第7話 嘘つきは誰だ
嘘を吐かない人間はいないのかも知れないが、少なくとも俺は自分の気持ちに嘘を吐いたことはない。
その代償として、大事な幼馴染みにちょっとした嘘を吐いて、カッターナイフで切り裂かれそうになって、屋上から飛び落ちて、異世界へ転生してしまった。
仏教の転生では今世での行いが良いものであったか悪いものであったかで、次に転生するまでの時間や、転生した後の姿が決まるとどこかで聞いた覚えがある。
つまり生きている間に悪行ばかり重ねた人間は、死んだ後生まれ変わるまで長い苦しみを受け魂を浄化させ、そのあともハエとかセミとかシャモジとかそういったものに生まれ変わるわけだ。
もしそれが本当なら、ノータイムで美少女へ転生した俺の生き様はやはり正しいものであったということなのだろうけれど、やっぱり最期に見た大切だった幼馴染みの顔を思い出すとそうとも思えない。
俺自身は別に、仏教徒じゃないしな。だって仏って基本男しかいないんだもん。女よ、女。俺は女を求めているのだよ。
って女に生まれ変わってしまうと、いやそういう意味で女を求めていたわけではない、と声を大にしてツッコミをせざる得ない。人生(来世まで)を張ったボケがしたかったわけじゃない。俺はさっさと男に戻りたいのだ。
せっかく色々あって異世界から元の世界へ戻れたのだから、あと少しだ。
あと少しで、俺は人生を――元の生活を取り戻せる。
「だから魔王、俺を男に戻してくれないか? ほら魔法でちょろっとさ、チンプイプイって」
「……お主、妾の話聞いてる? さっきまで勇者の話してたよね」
俺と一緒に、お風呂に入っている魔王は呆れたように言った。
魔王は長い赤い髪を湯船へ浮かべている。なんて女子力(※1)の低いやつだ、俺はちゃんとタオルでまとめて湯船には入らないように――って俺が女子力高くてどうするんだよ!
「勇者、ラプスのことだろ。つってもだよ、騙されてるって言われてもあのアホに? そんなわけないじゃん。あいつの知性は三歳のチンパンジーと良い勝負だぞ、俺がラプスに騙されるってのがまずあり得ないし」
勇者の証だった伝説の聖剣を折って、旅の後半はそこらで売っている鉄剣で済ませていたくらいのアホだぞ。その鉄剣であっさり倒されている魔王――こいつも大概のアホと言えるけど。
「アホかどうかは関係ないの。さっきの話、ドラゴンを討伐した時の話よ。ちょっとはおかしいと思わないの?」
「……別に? 何もおかしくないと思うけど?」
ドラゴンにあっさりとやられて服を脱がされ交尾直前までいった以外は特に何もしていない俺が、ドラゴン退治で得た報奨金の半分と竜殺しの栄誉を半分もらっていることがおかしいって言うことか? 全然おかしくないだろ、何にもおかしくないよな。
「ドラゴンを倒しに行くとき、勇者とお主は崖上から近づいたんでしょ?」
「ん、ああ、そうだな。それで谷の深さと同じくらいのドラゴンがいてね」
「それよ。普通ね、ドラゴンみたいな大型の魔物に対して近づく時はなるべく目線は避けるの。何でわざわざ目線に合わせてるわけ」
当たり前でしょ、と魔王。
なるほど、確かに言われてみれば上から近づくより、谷底からの方が気づかれにくそうだ。あの大きさなら足下の方が視界へ入りにくいだろうしな。
「俺はドラゴンのこととかよく知らなかったし……ラプスも知らなかったんだろ、ほら、あいつアホだから」
「本当に? 勇者はアホかも知れないけど、冒険や戦闘、魔物に関しての知識はあるみたいだったけど?」
「……まあ、そういえばそうだけど」
初めて助けられた時もそうだった。
あいつは魔物との戦い方は詳しかったし、逆に何も知らない俺のことをよく叱っていた。「あーうん、うっさいうっさい、その内勉強しますよ」っていつも聞き流してたけど。
「しかもお主は実際襲われるまで、ドラゴンの習性やそのドラゴンが交配次期だったことを何で教えなかったんでしょう?」
「……それはそうだけど」
ドラゴンが暴れている――とは言っていたけど、詳しいことは教えてもらっていなかった。確かにそうだけど。
「でも聞かなかったからだろ。うん、あいつ空気読めないからさ。何で教えなかったんだーって言ったら、だって聞かなかったし、って真顔で返してくるやつだ」
ありありと想像できた。
それに比べてあいつが人を――俺を騙すとか考えられない。
「あいつは、アホだしあいつのせいで俺が危険な目にあったことや襲われそうになった目もあるけどな……けど、いつも助けてくれてきた。騙すね……やっぱりあり得ない。まず騙してあの勇者が何の得をする? そして何より第一に証拠がないだろ」
俺は湯で温まり、だらしない顔を浮かべる魔王に言う。
「魔王は何を根拠に勇者を信用するななんて言った。倒された腹いせじゃないだろうな? 悪いけど、俺はお前とラプス、どっちを信用するかと言われれば、ラプスを信じる」
三年間、一緒に旅をしてきている。この信頼関係はちょっとやそっとでは崩れることはないはずだ。
魔王の胸があと二回り大きければ、その限りではなかったかも知れないが。
「……証拠ね。証拠と言えるかわからないけど、妾は魔王だから、人の心――邪悪な感情、汚れた気持ちが見えるの」
魔王は両手を皿にして湯水をすくい、手の上の水面を眺める。
そのまますっと水を飲んだ。
「え、え? 何してんの?」
「ふふん、お主の味がする」
「し、しねえよっ! そもそもお前も入ってるだろっ!?」
魔王怖ええええ。いきなり風呂の水飲むなよ。わけわかんねえし、話の流れ忘れるだろ。
「あの、何だ。お前は人の悪い心が見える的なあれなんだよな?」
おそるおそる確認する俺。俺には魔王の邪念に満ちた魂がよく見える気がした。
「そうそう。魔王特有の能力みたいなものでね。基本的にはそんなに使う能力じゃないんだけど、復活するときの依り代選びに便利なのよ」
「ああ、あれね」
その復活の依り代とやらに選ばれたのは俺だ。
魔王は人間が背負う罪の感情に寄って復活の生け贄たる依り代を選ぶとかで、俺の世界を股にかける性欲という大罪が魔王にとって最適な身体と選ばれたわけだった。
「――よな?」
「性欲……? 別にそういうのでお主を選んだわけじゃないけど、まあそれ以外は概ねその通りね」
「ふぅん。そうなると、邪悪な感情が見えるってのもあながち嘘じゃなさそうだけど。で、その話だとラプスはどうなの?」
「……どす黒いわ。あんな心の色、初めて見たくらいよ。あんな色の人間、絶対信用しちゃダメ」
赤い髪の魔王は自分の言葉に、少し脅えているようだった。身震いするかのように。まじっぽい空気に、俺もちょっと気まずくなる。
「え、えと、ちなみに俺は? あれだよな、その話だと、俺も黒いんだよな? 漆黒ってやつか、ははかっけーじゃん、黒の魔法使いってやつ」
「いや、お主はピンクだよ」
「ぴ、ピンクっ!?」
ピンクってどういうことなの。ねえ、それはいったいどういう意味なのさ。
◆
「ピンクか……ピンク……桃色……あれ、やっぱり性欲的な何かじゃ?」
「どうしたネクロ、独り言なんて珍し……く、はないか。よく独り言言っているか」
風呂上がり、部屋に戻るとラプスは意外なことにまだ起きていた。
てっきりとっくに眠っているかと思ったけど。
「え? そんなことないだろ、俺は独り言なんて言わないぞ」
「独り言って無自覚なものだからな」
ラプスが言うことはその通りかも知れないが、俺が独り言? そんなおっさんみたいなことするかよ。って、それよりも。
「……」
「どうした? 私を見つめて」
「いや、相変わらずアホ面だなと」
こんなやつが、邪悪? 悪魔のような魂? そんなわけない――だろ。と言い切りたいが、疑いの感情がほんの少しだけ生まれていることは事実だった。
仮に魔王の話が本当であったとしたら、こいつは今まで俺を騙していたのか?
ドラゴンの時や、他の――。
王城に戻ったときバカ王子に夜這いそうになったのも、ゴロツキにまわされそうになったのも、危うく奴隷として売り出されそうになったのも、他にも他にも――。
まさか初めて会ったときのゴブリンに襲われそうになったことも?
「……あ、あのさ、ラプス」
風呂上がりに魔王が言っていたことを思い出す。
「あ、お前拭かずに出るな、びしょびしょになるだろ」
「びしょびしょ? へ、変なことを言わないでよ! 妾を何だと思ってるの、そんなにエッチじゃないし!」
「……お前こそびしょびしょを何だと思ってんだ」
仕方なく俺は魔王をバスタオルで乱暴にふいてやった。頭をがしがしタオルとやると「あうあう」と魔王が声を上げる。効いているようだ、次にこいつが敵対してきたらタオルで倒してやろう。
「身体を拭いてくれたお礼に、一つだけアドバイスしてあげるね」
髪はタオルで水気をはらっただけで、とりあえずタオルを巻き付けてやった。俺の方はドライヤーでしっかり乾かす。大事な髪だしな。
「証拠、もう一つだけあるわ。こっちは確実。その気になったらお主が――」
俺は頭を振って、言葉を切った。
「いや、すまん、何でもない」
俺がそう言うと、ラプスは「なら良いけど」とあくびをした。
こいつも眠そうだな。
ちなみに、家への帰り道聞いたところ、こいつが公園に来たのは本当にたまたまで、ベッドからずり落ちて起きたところ、俺がいないことに気づいて辺りを適当に探していたらしい。
ベッドから落ちて起きるとか……全く寝相の悪いやつだ。
しかしこいつが起きて、わざわざ外まで出て探しに来てくれなかったら、俺はどうなっていた。
そうだ、こいつはいつも俺を助けてくれてきた。こんなこと何度も確認するまでもない。
勇者ラプスを試す必要なんてないな。
「じゃあ私の方から聞きたいんだけど、あの子はどうした? というよりあの子は誰だ?」
「……え、あれは」
ラプスの疑問は当然だった。
俺だってラプスが見知らずのガキを連れて来たら色々と聞きたくなる。
しかし、あいつは魔王だ。
あいつが疑わしいことはさて置いても、魔王だということは信じて良いだろう。
で、魔王だって勇者であるこいつに、正直に話して良いものか。
いきなり切りつけることはしないと思うけど。
「あいつは……下で眠ってるよ。えっと母さんたちと、そう、あいつは俺の妹――」
妹はまずいな。
ラプスは俺の家のアルバム見てたし。家族の写真に一枚も写っていないのは不自然すぎる。ラプスはアホだから気づかないかも知れないけど。
「親戚の子だ。ちょっと家で預かっている」
「へーそうなんだ。美香代さんと話している時もあの子の話題は出ていなかったからちょっと不思議だな」
あれそうか。妹じゃなくてももし家で預かっていたら話題に上げるか? 俺とラプスも間借り人なわけで、同じ客人がいるなら紹介ぐらいしていた方が普通な気がする。だいたいカレーとか食っている時どこにいたんだってなりかねない。
「あーうん、あれだ、親戚というか近所の家の子供でな。たまに俺の家に遊びに来ているな。母さんの客というか俺の友達というかで、預かっているというのは嘘だ。母さんたちには内緒にして置いて欲しい。こっそり俺へ会いに来ているんだよ」
近所の女の子(十歳前後)が遊びに来る男子高校生って何だよ、しかも両親には隠して家に連れ込んでいる――犯罪だ、犯罪にしか見えない。
だが不自然なく説明しようとしたらこうなってしまったのだから仕方ない。
ラプスはこっちの世界のこととか詳しくないし平気だろう。
「へぇ……」
「あれだぞ、もう家に帰したから安心しろ! 偶然外へ出たら出くわしてな、公園でこんな夜遅く出歩いちゃ危ないだろって説教していたところに変な不良が来て絡まれてたんだよ。ははは」
良し、天才だ。即興にしては話のつじつまもおかしくない、よな?
「でもさ、ネクロって今の姿と、こっちの世界にいた時の姿って違うわけだろ? こっちの世界にいた時の友人なら、ネクロだって気づかないんじゃないか」
……あれ。そうだな、よく考えなくてもおかしい。
「はい全部嘘ーっ! 今までのやつは全部嘘です! 本当は公園に一人で女の子がいたからちょっとナンパ(※2)しただけでーすっ! でももう帰ってもらったから安心して! 近所の子だったから、家まで直ぐだし、送らなくても平気だって言うからさ!」
「ナンパか、なるほど」
ラプスはようやく納得したように肯いた。
俺のいろんな作り話の中でナンパが一番説得力があるとうのもどうなんろうな。
「ささ、もうあの女の子のことは忘れような。俺もあんなことがあったから連絡先も交換しないで別れたしさ。ははは、さっさと寝ようぜ」
「そうだな、私も眠い」
ちなみに、魔王は実際のところ、また姿を消して――おそらく俺の身体の中、と言って良いのか、魂の中と言うべきなのか、まあどっかにいる。今は眠っているようだが、呼べば出てくるとは言っていたな。
しかし、ラプスのやつ、なんだか妙に細かかった気がする。こんなに鋭いやつだっけか。俺がアホだと思っているだけで、実は狡猾なんてことも――って違う違う、俺がちょっと疲れで適当なこと言い過ぎていただけだろう。
あんなもんアホでも「ちょっと待って今の話おかしくない?」って気づいて当たり前だ。
俺はまた数秒と経たず眠っているラプスの寝顔を眺めて、少し離れた場所で毛布にくるまって眠ることにした。
明日は魔王を騙すか脅すかして元の姿に戻れるか試そう、と俺も眠る(※3)。
※1 女子力
俺の幼馴染みは「女子力って何?」と言うので「とりあえずスタバ」と答えたら、後日スタバでフラペチーノ五杯を一度に完食した写真を送りつけてきた。「どう最強っしょ?」女子力低っくうううううう、と思わず驚愕したが「すごいね」とだけ返した。俺は空気が読める男なんだよ。
※2 ナンパ
基本しないから。俺って偶然の出会いってのを大事にしたいしさ。この前スタバでちょっと勘違いしている系の大学生っぽい男が女子高生に「え、君のイノ高生だよね? おれもそこの出身でさ、いやあ偶然だね。偶然の出会いだ、連絡先交換しない? 今度カラオケとか行こうよ」と言っていた。そこに偶然的な要素はないだろ、全部お前が無理矢理造りだしているじゃないか。ある意味運命を切り開く男らしい男とも言える。ちなみにナンパは失敗していた。
※3 俺も眠る
ちなみに俺の幼馴染みはちょっとでもカフェインが入ると眠れなくなる。フラペチーノ五杯も一度に飲んだあの日は眠れない眠れないとメールが深夜三時まで続いた。続いたと言っても俺は眠っていて返信していないからただメールがずっと送られていただけだけど。