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ウォーアクス戦記  作者: 秋月
三章 黄金の稲穂と砂塵の中で
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三十九話 英雄志望の凡人

 ケンドリックはまず、大前提として自分に特別な事情や生い立ちは無いという事を断った。あくまでも平々凡々な一般人――傭兵団に入るまで――であって、農家に生を受けた唯の人間であると。村での生活も極々普通の生活をだったと言う。


 彼は然して、両親に教わるがままに農地を耕し、友人と馬鹿な遊びをして、実に当たり前の日々を謳歌していた。


「でも、なんていうんですかね。ある日ふと……そう、これで良いのかな、って思ったんですよ。何の拍子もなく」


 このまま、一凡人のまま終わっていいんだろうか? と思ってしまったんです。ケンドリックはそういって、空を見上げた。フランシスも釣られて天を仰いだ。空は青く澄んでいる。


 凡人が悪い訳ではない。平穏無事というのは素晴らしい事である。少なくともフランシスは、それを信じて疑わない。平凡であれるなら、それが一番だと思っているからだ。殺しの天才など、生まれてほしくはなかったのである。


「それで、それを悶々と心の中に抑えたまま、この年になるまで生きて来て――それで、傭兵団がきたんです。正直、この時しかないと思いました」


 いつの時代も変わらぬ物、者。それらの中のひとつに、刺激を求める心と言うものがある。主に若者の中によく現れるそれは、日常と退屈を嫌い、激動の日々を求めるのである。


 自分には隠された才能があるのでは。伝説の勇者にだってなれるのでは。今こうしている場合ではないのでは。そんな思い上がりをしてしまう時期というのは、ほぼ例外なく誰にでも訪れる。


 ケンドリックの場合は幸運にも――あるいは、不運にも――そんな時期にフランシスが来たのである。筋骨隆々で斧を腰に下げた、非日常の塊。傭兵のフランシスが。不意に、片目が疼いたようにフランシスは黒い眼帯に指で触れた。


「チャンスだ、って思ったんです。……思ったん、ですけど」


 苦々しげに、それでもケンドリックは微笑みを絶やさなかった。唯、焼きもろこしを握る左手、頭を抑える様にしている右手、その両方が一瞬震えたのをフランシスは見逃さなかった。


 無謀な青年、少年らは大よそ死ぬ。フランシスの扱いは相当例外であり、かつて無数に存在した傭兵団の中には、そうして徴兵した若者たちを肉の盾の様に扱う傭兵団もあった。名の無き神には口がないとは、よく言ったものである。


 夢を追う青年たちは殆どがそうして惨めに生を終え、残ったものもその悲惨さに目を瞑って逃げ出す。戦果など上げれた物ではなく、村に帰って細々と暮らすようになる。戦場との摩擦で擦り切れた心は、刺激を求めなくなるため、村の老人には生きる意志と言う物が薄いと感じる事が多いのが現状だ。


 だから――ケンドリックの感じる物を味わったものは極々少数に過ぎない。


「殺意。……って、いうんですよね? 初めて人に向けて、向けられて……」


 それはおおよそ、ケンドリックの年代の者達は味わうことのない感覚だ。フランシスはふと、自分が初めて人を殺めた日を思い出した。戦場でうつろに倒れ付した死骸、飛び散った血が、飛び出た骨が、まるで昨日の事のように思い出せる。


 どれだけやれば人が死ぬかなど、一般人に過ぎなかったフランシスが知る筈もない。そんな彼が唯々ひたすらに斧を打ち付けた結果、自分が何をしているのかも分からぬまま、人を殺した経験が、眼窩に深く刻まれている。


 忘れられる物ではない。何処か虚ろな気持ちで、自分が殺した何かを見るということは。そして、いつそれが自分に起こるのかという恐怖は。


「勢い込んだ割りには、怖くて手がすくんで。結局、三人倒すのが精々で」


 声は震えていない。体の揺れも押さえ込んでいる。だが、心が震えているのは目に見えていた。


 自らへの殺意は恐れを呼び、他者への殺意は不気味な高揚を呼ぶ。恐怖と高揚がない交ぜになって、大抵のものは狂う。多かれ少なかれ戦場とはそう言う物だ。では、長い間戦っている者達は狂っているのかと言えば、必ずしもそうではない。


 おおよそ、戦いを続けられる彼らには三つのパターンがある。自らへの殺意に対する恐怖が勝る者。他者への殺意による高揚が勝った殺人狂になりやすいパターンの者。そして、その両方を押さえつけられる精神力を持った者。


 奇跡的に、フランシスもノールも、最後のパターン当てはまる人間である。だが、ケンドリックは一番初めのパターン、恐怖の方が強い人間であったのだ。


「正直、怖くて仕方なくて。ついていくの、やめようって考えたんです、最初は」


 不明瞭な言葉を二、三呟いてから、ケンドリックは天を仰いだまま目を瞑る。逆に、フランシスはバザールを眺めた。遠めにも賑やかな町は砂色に乾いていて、フランシスは水が飲みたくなった。


「でも……本当にいいのか、って」


 ケンドリックは再び、ポツリと呟いた。左手の焼きもろこしは、ずいぶん生暖かくなってしまっているようであった。


「"これを逃したら、もうないんじゃないか"。ハハ、馬鹿ですよね。――(英雄)、諦め切れなかったんですよ。まだ、なりたいみたいなんです」


 それだけ、と嘯いて。ケンドリックは温度の下がった焼きもろこしにかじりついた。フランシスはケンドリックの肩を叩いた。


「……諦めてしまえば、二度と叶わん。だから……諦めないのは、いい事だと思うぞ。きっと、なれる」


 無責任ですまんな、と頭を掻いたフランシスに、ケンドリックは苦笑をこぼしていいですよ、と返した。

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