第3話 今夜は眠らない
「ったくよ。向こうの世界でも散々な目に会ってきたけど、戻ってきてそうそうこんな目に会うなんて……」
俺はちょっとした誤解で幼馴染みに屋上から突き落とされ、異世界へ転生したわけだが、異世界ってのは酷い場所だった。
いや、あっちの世界自体はよくあるファンタジー映画とかの世界って感じでそんな悪くなかったんだけどさ。エルフとか、奴隷(※1)とか、一夫多妻制とかそういう素敵なものがたくさんあってね。
――でやっとのことでこっちに戻ってきたら。
「……とりあえず服は着せとくか。母さんが戻ってきたら大事件に発展しちまうからな」
と口を開きすぎて痛いアゴを擦りながら、俺は父さんの服を着せ直す。
衣服の乱れは心の乱れ――と言っていた高校の教師を思い出す。親父に限って言えば、乱れすぎだ。服も心も。
実の息子――美少女に生まれ変わり――を危うく襲いかけるなんて、飛んだ父親だ! っと怒鳴りたいが、本人のせいというわけじゃないからな。
俺はテーブルに残っていた仙草を見つめる。小松菜とかほうれん草とか(※2)と似ていると言えば似ている。こんなところにあったら、食べてしまっても文句は言えないのかも知れない。
そして、こいつを食べると性欲が爆発して、理性を失い、あんな悲劇を生んでしまうことになるわけだ。
幸い悲劇は未然に防がれたのだけれども。
「そうだ、まだ礼を言って――」
俺はぼけーっと火照った身体を手で仰ぎながら冷ましている勇者ラプスに感謝しようとする。
あれ、待て。
「……お前が、こんなもん持ってこなきゃ、こんなことにならなかっただろうがっ! ふざけんな! だからそんなもん土産にすんなって言ったんだよ!」
「え? どうしたの、父親に襲われそうになったからって私に怒るなって」
「お前が原因だって話! あーもう良いよ、プラマイゼロってことで。とにかくこれの残りは捨てるからな」
「ちょっと待って! 私のお土産を何で捨てる! 故郷の大事な品だ、大切にしてくれ!」
とラプスは生ゴミとして処理しようとする俺を制す。
「んなこと言ったって、こんなもん……」
「食べ物を粗末にするのは良くないだろ」
「精力増強作用のある薬草を食べ物にカテゴライズすんなよ」
納得できないが、ラプスもどうやら退く様子はない。
「そんなに言うならラプスが食べればいいだろ」
「良いのか? 私が食べて」
「はあ? 別に――」
ラプスがこれを食べるってことは、ラプスが理性を失って、性欲のまま暴れるわけだ。……どうなるかははっきりとわからないものの、俺がこいつを止めることはまず不可能だ。父さんと違って魔法を使っても、頭を吹き飛ばしたり、腕を消し飛ばしたりはできないだろうし。ましてや力勝負なんて問題外だ。
こいつは勇者で、並みのゴリラ(※3)より力があるからな。
どうでも良いけど、こいつ、男襲うのかな? そうなったら父さんが被害に会うのか? それ自体は問題ないけど、やっぱり母さんとかに見つかると離婚の危機だ。
でもラプスが男に興味示しているとこなんて見たことないし、何となくだが、どっちかと言えば女に興味があるような気がする。
仮にそうだとしたら、俺か母さんがラプスの魔の手に――。
うん。やっぱりどっちにしろ、こいつの性欲が暴走したらマズイことになるな。
「待て、ダメだ。食うなラプス。こいつは俺がどうにかするから……」
「そう。なら私は良いけど」
適当にラプスがいない時捨てよう。
と仙草問題が解決したところで――「うぅ……あれ、いったい何が」と父さんが目を覚ます。
こっちの問題はどうすっかな。
「あのさ、父さ――じゃなくて、えっと、そこのあんた」
俺は父さんの肩にそっと手を置いた。
「記憶、あるか?」
「え、あの……あれさっきまでのは夢……夢? そう、あれは夢で」
どうやらぼんやりとだがあるらしいな。
もちろん、全てはあの草のせい――として水に流してやることは簡単だ。実の親だしな。裁判沙汰にしようなんて気は当然ないのだが、当面俺は元の身体に戻れないだろうからな、今回のことを利用させてもらおうか。
「あれ、まさか本当に? いや、そんなはずないんだ! 何かの間違いで、おれがそんなことするわけっ!」
事の重大さに気づいた父さんは、目に見えて狼狽した。
そりゃ、年端もいかない少女を襲ったわけだからな。もし表に出れば会社はクビ――離婚、一家離散――多額の慰謝料プラス前科――未遂でも運が悪ければ何年かお勤めする可能性だってある。
父さんは涙目で財布を取り出し、万札を数枚震える手で差し出してくる。
息子相手に、そんなことやめて欲しい。
「安心して良いよ。全部夢の話だからさ」
俺は努めて笑ってみせる。
「けど、あんた夢の中でこう言ってたよ。この家にしばらく泊まっていって良いって。優しいな。ちょっと訳あってこっちもしばらく宿なしでね。泊めてもらえるならすごく助かる」
「え、そんな覚えは……」
と父さん。当たり前だ。そんなこと言うはずない。だいたいまともに会話ができる状態ですらなかったし。
「ん? そんなこと言って良いのか? もう一つの方の夢が、夢じゃなくなるかも知れないぞ。そうなると、あんた困るんじゃないのかな」
「そ、それは――」
俺は努めて笑う。今度はたっぷりと悪意を込めて。にったりと。交渉ってのはこっちが何を考えているかはっきり伝えた方がてっとり早いからな。
俺は、あんたを脅している。
そして、あんたは拒むことはできない。
「何、ちょっとの間泊めてくれるだけで良いんだ。別にそれ以上のことはお願いしないよ。それくらい良いだろ?」
父さんは、黙って肯いた。
俺は言いしれぬ快感を覚えそうになったが、実の父親を屈服させて悦に浸るのはかなり危ないので、さっさと忘れる。
というか俺も二度とこんなことしたくない。
「父親を脅迫するなんて、ネクロは相変わらずおかしなやつだな」
とラプスが向こうの言葉で話す。
「しばらく寝泊まりする場所が必要だったからな。仕方なしだよ。ラプスは知らないと思うけど、こっちの世界じゃ野宿ってわけにはいかないんだ」
「ふぅん、でも美香代さんに頼めば、こんなことしなくっても何日かなら泊めてくれたんじゃない?」
「そっちはそっちでラプスからお願いして置いてくれ。大事なのは母さん、父さんの両方が俺たちがしばらくこの家に泊まるってことを了承していることだから。母さんは……ちょっと抜けているから、ほぼ初対面の女の子二人を泊めることに抵抗はないかも知れないけどさ。父さんの方は割と常識人だしな、別に説得する必要があるわけ」
俺が説明すると、ラプスはわかったんだがわかってないんだか、「そうなんだ」と肯く。多分よくわかっていない。
風呂から出てきた母さんには、ラプス経緯で今晩泊めてもらうことの承諾を取った。
父さんは俺たちのことを警戒していたようだけど、母さんにさっきのことを話すつもりがないってのがわかると「良いじゃないか。外国からわざわざ来てくれた暗真の友達なんだろ? 何日でも泊まっていけば良いよ」と母さんに言って、俺との約束を果たしてくれた。
一つ問題が解決したな。
「それにしても暗真はどうしたのかしら? たまに遅い時はあるけど、今日はお客さんが来てるってのに」
母さんがやっと俺のことを心配し出した。良かった、そうだよな、こっちの俺の姿だからあれなだけで、まだ俺と家族の絆は健在だよな。
「別に遅いなら遅いで良いんだけど、連絡ぐらい入れて欲しいわよね。夕食の準備だって、何度もするの手間なんだから。――せっかく来てくれているのにごめんなさいね、ラプちゃん」
――心配、してくれているんだよね?
俺の方が少し心配になってくる。
◆
「さて、ラプス。俺はどうやったら元の姿に戻れると思う?」
俺の部屋に戻り、やっとラプスと落ち着いて話ができる。
ちなみに。
「あんまり広くないんだけど、一応客間があるからラプちゃんたちはそこを使ってね」と母さんから言われたが、「良かったら暗真さんのお部屋に泊まらせてもらってもいいですか?」とラプスに言わせて、自室を使わせてもらうことにした。
何で自宅に帰ってきて客間なんぞ使わなきゃならないのかと。
「あら、良いけど、でもベッドの下とかあんまり調べないであげてね」と笑う母さん。ねえよ、そんなとこに今時隠すやついねえよ! とツッコミたくなるのを必死に我慢した。
という経緯を経て、やっと部屋に戻ってきた。
俺は自分のスマホを探して――あれ、俺のスマホはこっちの世界の俺が所持していて、俺は屋上から落ちて転生したわけだから、今スマホはどこにあんだ? ――と思ったら俺がこっちの世界で着ていた制服とか鞄とかは部屋の隅に置いてあって、そこにスマホもあった。
おかしいな、俺は転生する前、確かに学校へ行っていたわけだから、こんなとこにあるはずないんだけどな。
ともかくスマホがあったので、俺は母さんに「今日は友達の家に泊まる」とメールを出した。「暗真にお客さん来てるわよ。コラプスちゃんって子と、あとちょっと変わった子の二人。戻って来られないの?」と返事が来る。ちょっと変わった子って。
「マジ、今無理。ぷよテト(※4)でオンライン二十四連勝するまでは絶対帰れない」と適当に返す。
「とりあえず、これで良いだろ。けど、このスマホとか制服は――そもそもこっちの俺はどうなってんだ? まさか屋上から飛び落ちて、トマトみたいになってるわけじゃないよな? そんなことになってたら家に連絡とか来てるだろうし……」
いくつか疑問が生まれる。
ただまあ、それより大事なことがある。
元の姿に戻ることだ。
突き詰めてしまえば――元の身体にさえ戻れてしまえば、他の問題などおそらくどうとでもなる。
でラプスに聞いてみたのだけれど。
「魔法じゃダメなの?」
「ああ、誰かさんのせいで魔力が足りないからな」
「じゃあわかんないな」
と予想通り全く役に立たない。
「戻る必要あるの? こっちの世界に帰れたんだし、それだけで十分じゃない?」
ベッドの上でくつろぎながら、ラプスが呑気に言う。
「十分なわけねえだろ。男に戻る方がむしろ重要な問題なんだ」
「何でそんな男に戻りたいのさ。別に女だってそう悪くないだろ?」
「女の子は悪くないよ! 最高だ! だからこそなんだよ!」
と俺が言うと、ラプスは「?」と言いたげに首をかしげる。
「あのさ、ラプスだってほら、突然男になったら困るだろ? 元に戻りたいって思うだろ?」
「私はどっちでも良いけど。男でも。私が男だと、ネクロはダメか?」
「だ、ダメだ! ダメに決まってんだろ!」
もしラプスが男だったらだって? そんなもん論外だ。もし男だったら一緒に旅もしなかったし、最初に助けてもらった時に――ああ、それは良いか。とにかくダメだ。男かと見間違うような平坦な胸のラプスだが、列記とした女の子。首から上は美少女なラプスが一番良いに決まっている。
「ダメなの? ネクロは女の子なのに、私が男だとダメなの? ちょうど良いと思うけど」
「何がちょうど良いんだよっ!? 意味がわからんことを言うな! 怖いだろ!」
「ま、どっちでも良いけど」
何が言いたかったんだこいつ。言及しようかと思ったが、知らない方が良いこともあるからな。
「ともかく今日はもう休んだ方が良いんじゃないか。私はもう眠いし。ネクロだって疲れただろ?」
こいつはいつもたいてい十時前には眠る。基本、ガキだからな。胸も思考も。
と言っても、確かに俺も疲れている。今日は色々ありすぎた。五時間くらい前にはまだ魔王と戦っていたわけだし。正確には俺は戦ってないけど。
「そうだな。明日になれば、また良い案も浮かぶかも知れないし」
「じゃ、おやすみ」
ああ、と俺も寝ようとするが。
「って待て、ラプス。お前、何で俺のベッド使おうとしてんだよ。それは俺のもんだし、お前はほら、普段からどこでも眠れるんだから床に毛布でもしいて眠れよ」
「え、良いじゃん。せっかくベッドがあるなら、私も使いたいし、一緒に眠れば」
「……いや、でも、そういうのはほら」
問題、あるのか? あれ、ないか。
俺ほら、美少女だし。仮に男だったとしても、問題ないくらいだ。
「そうだな、うん。一緒に眠るか」
――と、問題はあった。ラプスはいびきこそないのだけれど、寝相が極端に悪い。
半分くらい眠りかけたところで、ラプスの蹴りをくらってベッドからたたき落とされる。
「……こいつ、しばりつけてやろうか」
しかしまあ、ラプスの寝顔を見ると、ムカつくくらい良い寝顔だった。色々あって疲れているのはこいつも同じか。
こいつはよくわからない異世界に来た初日なわけだし、魔王ともしっかりと戦っているからな。
「しょうがない、俺が毛布で寝るか」
と寝直そうとすると、「――ねえ」と女の子の声がした。
何だよ、寝相の次は寝言か? とラプスを見るが、すやすやと眠っている。寝言は言っていないみたいだ。
「ん? じゃあ今のは幻聴か? やっぱ疲れてんのかな」
「ねえ、聞こえているでしょう?」
ともう一度はっきりとした声が聞こえる。
「な、何だよ。誰だ?」
「――そいつ、その勇者、信じない方が良いわよ」
どこから聞こえてきた、不思議な声がそんなことを言った。どういう意味だ? よくわからないけれど、俺の一日はまだ終わらないらしい(※5)。
※1 奴隷
エロいやつね。俺もさあ、せっかく異世界に言ったんだから奴隷の女の子をたくさんさあ――ああ、あれだ、ちょっと刺激が強い話だからやめとく。
※2 小松菜とかほうれん草とか
正直この二つ何がどう違うのかわからない。辛うじてチンゲン采が何となく別のものってのはわかる。確かどっちかはアク抜きしなくても食べられたような気がしたけど、そんなことないっけ? というかこれべ二つ種類ある必要あるの? 俺はさ、男湯と女湯だって別ける必要ないって思うんだよね。それと同じで小松菜もほうれん草も、同じものとして扱った方が世の中良くなるんじゃないかな。
※3 並みのゴリラ
並みのゴリラは良いとして、じゃあ並みじゃないゴリラって何さ、って話。うーん、ギガントピテクスかな。
※4 ぷよテト
ぷよぷよとテトリスって言う、いわゆる落ちゲー系のパズルゲーが対戦可能っていうドリームマッチを実現させたものだけど、正直、ぷよぷよとテトリスで対戦するとゲームの仕様的に、両サイド不満が残ってしまう。バランス調整がムズカシイのはわかるけど、結局ぷよぷよはぷよぷよ同士で、テトリスはテトリス同士で戦った方が何かと都合が良い。ほら、パキャオとメイウェザーが戦うってなった時は世紀のドリームマッチが実現するって思ったけど、実際は塩試合だったろ? そんなもんなんだよ、ドリームマッチなんて実現したら案外がっかりするもんでね。あ、ちなみにゲームとしてはかなり質の高いものだっては補足しておく。ぷよテトも、パキャオメイウェザーも。バランス調整がムズカシイなりに、上手いことやっているとは思うしね。
※5 俺の一日
他の連中よりも、夜がちょっとだけ長い。誰かが地球を少しだけ廻しているのかも知れない。次回、夜の街へ。未成年の俺はネオン街へ消えてしまう――ということはないだろうけど。少なくとも男に戻るまでそんなとこは行かない。