第5話 魔王より勇者
異世界で魔王を倒して、こっちの世界に戻ってきたと思ったら何故か部屋に魔王がいた。特に敵意もなく、少女の見た目をしているから特に問題もないかと思えば突然怒り出して家を飛び出してしまった。
さすが魔王だ。人間の俺にはわけがわからない。
魔王がどこかへ行ってしまう、というのは一見喜ばしいことのようだけれど、ちょっとした手違いで女の姿でいる俺が元の男に戻るために、おそらく魔王は利用できる。
女を利用するなど――と心が全くとがめないこともないが、相手は魔王。半日前には俺の身体を乗っ取ろうとして、ついでに異世界を滅ぼそうともしていた相手だ。利用して何が悪いのか。否、悪いことは一つもない!
――はずなのだけれども。
何故か説教されている。
夜更け前の公園で、ちびっ子魔王に説教されている。
「良い? 女が部屋を出たら何があっても直ぐ追いかけるもんだからね。お主のそういうところがダメなんだよ」
「いや何よ……」
「何じゃないでしょ! こんな軽薄そうな野伏せりなんかと楽しそうにしちゃって!」
「楽しそうって……」
「全く、妾が誰のためにこんな人間の多い世界にまでついてきてあげたと思っているのよ、もう」
誰のためって。
ん? 俺のためなのか?
俺の身体にくっついてきたから、俺のせいってのなら話もわかるけど。
もしかするとこいつは、偶然とか仕方なくではなく、わざわざ俺についてこっちの世界へ来たってことか? 仮にそうだとして、どうしてだよ。
どことなく言動から俺への好意のようなものがある気はするが、いくら女にベラモテの俺も昨日今日身体を乗っ取られたばかりの魔王相手に好かれる理由というのは思いつかない。
顔か? いやでも今は女だしな。美少女だけど。
こいつが生粋の同性愛者というなら話は早いが、同性愛者の魔王というのはどうなんだろう。魔物過ぎるないか、それ。
などと考えている間も魔王はぴーちく騒いでいたが、俺がどうこうするまでもなく、代わりの止めが入った。
「君の相手はオレがするよ。ま、最初に声かけたのオレだしね」
とニタつく不良の一人と、「くそぉ」と恨めしそうに自分の拳を眺めるもう一人。
さっきからじゃんけんをしていたが、どっちがどっちの相手をするか決めていたようだ。
まあ、勝った方が俺を選ぶのは当然だな。俺、美少女だし。
「オレ別にロリは範疇じゃねえんだけどなぁ」
「っせえな、でもほら、中々可愛いんじゃね? こっちも外国人っぽいし、洋ロリっての? ほらレアだし」
「女の子にはレアとか求めてねえよ」
と言い合っているが。
こっちからするとお前らはどっちがどっちという区別すらなく、両方ノーサンキューだった。
正直どっちがどっちかもわからない。俺のおにぎり代払ったのはどっちだよ。
何にせよ、今から魔法でもっと区別がつかないようにしてやるけどな。
俺は紅蓮の業火を右手に――。
「な、何よ! 小童ら! こいつは妾のものだからね、手出しはさせないからね!」
魔王が俺の前に立ちはだかって邪魔を――ではなく、おそらく守ろうとしている。
「何だよ、別に助けはいらないんだけど」
「ふふん、お主は黙って妾の背に隠れていれば良いのよ」
「……はぁ、まあそれなら任せるけど、あんまり派手にやるなよ。警察とか来たら面倒だし」
俺だって特段暴力が好きなわけじゃないからな。腹も減っているし、やってくれると言うならやってもらおうか。
俺は近くにあった公園のベンチに座って、おにぎりを食べることにした。
これから異世界の魔王がこっちの世界の単なる不良を虐殺するのか。退屈しないで済みそうだな。
俺は迷わず、ビニール袋から鮭のおにぎりを手に取る。久しぶりすぎて上手くビニールが破けない。あれ、横をひっぱって? じゃなくて縦だ、そう、こっちのヒモみたいのをこうやってだな。
「ん? 何お嬢ちゃんどうしたの?」
「お嬢ちゃんじゃない。妾は魔王、小童風情が気安く口を聞いて良い相手ではないぞ」
「魔王? あーその髪の色ってやっぱコスプレ的なやつなの?」
「えー外国人じゃねーの?」
「そりゃ、いくら外国でも赤はいねーだろ赤は」
「わかんねーぞ、いるかも知んねーだろエクアドル(※1)とかには」
呑気に魔王を無視してバカな話をする不良たち。可哀想に、お前らがそうやって笑っていられるのも最後だよ。
俺は十七年ぶりのおにぎりと、若者の無為な死にそっと涙した。おにぎり超美味い。え、不良? 百万人単位で消えても俺は気にしないけど?
「小童めらっ、くらえい!」
不良共の無駄話の最中に詠唱を終えた魔王の両手が空を払った。
天才魔法使いの俺には、魔王が使った魔法がわかった。
一言で言えば、空気の弾丸だ。
もっとも、しっかりと説明するとかなりややこしいのだけれども、すげえ早さでパンチすると手が当たらなくてもロウソクの火が消えるようなやつだ。――風圧みたいもんか? それのすごいやつだ。
魔法としてはそこまで難易度の高いものではないが、使い手のレベルによって威力はピンキリだ。
魔法を統べる王――魔王が使えば台風をボールサイズに圧縮してぶつけるようなもんで、あいつらの腹がえぐられ、四肢が飛び散り、そのまま近隣の家屋が凪ぎ飛ばされることになるだろう。
俺はおにぎりを食べながら、走って逃げなきゃな、と心の準備をした。
――のだが。
「って、なんか飛んできたぞ」
不良の一人が少しだけ驚いたように言う。
「あ、どうしたよ?」
「わかんねけど、なんか当たった」
「虫じゃね? カナブンとか」
「もう十月だぞ、いねえだろ」
と二人は見る限り無事だった。
手足はまだ胴体についているし、ちゃんと立っている。
どこも痛そうですらない。
あれ? おかしいな。思ってたのと違うんだけど。
「な、何なのこいつら……まさかこの世界の戦士? それもおそらくはかなりの熟練者――国の守り刀ねっ!」
そんなことはないと思うけど、と鮭おにぎりの最後の一口をほおばりながらのため、心の中で言う。
魔王は再び詠唱を始めた。あれだな、俺が忠告したから手加減したんだろうな。次こそは不良たちが血を見ることになるな。
「――臓物をまき散らすと良いわっ!」
魔王の詠唱は速く、正確であった。
天才魔法使いの俺も、さすがと言わざる得ない。
高密度の魔力が込められた妖精の言葉――こっちではただの日本語――は大いなる力を持って、不良たちの身体をむごたらしく……。
「って、なんだ、またなんか来たぞ」
「今度はオレもだわ、んだよ。本当に虫か?」
はい、なんとなくそんな気は薄々していた。
俺は昆布おにぎりをかじりながら、ぴんぴんしている不良たちを眺める。
うーん服がちょっと気持ち汚れたかな、ってくらいだ。
かすり傷すら負ってない。
「つうかそいつ、その子さっきから何かしてね?」
「え? 何かって何?」
「わかんねえけど、おもちゃの銃とかじゃね?」
魔王の魔法がおもちゃの銃(※2)扱いされている。どうしよう、昆布おにぎり食べるのやめた方がいいのかな。
「な、何なの。この強力な魔法耐性は……わかった、機械人間ね! 高度に発展した世界で生きる人造人間で身体には魔法耐性のある宝石を埋め込んでいるんでしょ」
うーん、こっちの世界もそこまで高度じゃないかな。機械人間――と言えなくもないのは携帯ショップとかにたまにいるけど。人造人間(※3)はちょっと。
「んだよ、いたずらはダメだろ。ほら隠しているおもちゃ出して、危ないから」
と不良の一人は魔王に向かって手を差し出す。
魔王はとっさに後ろへ飛び退き、魔法を唱える。今度も先ほどと変わらず、速く正確な詠唱ではあったが、動揺は隠し切れていない。狙いがわずかに逸れる――しかし胴体を狙った魔法はむしろ急所に命中した。不良の顔に当たる。
「なっ、てめえ、おもちゃでも顔はダメだろ! 目に当たったらどうすんだっ!」
むろん、ノーダメージ。しかもさっきまでは子供をたしなめる程度の態度だったのが、かなり悪化した。
不良は逃げようとする魔王をとっ捕まえて、襟首をつかんで持ち上げてしまう。
子供とは言え、片手で人を持ち上げているわけだから、あながちこいつらも素人ではないのかも知れない。
日本の戦士ってことはないだろうけど。まあ、空手とかボクシングとか金払えば誰でも習えるからね。
「や、やめてよっ! 何すんのよっ! 妾をどうする気なのっ!」
「あのなあ、子供がふざけるのも大概にしろよな」
「マジどうすんの? 服でも脱がすわけ?」
「……あーそうだな。危険な武器を隠してるかも知れないからなあ」
と言って、くくっく、と不良らしからぬ笑いを浮かべる。
そういう笑い方を本来するべきはずの魔王は今にも泣きそうだった。「何で、そんな、妾は」と掠れる声でぶつぶつ何か言っているのが俺の耳にも届いた。
見捨てるわけにもいかないか。おにぎりも食い終わったしな。
俺はちょうど良い温度に下がったお茶を三分の一ほど飲んで、ベンチから腰を上げた。
「――ガキとは言え女相手にそういうことするのはいただけないぜっ!」
◆
「どうするよ、近くにホテルあったっけ?」
「駅の方にあるけどさー。どうすんの、このまま連れてくわけ? さすがに無理矢理つれてくってのはちょっと抵抗あるんだけど」
「オレもそうだけど、でもほら正当防衛じゃん? なんかこいつらが勝手に襲いかかってきたわけだし、犯罪じゃないっしょ。ある意味合意みたいなもんで」
どういう意味で合意になるんだよ、と文句を言いたいが、俺も猿ぐつわをされたままでは何も言えなかった。
両腕を後ろで縛られて抵抗はおろか、最早ろくに走ることもできないから逃げられもしないだろう。
ちなみにさっき俺が食べたおにぎりの入っていたビニール袋がロープ代わりになっている。こんなビニールぐらい、と引きちぎろうとするが腕に食い込んで痛いのでやめた。
魔王の方は身体こそ自由のままだが、完全に戦意喪失している。泣き疲れてもう何もする気がなさそうだった。
あれだな。魔王の魔法が通じていない時点で気づくべきだった。
俺もろくな攻撃魔法が使えなかった――のだと思う。こいつらに魔法耐性があるとも思えないからな。
魔法がダメとなると男二人相手になすすべもなく、俺もやられてしまった。
こいつら、俺の身体を乱暴に触りやがって、くそ、覚えてやがれ。後で警察に駆け込んでやるからな。絶対強姦されたって言うからな。
――とは言え、このままでは本当になるようになってしまう。
後でこいつらを少年院送りにしたところで、それで良いのかと言われればそんなわけない。今から襲われるって時に、大丈夫あいつら後で捕まるからって、全然大丈夫じゃないからな。
このままじゃマズイ。どうする?
ダメだ、何にも思いつかない。命乞いしかないかな。
こいつらもほら、ちょっと不良ってだけで別にそういうヤカラなわけじゃないし、さっきの発言からもはっきりした犯罪行為はしないはず。こっちがちゃんと嫌がれば無理矢理ってことは――。
「そうやさ、先輩が言ってたんだけど外国人相手だったらこういうのだいたいオッケーらしいぜ」
「こういうのって? ホテル連れ込むの?」
「そうそう。AVでもそういうのよくあるし」
「まじで? じゃあ問題ないわけか」
いやいや、あるよ、問題あるから。何その外国人相手ならって、国際問題だからな。下手したら日本人相手よりももっと重い罪になるぞ。
と言いたいところだけれど、今回に限って言えば、そう言えなくもない。外国人――というより身元不確かというか保険証も住民票もパスポートも何もない、つまり今の俺らは密入国者みたいなもんで、実のところおいそれと警察にも行けない。
逆にこっちが身柄拘束されかねないからな。
いよいよ、マズくなってきた。
こうなってくると、こいつらに好き勝ってやられて俺たちは泣きを見るだけと言うことになりかねない。
くっ、いっそ殺して――。
「……大丈夫か。ネクロ」
地獄に仏、という言葉をずっと泣きっ面に蜂みたいな意味だと思っていた。だってほら、仏って見るからに怖そうだし。閻魔様(※4)もある意味仏みたいなもんじゃないの? と。
しかしまあ、こういう時に言う言葉なんだろうな。
あくびをしながらのっそりと現れた、異世界の勇者ラプスはさっさと不良二人を当て身で寝かしつけて、俺の猿ぐつわを外す。
「全く、ネクロはいつもこれだ。私は落ち落ち眠れないじゃないか」
「あのね……本当ありがとうございますっ!」
俺はちょっと涙目でラプスに抱きついた(※5)。
※1 エクアドル
知ってるよ、バナナがいっぱい生えてる国だよな。南国なんだろ、多分。
※2 おもちゃの銃
エアガンとかじゃなくて、輪ゴム鉄砲ぐらいのやつだろうな。エアガンあったらこいつらに勝てたと思うし。
※3 人造人間
機械人間ってようするにロボットだよな? じゃあ人造人間って何よ。罠使えなくするやつしか知らないいぞ。あーあれはどっちだ融合モンスター特殊召喚するやつ。今時融合モンスター特殊召喚されても困るのかも知れないけど。
※4 閻魔様
国によって扱いは違うけど、実際ほぼ仏みたいなもんだと思って良いわけで。じゃあ地獄に仏って閻魔様のことなのか? それじゃあやっぱり泣きっ面に蜂みたいな意味になると思うんだけどなあ。それとも閻魔様って助けてくれることもあるんですかね。舌引っこ抜かれるイメージしかないよ。
※5 ラプスに抱きついた
やっぱりね、魔王が助けてくれるわけないんですよ。勇者でしょ勇者。魔王とか人を困らせるだけだからね。だいたいこんな目に会った根本の原因は魔王にあるわけだから、見捨てて逃げれば良かったよ。ったく、おにぎりがなかったら本当許さなかったからな。おにぎりでプラマイゼロぐらいにしとくけど。