プロローグ
試されることが愛なのではないか。
という言葉がある。
さっき俺が思いついたんだけど、シェイクスピアとかが言ったことにしよう。
だから違うんだ。二股じゃない。あれは愛なんだ。愛の試練なんだ。え、二股じゃなくて三股? 四、五、六? やめろカウントアップするな、いつか正解が来るだろう!
学校の屋上。きれいな夕焼けが染め上げる空。俺と少女の二人きり。――女の子の名前は采賀彩(※1)、俺のよく知る相手だ。太ももとおしりの付け根にホクロがあるのだって知っている。
いつもぶっきらぼうだけど、人一倍明るくて。ちょっと乱暴だけど、本当は優しい。そういうやつだってよく知っている。
だから、違うよな? なんで、お前、そんな。
「そ、そのカッターは何だっ! そいつで俺をどうする気だよっ!?」
彩は三日月みたいに薄気味悪く笑って、俺の前に十数枚の写真をばらまいた。何だよ? と一枚拾うと俺が写っていた。はは、俺の写真なんて持ち歩いてたの? 照れんな。ま、気持ちはわかるよ。俺ってばヴァンアパイヤやってた頃のブラピと見間違えるくらいの男前だもんな。
けどよく見ると、俺の隣には見覚えのある女の子がいた。生徒会長だ。え、と思って、他の写真を取ると、こっちは俺と後輩の女子。で向こうは俺とバスケ部のマネージャー。あっちは俺とチア部の部長。そんで――。
彩は、俺にカッターナイフを突きつけた。
とっさに誤魔化そうとするが、効果はなし。
――というのがここまでだ。
カッターナイフと彼女を前に、震えを抑えて言う。
「いや冗談だって俺がそんなやつだって思ってたのか?」
「暗真のことはあたしが一番よく知ってる」
「へへ、そうだよな。そんなお前がまさか俺を疑うなんて」
「わかるよ。だから欠片も疑う余地がない! 暗真はあたしを裏切ったんだっ!!」
薄っぺらい銀の刃が俺に向けられる。
びびるな、俺。あんなの鉛筆の先を尖らせるためのおもちゃだ。100均とかで売ってるような安もんで、切れ味だって大したことはない。隙を見て、間合いをつめる。それからカッターを彩の手から取って。ほら刑事ドラマとかでよくある感じに――。
「あたしを、あたしを……約束したのに……っ!」
刃が空を切った。
無理無理無理。
凶器だ。あれは凶器。文房具じゃねえから。どこの馬鹿だよ、あんなもんほいほいと誰にでも売りやがって。早く免許制にしろよ。おかしいだろ、何が平和の国日本(※2)だ。あんな物騒なもんを女子高生が気軽に買って、マニキュアより楽に学校へ持ち込めるなんて、日本は間違っている!
良し、武器を奪うのはあきらめて説得だ。俺ならできる。女の子を甘い言葉でその気にさせるのは爪の手入れの次に得意だ。いつだって清潔で短いぴかぴかのつめは俺の自慢なのだ。
「あのさ、こんな時にあれだけど実は彩にプレゼントが用意してあって。だからそんな危ないものはしまって、ああ、いやそいつはプレゼントの包み紙を開けるのにちょうどいいかも知れな――」
「暗真、もうしゃべらないで、お願いだからもう……あたし嘘を聞きたくないの……これ以上、嫌いになりたくない!」
「嘘なんかじゃ――」
一線。眼前を、ほんの数センチ前を、カッターナイフが横切った。髪が三本くらい、下へ落ちていく。
今、俺が咄嗟に一歩下がらなかったら、顔を切られていたよな? 直ぐ背には屋上の柵がある。これ以上逃げられない。
「ちょ、ちょちょちょっとおち、落ち着けって! つうか、誰か助けに来てくれないのか? 放課後って言っても、屋上ってこんな人いなかったけ? おかしいだろ……おい……」
無様に、誰か助けはいないのかと見回すが人っ子一人いない。
何でだよ。そういえば最近、屋上が立ち入り禁止になっていたような気がする。もしかして刃物を持った怪しいやつがいるからか? そいつ今ここにいるから! 誰か助けて! ヘルプミー!
「そんなに脅えなくていいよ。だって、これがあたしと暗真のためなんだから」
「ど、どういう意味だよ」
「あたしね、この写真見せられた時気づいたの。やっぱり暗真が好きなんだって。だけど、あたしを裏切って他の女の子と楽しそうにしている暗真を見たら、この気持ちなくなっちゃうかも知れない」
彩の長い黒髪が、屋上の風になびいた。ちょっとした丘の上にある六階建て校舎の屋上だ。風が強く感じた。
「だけど、そんなの嫌だ。この気持ち、消したくない。あたし、暗真のこと嫌いになりたくないっ! だから、もうお仕舞いにしよう。綺麗さっぱり終わりにしよう。暗真をこれで、楽にしてあげて――それからわたしも」
「おい、それって、本気なのかよ……」
「わたしも、暗真のいない世界で、必死に生きて幸せになる。それがわたしと暗真、二人にとって一番幸せなのよ」
「心中じゃないんかいっ!?」
と思わずツッコミを入れてしまうが、そんなこと関係なく、刃が俺へと真っ直ぐ伸びてきた。
もう逃げ場がない。
だけど俺は必死に逃れようと――。
柵が、壊れ――た?
屋上の柵が老朽化していてもろくなっているから、危ないのでしばらく屋上へは立ち入り禁止だ――と担任の比美ちゃんが言っていたのをふっと思い出した。って今のタイミングで? 遅すぎだろ!
俺は、屋上の外にいた。
床はない。
名前はある。赤須暗真。ただいま地上へ真っ逆さま。
ここは七階相当の高さだ。確か人間が高いところから落ちて死ぬには20メートルくらいあれば十分で、ちょうど七階ってのはそれくらいだったはずだ。
などと呑気なことを考えていたせいか、走馬燈なんてものはなく、驚くぐらい一瞬で、俺は地面に叩き付けられた。衝撃はあったが、痛みという感覚はなく――……。
◆
――両親の目を盗んで、まだ満足に歩けもしない俺はよく家の外へ出ていた。二人とも畑仕事とか牛と馬の世話とかがあって、昼間はしばしば一人で家に残されていた。まだ赤ん坊の俺はとたんに不安になって、泣きわめこうと思ったが、今更わんわん泣くのもバカらしくなって、ママとパパを探しそうとベッドから這い出て、不用心にも半開きのドアから外へ出た。
辺りは一面が平坦な土地だった。芝が生え、ろくな舗装もされていない道があるだけ。ちょっと向こうには柵があって、畑もあった。家の隣には牛舎もある。
全く、とんだ田舎だ。
コンビニどころか隣の家すら見当たらないじゃないか。
俺はため息をついてから、はいはいして両親を探した。
それからなんとなく、記憶が混ざり始めた。
あれ俺、高校生じゃなかったっけ? つうかここどこ? 俺何で赤ん坊なの? 両親髪色おかしくね、本当に日本人なの? 金髪、金っていうか白金? というか、両親って違うだろ別にいただろ本当の親が。え俺の本当の親は? 家は? ここ日本じゃなくね? 友達は? 彼女――はたくさんいるから一々思い出せないけど。
そんな中でとりあえず、俺をカッターナイフで切りつけようとした彩のことを思い出した。俺をみじん切りに仕掛けた凶刃のことも。背に冷たいものを感じる。あのせいで俺は危うく死にそうに――いや、死んでるな。
そうか、俺死んで、生まれ変わったのか。
どこかよくわからん場所で、新しい両親の元、俺は転生したらしい。
良かった仏教徒で。輪廻転生って本当だったんだね。
とニワカブーディストの俺は呑気に思った。死ぬ前の両親は一応、浄土真宗の教徒だったし、家にも仏壇とかあったからな。サンキュー、ゴウタマシッダールタ。
さて前世の記憶をすっかり取り戻した俺は、これからまた新しい人生を送ることになるわけだが、二度目の赤ん坊生活なんて退屈なもので、今回はざっくりと省略させてもらおう。
ただしどうやら俺の生まれ変わった場所は、思っていた通り日本ではなく、予想を超えて元いた世界でもなかった。
異世界というやつだ。
仏教の輪廻転生には人間の住む世界を入れて全部で六つの世界(※4)があるらしい。
六道輪廻というやつだが、今回はそれとは別で、もっとファンタジー的なものだ。不思議なことに映画とか漫画とかゲームとかでよく見るようなSFめいた世界と酷似していて、魔法とかドラゴンがいる、いわゆるファンタジー世界だったから、逆に新鮮味なんてなかった。
ああそれ、ドラゴンにゴブリン? よく見たことあるやつだわ。ふーん、ここにもいるんだってなもんで。
ブータンとかガザフスタンとかイエメン共和国(※5)とかに生まれた方が、ええここどこ!? まじ何々意味わかんないし! 何々あの生き物? ゾウが道歩いてんですけど! ワニの頭に顔いれるってどんな見世物だよ! って感じで驚きの連続だったんじゃないだろうか。
だからこの世界に転生して驚いたのは最初と、俺が女だって気づいた時くらいだった。
そういえばあいつは元気にしてっかな。ってどこにもいないの。
ショックだったね。
初めて女の子にフラれた時よりもずっと堪えたよ。大事なものを失ってしまった。でも俺は女って好きだし、まあ自分が女になるってのも考えようによってはありかなって前向きに考えることにした。
鏡で見ればかなり美形の乳幼児だったし。
すくすく育って美少女になると魔法を覚えて、勇者の仲間になって、魔王を倒したんだけれど――魔王を倒したっていうのは半分嘘で、魔王は極めて高い魔力を持ち、大罪(※6)を心に背負った俺を半身として、依り代として復活した。
「このうら若き身体、この吐き気を催す邪悪な心、妾の魔力に深淵のように馴染むわっ!」
だから俺は「くっ、俺がこいつを押さえている内に、俺もろともやってくれっ!」という役目だった。
倒したっていうか倒されたっていうか。――そんで、奇跡的に一命を取り留めた俺を仲間の白魔導師が回復させてくれた。
これで平和が訪れる。城に戻ってたらふく報奨金をもらい、あとの人生はマンションの経営でもして不労所得者として過ごそうかと思った。
しかし、依り代となっていた俺のもとには魔王の置き土産があった。俺の身体には魔王が持っていた世界を歪める程の魔力が残っていた。
せっかくなので、俺はこの魔力を使い、異世界への扉を創り元の世界へ戻ることにした。
仲間たちに別れを告げる。アディオス。ロンググッドバイ、マイオラノス。
仲間たちは、まだ魔王の後遺症で俺がおかしいんだろ、って目で見てきた。やめろ、違うから!
そんな中で勇者だけが、心配そうに――不安げな顔で聞いてくる。
「本当に戻れるのか?」
「ああ、今の俺ならなんとかなりそうだ」
正直言えば、確証なんてもちろんない。
だけど生まれ変わった身の上なせいか、いまいち危機感ってものが持てなくなっていた。まあなんとなるでしょ、別に失敗してもあれっしょ? もしかしてこれがゲーム脳なのか(※7)。
「本当に戻るのか?」
勇者の言葉がさっきと少しだけ変わっていた。
今までは元の世界に戻れるなんて思っていなかったからな。戻ろう、なんて考えてもみなかった。でもこうやって、戻れる可能性が目の前にあるなら、試してみたいってのが正直なことだった。
そして何より――。
「前も言ったけど、俺は元の世界じゃ男だったんだ。だから元の世界に戻って、男にも戻る。それが俺の望みだ」
「男って……それ嘘じゃなかったのか? 異世界から転生してきたってのは百歩譲って信じたとしても男だったってのはちょっと……そんなおとぎ話じゃないんだからな」
「なんだだよっ!? 異世界のがよっぽどファンタジーだろ! ドラゴンがいる世界のくせに性別が変わることも認めないのかっ! 心狭すぎるぞ!」
いやでも、と顔をしかめている勇者の相手を諦める。別にこいつを納得させる必要なんてないんだ。どうせもうお別れなんだ。
別れか。
今まで、何度も一緒に戦ったり、助けられたり、助けた――覚えはあんまないけど、とにかく思い出は良いのも悪いのもたくさんあった。こいつとももう会えないのか、そう考えると多少心残りがないわけじゃない。
ってそんなもんより男だろうが! 男より大事なもんはない! ん、違う、大事なのは女だな。
あれ、俺は何を? とにかく男に戻って、女を大事にするのだ!
「……俺は行くぞ! お前がこっちで死んで、向こうで生まれ変わったら世話くらい見てやるからよ、挨拶しに来いよな!」
俺はさっさと詠唱を始める。
この世界の魔法ってのは至ってシンプルだ。
でたらめであろうと、なんであろうと、魔力を込めて好き勝手に言葉を並べれば良い。もちろんルールはあるが、それさえ守って魔力があれば言葉通りの力が使える。すげー便利、魔法。
で俺は元の世界に戻してくれって魔法の呪文を唱えるわけだ。ついでだし色々細かくお願いしておこうか。
戻ってまたカッターナイフで刺されたんじゃ敵わないからな。あれ、刺されてはいないか? まあいいや、とにかく、彩のカッターナイフをこけしか何かに変えといてもらおうか。
そうだ、もちろん戻るのは学校の屋上じゃなくて俺の家にしてくれ。二階の俺の部屋な。学校から家まで地味に距離があるだよ、徒歩圏内ってのは良いんだけどさ、こっちの世界でアホみたいに歩いたからもうしばらくは歩きたくないわ。
これくらいは言わなくても気を利かして欲しいが、一応ちゃんと言って置かないとな、魔法ってのはアバウトなところがあるから。
あと今日の晩飯はカレーが良いな。久しぶりに母さんのカレー食べたいわ。
そんで俺の部屋のエアコンのフィルターを掃除しといてくれ。去年掃除すんのサボったままんだわ。
で他にはアイドルの罪作鏡子(※8)のサインが欲しい。あ、もちろん写真集にね。保存用のやつと観賞用のやつと処理用のやつがあるけどどれにサインしてもらおうかな。ん? 三つ全部でも良いの? ならプラスして暗真さんへってハートマーク付きで欲しいな。ああそうだ、どうせなら直にもらいたいから罪作鏡子に会わせてよ。んでサインもらうってのがいいわ。
それからそれから――。
「そうだ、私も一緒に行く!!」
あーじゃあこいつも一緒に、ペアシートで頼みますわ。って、え?
勇者さん? ラプスさんや、どこへ行こうと言うんだね。思わず呪文に入れちゃったんだけど?
と、ペア割りがなかったらしく、そこで俺の中にあふれかえっていた魔力がつきてしまい、魔法が発動してしまった。
戻るのか、元の世界に!
大丈夫かな、何か忘れ物してないと良いんだけど。
つうか勇者ついて来ちゃってるけどいいの?
いや、俺はいいんだけど。勇者も実は美少女だし。
ま、美少女の勇者ってのもこれまた新鮮味ない話だ。中年のおっさんの勇者とかだったらマジか!? ってなってた可能性大だけどそれだと俺は仲間になってなかったな。
ってアホなこと考えていると周りの世界がぐるんぐるん回転し始めて、歪んで、一瞬真っ暗になって――……。
――……で、俺は元の世界に戻ってきた。
「やった……っ! 成功だ! ちゃんと俺の部屋だ! 日付も……うん、俺の指定通りだし。うわー懐かしいなあ」
横で倒れている勇者のことはとりあえず無視する。
こいつってこの世界だと戸籍とかないし密入国者みたいなもんなのかな。どうしよ、日本はあっちの世界と違ってそういうの厳しいからこいつムショ行きかな。まあそれは後で考えよう。面会を月何回行くかとかね。
とりあえず飯だ。白米食いたいわ。
「って、ん?」
俺の部屋には、姿見がある。
ホームセンター(※9)で買った安物のスタンドミラーだ。元の自分の姿を見るのは十何年ぶりか。美少女の俺っての悪くなかったが、やはりアイドル顔負け超絶ベビーフェイスの愛され系小悪魔王子の体現である本来の俺が世界最高なのであったのだ。
のだけれど、そこに映っていたのは――。
美少女だ。
俺だ。
美少女の俺だ。
元の俺じゃなく、異世界に転生した方の俺だ。
そう、美少女だ。
美少女天才魔導師だ。
やべえ、前世の姿に戻すの忘れてた!! そのまんまこっち来ちゃったよっ!
俺はとんでもない忘れ物をして、この世界に戻ってきたしまったらしい(※10)。
※1 采賀彩
幼馴染みで、こいつのことはほとんどなんでも知っている。子供の頃「これ栄養豊富なんだよ」ってそこら辺に生えている草とか食ってた。そのくせ今じゃハンバーガーはフレッシュネスがボーダーだからとか言ってくる。でも割り勘は譲らない、そんな女だ。
※2 平和の国日本
平和な国ってのは戦争がない国のことじゃなくて戦争が終わらせた国のことだ、ってじいちゃんが言ってたな。今の日本がどっちかって? そんなことは俺に聞くな。
※3 赤須暗真
若い頃のブラッド・ピットにそっくりなイケメンでエロ漫画の主人公みたいにモテる。だからちょっと幼馴染みの子に、好きなのお前だけだ、他の女の子なんて耳かき一杯分よりも眼中にないよ! なんて言ってしまうこともある。ただ問題なのはそれを他の女の子にも言ってしまうことだ。君が一番なんだ! ってほら、みんな一番みたいなね。
※4 六つの世界
人間道(俺がいる世界)、天道(沖縄・ハワイ)、地獄道(群馬)、畜生道(栃木)、餓鬼道(幼稚園の近くの木製アパート)、修羅道(栃木)の六つの世界を六道と言うらしい。括弧の中は俺のイメージ。
※5 イエメン共和国
マジでどこ? 地図帳とウィキペディアの中でしか存在しない架空の国なんじゃないの?
※6 大罪
七つの大罪とかそういう痛いのじゃねえから。性欲よ、性欲。わかる? 俺ってば大人だから。
※7 ゲーム脳
頭良いやつが実際の将棋盤なくても、頭の中だけで将棋指せるやつのこと。
※8 罪作鏡子
芸名からしてキャラ作りに失敗していることが伺える、そこそこ人気なアイドルグループのなんとも言えない立ち位置のアイドル。巨乳で、背は普通くらい、黒髪ロングでオタク向けの変なキャラで売っているが全く本人に合っていない。何が好きかというと顔と胸。
※9 ホームセンター
現代の魔法工房。何でもある。この前グランドに白い線書くやつ買った。
※10 この世界
この世界とか元の世界とかややこしいと思う。俺もややこしい。多分、今後もややこしい。