第8話 女子高生の制服にはパワーがある
学校って好きか? 俺は好きだよ、だって女の子がいるし。え? 男子校に通ってるやつ? 知らねえよ、ホモなんじゃねえの。
さてだからというわけではないが、俺は高校へ来ていた。
十数年前――異世界へ転生する前の俺が通っていた学校だ。ぎりぎり東京二十三区の外にある、そこそこ進学校で知られる私立井の頭高校。
女子の制服が可愛い――と評判なおかげか、気持ち女子の割合が多く、だかろいうわけか、単に家が近いからから、俺が通っている高校だった。
「相変わらずだな。ちっとも変わっていないな……」
もっとも現実の時間では、俺が最後に来たのは昨日なわけで変わっているはずもない。十七年弱という歳月が俺の中では経っているものの、もちろんそれくらいで薄れるような思い出でもない。
「俺にとってのゴルゴダの丘だからな……」
あれ、ゴルゴタだっけか? と少し考えるが、どっちでもいいことに気づく。
俺は意を決し、校門をくぐった。
久しぶりの登校だった。
感慨深いな。
惜しむらくは、俺は女子で、女子の制服を着ているということだった。
もっとも俺が男で女子の制服を着ていたら、それはもうもっと悲惨なことに――いや待て、俺はイケメンだし、中性的なベリパピフェイスだから女装ぐらいお茶の子さいさいなではないだろうか。
ん、お茶の子って誰だ? 千利休かな? あいつが女装? 無理だろシャモジみたいな顔したおっさんだぞ。
「大丈夫、だよな……女装ってバレないよな。いや、今の俺は女、それも美少女だ……だからただの変装か……制服を着ているし問題は……」
緊張からぶつぶつとつぶやく俺。不審者度を上げながらも、そそくさと端の方を歩いていたが。
「おい、あいつ見ろよ」
「何だ、誰だあいつ」
と数名の声がした。
まずい、何でだ。俺が何かしたのか? まだ何もしてないぞ、まだって何だ? 俺はこれから何をするんだ?
俺の目的は単純なことだった。それは――。
◆
「こっちの世界の俺はどうなったんだ?」
普段は低血圧な俺だったが、どこかの誰かが腹に肘を入れてきたせいで、俺はすっかり目覚めていた。女の子のお腹になんてことを! くらえいっと枕を投げつけると、勇者ラプスもふがふが言いながら起きた。
「ネクロは……死んで転生して、今ここにいるんじゃないのか?」
あくびをしながらも、存外まともなことを言うラプス。
「いやそうなんだけどさ。じゃあ、俺の身体はどうなったんだ? 普通なら屋上から落ちて――」
「べちゃん?」
「やめろっ、生々しい擬音使うな!」
しかしまあ、そうだ。
俺はぐっちゃりと潰れて、血を出して――って別に具体的なことは良いか。ともかく俺の死体が、こっちの世界に残っているはずなのだ。いるというかある? 残っている?
でも昨日の様子を見る限り、母さんたちは俺のことなんて特に気にもかけていなかったから、何かしらの連絡が来ているということはない。学校とか病院とか警察とかから、もし落ちているなら家に連絡が来るはずだ。
息子が学校の屋上から落ちた――という連絡が来ていてあの様子だったら、俺の両親は飛んだサイコパスだ。
実際には何の連絡もない、と母さんも言っていた。
そこで俺が部屋にあった自分のスマホを使って「今日は帰らない」と連絡をしたわけだが。
そもそも俺の部屋にスマホやら鞄やら制服があったことが謎だった。
俺はあの日、こっちの世界の最期の日、制服を着てスマホと鞄を持って学校へ行ったはずなのだから、この部屋にこれらがあるはずはない。
何がどうなっているんだ。
俺はしっかりと休んだ後の灰色の脳細胞で考える。そういえば灰色の脳細胞って別に賢いって意味はないらしいな。じゃああれだ、明晰な頭脳だ。俺の天才的な脳みそは朝食を求めていた。
そして腹がいっぱいになると、血液は胃へと流れ、俺の思考は停止した。
魔王もまだ眠っているのか、声をかけても返事はない。だいたい身体の中にいる、って言われても俺はどうやって呼べば良いかわからないから、鏡の前に立って「お前は誰だっ!」と言うぐらいしかできない。
まあガキだし、昨日は遅かったからまだ眠っているんだろうな。
そして俺は、学校へ行ってみれば全てわかるのでは? と思いついた。でもこの姿で行くのは――と俺は部屋のクローゼットに女子の制服が一着あることを思い出す。
この制服はいろいろろ訳あってこの部屋にあるわけだが、当然窃盗などはしていないのであしからず。
俺はおもむろに制服を来た。
変態? 俺は美少女だぞ! どこが変態か!
鏡の前に立つ。うむ、似合うな。ちょっとサイズが小さいか? それでいて胸はなんだか緩いような。と言っても許容できるレベルだ。端から見ておかしなところもない。
素材が良いと何を着ても似合うものなのだ。
まさしく美少女であることを逆手に取った名案――。
◆
と思っていたがこれはどういうことか。
朝のちょっと早い時間、まばらな生徒たちが俺をじろじろと見ている。何だよ、やめろと見世物じゃねえぞ。
やばい、逃げた方が良いか? でも今逃げるとまじで通報とかされそうだしな。
「……あの子やばくね、超可愛いくね?」
「つか外国人? あんな子いなかったよね、転校生か?」
「あれだろ、交換留学生ってやつだ」
ん? あれ、これは。
ははは、そうだよな。そうだよ、俺って美少女なんだよ。美少女が不審者とかないから。例えホワイトハウスだって顔パスで通れるっての!
俺が美少女だから注目を集めていたのは仕方ないことだったわけだ。
くくく、そうだ! 俺は美少女だぞ! もっと見ろ!
って違う違う、落ち着け。
「は、はろーかりすぺらー」
とりあえず適当に挨拶してみたが。
「おお! やっぱりそうだ、外国人だ!」
「いやいや見たまんまそうだろ。あれが日本人だったらむしろビビるわ」
「かわえええっ!」
思いの外大好評だが、これも違う。俺はもっとスパイ的なノリで来たはずなんだ。言うなればキザなこそ泥的なあれで。
しかしどうしようかと手をこまねいている内に、どんどん人が集まってくる。
「君、留学生だよね?」
「あれ、もしかして転校生? 何組? というより何年生なの?」
「おれ、運命って言葉を君に教えたいな。君の国じゃなんて言うんだろう」
まずい、逃げられないぞ。
こうなったら魔法で――でもさすがに同じ学校の人間をこうもたくさん手にかけるのはちょっと、俺別に猟奇殺人鬼とかじゃねえし。
そもそも昨日の夜のことからしても、魔法はろくに使える自信がない。
どうしたらいいだんだ、ああ、もうこんなことならラプスも連れて来れば良かった。
「ちょっとちょっと! みんな何してるの! 校門前で邪魔になるでしょー」
人だかりを割って、近づいてきた声。
耳通りの良い、はつらつとした女の声だった。
「げっ、風紀委員長だ。逃げろ逃げろ」
「ち、違うんですよ、ぼくは脅されていただけで!」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく生徒たち。
そうか、聞き覚えがあると思えば風紀委員長――梢桐初美(※1)だった。
顔も良く、胸も十分ある一学年先輩の女子生徒なのだが、風紀と相反する存在である俺にとっては天敵とも言える相手だった。
表情はいつも朗らかな笑顔。
誰に対しても人当たりは良いのだが、公使ははっきりと分けることで有名。
笑顔で人を裁く――そういう女だ。彼女にとってルールとは絶対であり、友情よりも、どんな恩情よりも、同情よりも上なのだ。
彼女の前で秩序を破ることは、それはすなわち学校での死。
死を恐れた愚かな生徒たちが逃げ惑うのも無理のない話だった。
「あなた大丈夫かしら?」と優しげに声をかけてくる梢桐先輩だが、次には「あらあなたここの生徒じゃないわね。警察に通報しましょう」とか言うに決まっている。
彼女には冗談とか通じない。
不法侵入者であれば、在校生の親戚だろうがOBだろうが異世界転生した美少女だろうが何だろうと、それは不法侵入者なのだから警察に知らせるのがルールなのである。
待て、もしかしたら守衛を挟む可能性はあるな。守衛からの警察ルート。
何が違うのかって?
守衛なら警察や梢桐先輩と違って情けがあるのではないか? 守衛は普通のおっさんだ。美少女である俺がちょっと色目を使えば、無罪放免の可能性すらあるな。
「……あら、あなた」
「守衛! 警察じゃなくて守衛に! どうかお願いします!」
「可愛い顔ね。どうしたの慌てちゃって、タイが曲がっているわよ」
「あ、どうも」
梢桐先輩は優しげな笑みを浮かべながら俺の胸元のタイを整える。
「それで守衛がどうかしらの? 何か用があるなら守衛室までついて行きましょうか? どうもあなた気が動転しているようだし」
「……え、いや、別に」
あれ? 何だ、おかしいな。
昔、俺がちょっとしたブツを学校へ持ち込んだ時は――。
「違うんですよ! これはそう、保健体育の参考書なんです! 教科書に載っているようなちゃちなイラストじゃ、俺は女性の身体の何たるかがわからないんですよ! だからこれは勉強の道具であってですね!」
「ふふ、赤須君ってとっても面白いこと言うのね」
「あーいや、別にそこまでじゃ、先輩も顔は可愛いし胸も素敵ですよ。良かったら俺と一緒に保健体育の座学を――」
「反省文十枚、明日までに担任の先生へ提出してね。後これは没収します。ちょっとこれは反省文を出した後でも返せないと思うから、悪いけどどうしても返して欲しかったら親御さん経由になると思うわ」
「……いや、それは」
母親経由でエロ本返してもらうってどんな罰則だよっ!
つうか十枚っ!? エロ本持ってきたことに対して十枚も何書けば良いんだよ、胸か!? 胸のことで良いのか!?
とそんな感じだった。
血も涙もない、慈愛の笑みに冷血が流れる風紀委員長なはずなのに。
「ちょっと人だかりで驚いちゃったのかな? 少しどこかで座って休む?」
とまさに顔だけでなく、言葉も優しい。
おかしい、ニセモノか?
「……あ、あの、通報しないんですか?」
「通報? あら、相変わらず赤須君はおかしなこと言うわね。確かに迷惑だったと思うけれどさすがに通報はしないわよ。そうね、あそこにいた生徒たちの名前と顔はわかるからあとで反省文を三枚ずつは……」
「え?」
今、なんて言った?
「あの、今、赤須君って」
「あらいけない! どうしてかしら、うっかりしていたわ。赤須さん、よね。ごめんなさいね、こんなに可愛いのに男の子みたいに呼んじゃって」
「いやそんなことより……」
どういうことなの、本当に。
赤須暗真(※2)が学校へいることは別におかしくない。
在校生だ。だから学校の敷地内へ入ったところで何も罰せられることはない。警察どころか守衛にだってたたき出されることはない。
でも、今の俺は美少女だぞ?
異世界に転生した、美少女魔法使いリリカ・ネクラマ・パーテーション(※3)だ。
なのに、何で今、こいつは「赤須」って呼んだんだ。
「ち、違う。私……俺は……」
何が、何が起きているんだ。俺は女子高生のコスプレをしておかしくなってしまったのか(※4)!?
※1 梢桐初美
捨て犬を見つけて「可哀想に、こんな可愛い子犬なのに」ってなでた後、真顔で保健所に連絡する。「だって野良犬を見つけたらそうするものでしょう?」とか言う。血も涙もないんだよ。こいつにあるのは笑顔だけ。仮面のような、心のない笑顔だけ。顔は良いんだけどね。
※2 赤須暗真
井の頭高校切っての美少年。その嘆美さは絵画や彫刻のような芸術品と何ら遜色はないと一部では噂されている。と、思うのだが俺の耳には届いていない。まあ本人の前で噂話するやつなんていないからな。
※3 リリカ・ネクラマ・パーテーション
リリカは異世界の親につけてもらった名前だけど、呼ばれるのには抵抗があってずっと嫌がっていた。だってリリカだぞ。お前いきなり今日からリリカだって言われて、はいそうですかって納得できるか? でもまあ、せっかく名付けてもらったのに、少し悪かったかなとも思う。腹を痛めて生んでくれた母さん、バカみたいに可愛がってくれた父さん。元気にしているかなあ。最後に手紙出したのも結構前だな。
※4 コスプレでおかしくなる
もちろんおかしくなんてなっていない。間違っているのは俺じゃない、世界の方だ。早く正しい世界に、元の姿に戻らねばならない。希望としてはあと三時間くらいで。