第15話 ヒキニート殺人事件
ちょっと前のことなんだが、密室殺人事件(※1)が起きた。
殺されたのは簡素な住宅街にあるマンションの一室で暮らしていていた三人家族の息子。
夕方、両親と隣人によって、窓のない部屋で横たわる、胸を包丁で一突きされた死体が発見された。
唯一の出入り口であるドアの前には本がぎっしりつまった本棚があった。
ドアは押し戸で、本棚が置かれた状態では開くことはできなかった。
いつまでも部屋から出てこないばかりか、返事もいっさいない息子を心配した両親が無理矢理ドアを押し開けて中に入り、息子が胸を刺されて血だらけで倒れていることを見つけた。ドアの前にあった本棚は無理に押し開けた際に崩れて、中の本は息子の遺体の上に散らばっていた。警察の調べでは息子は死んでから半日以上が経過していたらしい。
ドアを押し開けた時には、母親のママ友(※2)兼隣人も同席していて、最初はドアが開かなかったこと、押し開けた時に本棚が倒れたことを証言している。
「こいつの真相がなんだかわかる?」
広瀬はピンク色をした前髪を指で少しいじりながら言った。
俺は特に考えもせず、条件反射的に答えた。
「……自殺じゃないのか?」
「違うよ。胸を一突きだ。自分でやるのは難しいね」
頑張ればどうにかなりそうな気もするが、これが真実ではないんだろうな。
「上手いこと出入りする方法はなかったのか?」
「ドアの前には本棚。本棚があった状態ではドアは絶対に開かなかったし、無理に開ければ発見された時のように本棚が崩れて中の本が散らばる。これを部屋から出た後で元に戻す方法はないよ。おっと、一応言って置くと魔法とかロボットとかそういうのもなしだ。今回に限っては、ね」
ま、そんなもんが出てきたら興ざめも良い所だ。天才美少女魔法使いの俺だってそれには同意する。というか天才美少女魔法使いの俺が絶賛魔法使用不可中だってのに、他のやつがほいほい魔法使うんじゃねえって話。
少し真面目に考えてみるが、何も思いつかない。窓のない部屋で、ドアは物理的にふさがっていたも同然。自殺という線はないとすると。
「……息子の歳は?」
「二十九歳」
「職業は?」
「無職だね。職歴もないようなもので、数年前にアルバイトをごく短い間していたくらいだ」
なるほど、いわゆるヒキコモリニートってやつか。
殺害方法はわからんが、ヒキコモリニートなんてしょうもない人間、いくらでも恨まれる理由は――ん? あるか? 引きこもっていたなら他の人間との接点なんて限られているだろうし、あってもネット友達くらいなもんだろう。まさかネトゲでケンカした相手がパソコン越しにぶっ刺しに来るわけもない。
となると、犯人は自ずと見えてくる。
動機がある人間なんて、両親くらいだろう。
金をかけて育った息子が三十手前でヒキコモリの無職。おそらく態度も悪く、親の金で勝手にネットショッピングを楽しむようなクズに違いない。きっとブサイクで太っていて彼女どころか女友達もいたことがないようなやつだ。
親であっても何かしらの些細なきっかけでザックリやっちまう可能性は高い。
そうだな、ヒキコモリのガキにキレるタイミングか。
親の大事なもの――記念品、指輪とか? を勝手に売り払うとかか? ってもヒキコモリじゃ質屋にも行けないだろうしな。出張買い取りなんてもんもあるが、基本的にそんな面倒な事をするとも思えない。
デリヘルを五人(※3)くらい呼ぶとか――いや、これは別に悪いことじゃないな。性欲は誰にでもあるものだし、種の生存本能が強いといことで、これは親としてはむしろ褒めるべきことじゃないだろうか。
じゃああれか、騒音とかか? 夜遅くまでネトゲかなんかで騒いで――最近はボイスチャットみたいのがあるからな、部屋にいながら仲間たちと騒いでいたわけだろう。
その仲間ってのも似たようなヒキコモリニートのろくでもない連中なんだろうが、しょうもない人間たちってのは、集まるとバカみたいに騒ぎ出す時があるからな。オタクのイベントとかの盛り上がりを見てみろよ、普通の連中からしたら異常な光景がよくあるぜ。
で、度を超した騒ぎように、おそらく毎晩悩まされていた両親はブチ切れるわけだ。
こっちはこのごくつぶしを養うために、毎日働いているってのに、そのごくつぶし本人は夜中までゲームでわいのわいの騒いでいる。こりゃ確かにキレても仕方ないな。
「良い線だね、そこまでは間違っていないよ」
と広瀬は、口にも出していないことに対して相づちを打ってくる。
「犯人は両親か。いや、違うな。そうか隣人もだろ。マンションで、窓のない部屋ってことはどっかの壁は隣室と並んでいるだろうから、騒音の被害は隣まで及んでいたんだろうな」
でまあ、もしかすると隣人のママ友とやらが苦情でも入れに来たのかも知れないな。
そんで両親が注意しようとするが、いっこうに静かになる様子もなく――ああ、なるほど、本棚は両親が部屋に入って来ないように息子の方が自分で置いたってわけだ。ドアを閉じておこうとな。
「それに頭に来た両親が――」
「ドアを無理矢理こじ開けて部屋に入ったんだよ。その時本棚が倒れて、息子の頭部にもぶつかったらしい。この時点で息子が死んだという可能性もなくはないが、おそらく軽度な脳しんとうぐらいだろうね。余程当たり所が悪くなければ、家庭用の本棚程度では死なないだろう。ただ両親は死んだと思ったのか、もしくはチャンスだと思って、そのまま息子の胸を包丁で刺したわけだ。かねてから騒音の被害者同士であった隣人とも口裏を合わせて、あたかも密室殺人であったかのように振る舞ったんだね」
「……おい、何で最後だけお前が言うんだ」
「ほら、僕名探偵だから」
自分で事件を語り出して、自分で真相を解明する。
そんな名探偵がいてたまるものか。
「だいたい密室殺人なんてたいそうなこと言うけど、散らばった本の血の付き方とか、包丁の出所とか、死体の検視結果とかでこんなもん直ぐ解決するレベルじゃないか? 名探偵っていうからにはもっとこうすげえ難事件を解決するもんだろうが」
「そういうのは文庫本三百ページぐらいないと解決できないんだけど、この喫茶店で夜まで語り明かしていいのかな?」
それは嫌だ。
というか俺はミステリーとか別に好きじゃないし。
ポアロとかホームズよりエマニエル夫人とキャサリン・トラメル(※4)のが好きだからな。探偵よりも犯罪的なエロス。それが男というものなのだ。
「それで、満足したか? 俺はもうくだらない話は聞き飽きたぞ」
実を言うとこのなんちゃってミステリーはさっきので三つ目だった。俺は脳トレ気分で馬鹿話に付き合っていたが、正直どれも味気ないというか、それで? というレベルの事件で飽き飽きしている。実際に起きる事件なんてそんなもんなのかも知れないけどさ、名探偵っていうからにはもうちょっとましな事件を用意して欲しかった。
「それは僕のセリフだよ。君こそ、僕が名探偵だってこと、認める気になったかな?」
「……ああ、なった」
「嘘は良くない」
「待て! それじゃあ一生このミステリモドキが続くことになるだろうが! だいたい名探偵ってことはどうでも良いんだよ、お前は本当に異世界から来て――そんで心が読めるのか?」
「本当だよ。異世界の方はともかく、心が読めるのは君も認めているだろ」
その通りだ。俺の心が読めているとしか思えない会話のやりとりをさっきからずっとしている。
俺の用に裏表がなく、清廉潔白で心の澄んだ人間だから良いものの、目の前に相手が自分のこことが読めるというのはかなり気分が悪い。
「ただね、実を言えば異世界の人間だってことはさして重要でもないんだよ。信じてもらう必要もないと言えばない」
火星から来たと言われても信じてしまいそうな髪色の広瀬はもったい付けるような言い方で言った。
「大事なことは、だよ。僕は特別なことができるってことだ。異世界から来た名探偵だよ、人の心が読めるし、もっとすごいことだってできる」
「もっとすごいこと? なんだよ、女子風呂にでも入れるとかか?」
「僕は女だから入れるよ。うん、君もだよね?」
「な、なんだって……?」
そうか、そうだよ。今の俺は女なわけじゃないか。
だからこっちの世界で女湯に入っても別に何にも悪くないわけだ。向こうの世界ではけっこうそういうこともしてきたけど、戻ってきてからはまだそういうのしてませんでしたよ。ああ、俺ってそういう無邪気なとこあるからなあ。くっそ、見落としてたぜ。男に戻る前にさっさと楽しんで来ないとな。
「すごいことって、そっちじゃないよ。言って置くけどね」
「んだよ、女子風呂に合法で入れるよりすごいことなんてあるのかよ」
「君を男に戻す」
「ばっかやろう、それじゃ違法だろうが! 犯罪だぞ、男は女湯には入れない。目には目を、歯には歯を。男は男湯、女は女湯。小学生までは男子でも女湯。これは不文律だぞ。決して違えることのない掟だ。だからこそ、でけえガラス張りの風呂で彼女と――ああ、いやなんでもないぞ」
「考えていることがわかるって言ってるよね。まったく、君には呆れるよ」
エッチな妄想なんて健康的男子学生の義務みたいなもんだ。それを呆れられてちゃ困るってもんだが。
「ん、待て待て、そうじゃない。お前さっきなんて言った?」
「君を男に戻す」
「いや、そっちじゃなくてもっと前――じゃないや、それそれ、ぴったりそれだよ。流石だ。心を読めるだけはあるな」
褒められると照れるな、と広瀬は笑った。不愉快な笑顔だった。
「戻せるのか?」
「僕は名探偵だからね」
結局そこに戻るわけか。ここで難癖付けても話が進まないのは明白だ。
致し方なく、俺は名探偵と言う言葉を暫定的に受け入れることにした。うん、こんななりでも相手は女子。寛容に行こうじゃねえか相棒。
「じゃあ戻してくれよ」
「直ぐにはできない」
「……」
出たよ。これ、何なの? ただでプレゼントしますとか言って変なアンケートに長時間答えさせたり、住所とか名前とかの個人情報書かせたりするようなもんだろ? はあ? できるって言ったじゃねえかよ。今すぐやれよ。ボケが!
「理由は二つあるよ」
「あそ。戻せないならいいや、俺もう行くから」
「二つあるって言うんだから聞いていきなって。それにほら、これのお金も渡してないよ」と広瀬は三分の二ぐらい飲んだキャラメルマキアートを振って見せた。
あ、それ混ぜて飲むもんだって言うの忘れてた。
「ちょっと! 通りで! なんか下はドロっと甘いし、後の方は薄くて苦かったよ!」
「……いや俺が混ぜて飲んでんだし、わかんなくても真似とけよ」
「君だけしかやらない特殊な風習かも知れないじゃない!」
「そんなもんねえよ、俺は現地人だぞ」
「はんっ! 良く言うよ」
広瀬は鼻を鳴らして立ち上がった。
俺は周囲の視線が気になった。ただでさえ目立つ頭をしているんだ。変なことをしないで欲しい。
「……」広瀬は座った。「言って置くけど、君はさっきからずっと僕をおかしなやつ扱いしているけどね。僕から言わせてもらえばね――いいや、大多数の人間から見て、君も十分異常な人間だよ」
「い、異常? 俺が? 何を言うんだか、この俺が?」
そりゃルックスが平均よりはるか上なことは認めるけどさ。異常ってのは言い方が悪くねえか。上級国民とかイケてるメンズとかそういう洒落た言葉のがふさわしいだろうよ。
「その過ぎた自意識の高さも異常だよ」
「余計なお世話だ。自分に自信のない人間ほど可哀想なやつはいないだろ」
「自信と過信は別物。それに君が一番異常なのは、精神状況だよ。まるで安定していない。乱気流に突っ込んだ旅客機みたいに感情の波が荒い。簡単に言うと分裂症ってやつかな」
「は、はあ?」
クールという言葉がイケメンの次に似合う俺に対して、なんていう言いがかりだ。言うに事欠いて、まるで俺を精神異常者のように言いやがって。
「真実だよ。心をまるきり覗いている僕が言っているんだよ。君は異常だ。だいたい君の女好き――女好きという言葉が適切なのかはさておいてだけど、――つまり君の女性への態度はまさしく病気そのものだよ。どこかに神様がいて、君に天罰を与える意味で女性の身体に変えて異世界へ転生させたんじゃないかって思えてくるくらいだね」
「てめえ、女だからって俺だってキレる時はキレるんだぞ。ベッドの上だけでなくいつでもヤーさん決められるってとこ見せてやろうか?」
怖い怖い、と広瀬は不愉快に笑う。
「だから理由の一つ目は、それ。つまり僕は君が嫌いだ。すっごく不愉快で仕方ない。一緒にこうやっていること、面と向かって話していること、本当に耐えようがないくらいだよ」
「そ、そうかよ……」
さて、キレようとしていた俺だったが、女の子からこんなことを直接言われるとショックで言葉を失ってしまった。
なんていうか、とにかく男に戻りたい(※5)。それだけだ。
※1 密室殺人事件
清純派AV女優並みの矛盾ワードである。殺人が起きている以上、実際には密室ではなく密室風でしかない。広瀬の話は密室殺人事件風って感じだったけど。
※2 ママ友
俺の統計によるとママ友ってのはだいたい不倫している。というか待て、息子が二十九歳なのにママ友って何だ? いつまでもママ自称できるわけじゃねえぞ。そろそろオバ友ってレベルだかんな。
※3 デリヘルを五人
五人もいても困るってのだけが問題。悪いことではないけどね。言うて二人か三人ですよ。それもかなりキテる時限定で。
※4 キャサリン・トラメル
けっこう古いエッチな映画のヒロイン的なキャラで女優はシャロン・ストーン。くっそ短いスカートで脚を組み替えるシーンが有名らしいけど、俺は普通にエッチしてたシーンばっか覚えている。おっぱいとがガン見えだかんね。
※5 男に戻りたい
しつこいようだが、しつこいぐらい言って置くべきことなのだ。よくあるハーレム系のラブコメで好きなのは幼馴染みのあいつ! みたいのを最初の方は言っていたのに、シリーズの終盤だとなんか別のヒロインを好きになってるやつあるだろ。あれとか何急に心変わりしてんだ! ってなるじゃん。俺はそういうのないからね、ずっとそう、男に戻りたいし、女の子はみんな大好き。あ、巨乳の女の子ね。あと顔は平均以上だな。