青空が広がっている。冬のこのちょっと薄いブルーが好きだ。冷たい空気を思いっきり体に取り込むと気持ちがきりっと引き締まる。
「いい天気だなー」
ふふっ、なんかこんなに晴れていると気分もあがるよね。新しい年が来たんだ。去年の事は忘れよう。今日から三日まで仕事はお休み。……三日に行こうかどうかちょっと迷っている予定が入っているのが引っかかるけど、うん、まだ時間あるし……。正直、引きこもろうって決めたら休みの間はゆっくり家で過ごしたいタイプなんだけどな……。まいいや、とりあえずキッチンに行って水でも飲むか。
私は自室を出て降りなれた階段をトントンと下った。
「ふんふんふ~ん」
よくわからない鼻歌を口ずさみながらキッチンへ。
「ごきげんだな」
ん?
突然リビングから聞こえた低い声に私は驚いて振り返った。
「おはようリカ、っても、もう昼だけど」
誰もいないと思っていたリビングのコタツにいとこの遼太が座っていた。
「へ? リョータ……? オハヨ……え? えぇぇえええ?」
びっくりしすぎて心臓が止まるかと思った。なんで遼太がうちのリビングのこたつでみかん食べてるのー!
「伯父さんと伯母さんと宗像大社に初詣に行くっていうからお袋を送って来た。三人はもうとっくに出かけたぞ」
たしかに夕べ母から叔母さん――母の妹で遼太のお母さんね――と初詣に行くって聞いてたけど……。
「寒ぃだろ?とりあえず突っ立ってないでこたつに入れよ」
「う、うん……」
遼太はみかんを食べる手をとめてこたつの上のお盆に伏せてあった湯呑を一つひっくり返すと慣れた手つきで保温ポットのお湯を急須に注いだ。
私は差し出された湯呑を受け取りながら礼を言う。
「あ、ありがと……」
あいかわらずマメだ。正直遼太はそこいらの女の子より気が利く。
自分ちなのに客にお茶を入れてもらうって、どんだけダメ女なのよ、わたし。ううう。
「ぷっ、あはは」
恨めしそうな私の視線には気づかず、遼太はいかにもお正月! といったお笑い番組を見て笑い声をあげた。
うーん……この状況、起き抜けでまだよく理解できていないんだけど……。
遼太、久しぶりに会うな。元々イケメンだったけど会わないうちにさらにかっこよくなっている気がする。肩幅も広くなってなんかすっかり大人の男の人だ。
そりゃあ、そうよね。同い年の私だって大学出て働き始めてもう四年になる。……うちのリビングに父親以外の大人の男性がいるのって違和感がすごい。知らない人みたいだ……いや、でも遼太だよ。子供の時から知ってるじゃん。意識するのは変だよね。……う……ん、みかんでも食べるか?
「あ、年賀状……」
何となく落ち着かず視線をさまよわせているとみかんが盛られたかごの横にゴムでまとめられた年賀状があるのに気が付いた。
「はい」
遼太が手渡してくれる。
軽く確認するとすべて私あてのものの様だ。例年通り父が仕訳けてくれたらしい。まずは名前を確認しながら三つの山に分けていく。
「これ、どういう基準?」
「え、ああ、この山は友達とか親戚、これは同僚とかそういう仕事関係者、でこっちが児童だね」
「へーぇ、ね、ちょっと見てもいい?」
「え?いいよ……いいけどちょっと恥ずかしいな」
私は今度はゆっくり一枚ずつ年賀状に目を通して、済んだものから遼太に渡していった。
「小学生はかわいいな、この子たち何年生?」
「五年生……かわいいよ~!私にとってこの学年は特別なんだ」
子供たちの年賀状は家族写真がプリントされたものが多くて見ていて楽しい。親子ってやっぱり似ているんだよね~。みんないつもよりちょっとよそ行きな丁寧な文字で『今井先生、今年もよろしくおねがいします』って書いてあったりしてそれもかわいい。
「私ね、大学卒業して最初に担任したのがこの学年だったの。当時はまだ二年生でね。……正直三月まで女子大生だった私が四月には二年三組のクラス担任として家庭訪問したりするわけ。もう、ホント毎日毎日いっぱいいっぱいでさ。運動会や、音楽発表会とか初めての事だらけでもう大変だった」
「確かに、学校の先生って特殊だよな。入社直後から独り立ちって普通の企業じゃありえない話だろ?」
「初任だから一応指導教員はつくんだよ。ま、私も大変だったけど……子供たちも大変だったと思う。学校行事とか私より子供たちの方が詳しいからホント助けられたし、当時は上手くクラス運営できなくて申し訳ないな、って気持ちが強かったかな」
「そっか……」
私は年賀状を置くとひとくちお茶を飲んだ。
「温まる。……そのあと四年生、三年生の担任をして今年ついに五年生を持たせて貰えたの。五年生は算数も難しいし自然教室もあって大変な学年なんだけど私は初任の時に受け持ったこの子達ともういちど向き合いたいってずっと思ってたから任せてもらえて嬉しかったんだ。絶対今度は六年生に持ち上がってこの学年を卒業させたいって頑張ってる」
「リカ、ちゃんと先生してるじゃん」
「そりゃ、まあね。そーゆーリョータは役所の仕事どうなのよ?」
「俺? ま、俺もなんとかやってるよ。今年後輩もできて今はそいつの指導もしてる」
「へーすごいじゃん」
「まあな」
なんか不思議……遼太とこんな話をする時が来るなんて。あの時は考えられなかった。それなりに時間がたってお互いに大人になったってことなのかな?
私は年賀状の続きを手に取って、固まってしまう。
佐藤俊哉先生……丁寧で几帳面そうな字で『三日楽しみにしています』と添えられている。
佐藤先生は今年度、私が勤める小学校に移動してきた。三歳年上の二十九歳で真面目でいい先生だ。誠実な対応で保護者からも人気があり子供たちの心もギュッとつかんでいる。本当にいい人だ。……いい人過ぎて困っている。昨年末『正月休みに映画を見に行きませんか』と誘われて断ることが出来ず、ついに約束してしまった。これまで何度も断ってきて、さすがにもう断りづらい。はぁ……。
遼太は私からその年賀状を受け取ると顔をあげずに言った。
「いい話ないの?」
「え?」
「結婚とか」
「ないよ、ないない」
「……つまんないの」
ヤバイ、どうしよう、急に胸がドキドキしてきた。
「そ、そーゆーリョータは?」
「俺? そんな話があったら一月一日にお前とこたつでみかんなんて食ってないでしょ?」
「そ、そーだよね」
私、今あからさまにホッとした顔しなかったよね。うまく平静を保てたよね。
ヤバイ。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ! 今かなりヤバイ話の流れだった!
今、一瞬ですごい沢山の事を考えた! 何だろう、たまにこういう時がある。頭が急にフル回転しだすんだ。
『もしかしたら遼太が急に現れたのは自身の結婚の報告なんじゃないか?』ってマジで焦った。私が焦るのも変だけど、そういう日がいつか来ることも覚悟はしていたつもりだったけど……。
はぁー、ホッとした。そっか……遼太、今フリーなんだ、ってホッとしている自分に腹が立つ! ダメじゃん、私! 全然吹っ切れてない!
高三のあの冬からずいぶんたった。このまま暮らしていれば私は遼太の親戚という立場でずっと彼と関わることが出来る。いつか、彼が結婚して子供が出来たりしても見守っていける。その権利だけは失いたくない。決定的な終わりを迎えるのだけは嫌だ。
それなりに仕事にも慣れて大人になったつもりでいた。でも私は今も臆病なまま。
こんなこと、年明け早々気が付きたくなかったよ……。




