美味しいピーマンの肉詰めの作り方
高く結い上げられた茶色混じりの黒髪――見ている方からしたら黒混じりの茶色なのだが、そう表現すると本人は酷く微妙な顔をする――を見て、細い背中の中央よりも下辺りのリボン結びを見た。
珍しいなぁ、なんて思いながら冷蔵庫に寄り掛かると、背中を向けられたまま「挽肉、玉葱、ピーマン、牛乳、卵」と言われてしまう。
オウム返しをしながら、寄り掛かっていた冷蔵庫の扉を開ける。
思ったよりも冷蔵庫の中身が潤っているのは、私とまだ来ていない文ちゃんのお陰。
家主で冷蔵庫の持ち主でもあるエプロン姿の彼女は、栄養補助食品に頼り切りなので、冷蔵庫の中身がスカスカでも気にならないようだ。
実家にいる時は、手作りを食べているのに、自身で用意するとなると途端に面倒臭がる。
曰く、自分の為に作るのは違う、とか。
あまり分からないままに、言われたものを冷蔵庫から取り出せば、彼女は彼女でパンや小麦粉を出していた。
「料理しないって言う割に、動き出すと何と言うか、真面目だよね」
ゆらゆらと揺れる癖毛を見ながら言えば、そうだねぇ、なんて気のない返事が返って来た。
長い袖を捲り、細く白い腕を露出させる彼女は、料理をしないと言う癖に、レシピも見ずに始めてしまう。
既に石鹸で丁寧に洗った手で、私の出した玉葱の茶色い皮の部分を剥いでいく。
慣れた手付きで包丁を握る姿は様になっている。
トトトトト、ザクザクザク、軽快な音ともに、透明なミの部分は粉々になり、微塵切りにされていった。
涙こそ出ないのだろうが、小さく鼻をすする音がする。
「料理はねぇ、出来ないんじゃない。しないんだよ」
木っ端微塵にされた玉葱を見ていると、彼女が料理に関する、キッチンに立つことに関する口癖のようなものを吐き出した。
実際のところ、何度もその言葉を聞かされているので、物珍しさはない。
言い訳にも聞こえる言葉選びだが、本当に出来ないわけではないのだ。
迷いなく包丁を握り、一度も手を止めることなく玉葱を木っ端微塵にした人が、料理が出来ないなんて、ある意味嫌味だろう。
本当に興味無いんだね、と笑ってみれば、間髪入れずに、うん、と頷きが返ってくるのだから仕方ない。
鼻をすすりながらも、彼女は普段ののんびりとしたマイペースな動きからは考えられないスピードで、耐熱ボウルに玉葱を流し込み、ラップを掛ける。
スパンッ、と綺麗に切れたラップを見て、乾いた笑いが漏れてしまう。
そうしてそれを、電子レンジの中に突っ込んで二、三分。
「チンした方が甘いよね。って言うか、玉葱は甘いものだと思ってた。そもそも」
「うーん、それは作ちゃんの野菜好きがあるからじゃなくて?」
「いや、セロリとか好きくない」
好きくない、と呟き返せば、電子レンジ特有のチンッという軽快な音。
ガチャコンッ、扉を開けた彼女は、それを取り出し、ラップを外してから挽肉と牛乳と卵とパンと塩胡椒を入れていく。
ドサドサ、ドポンッ、と豪快な音だ。
そうして全部入った耐熱ボウルが、何故か彼女の後方に立っていた私に手渡される。
あれれ、今日は作ちゃんが作るんじゃ、思ったことを口にするよりも早く、其処にいるなら手伝うってことでしょう、と言われてしまった。
男子厨房に入るべからず、ではなく、料理しない者厨房に入るべからず、らしい。
――つまり、キッチンにいるなら働け。
はぁい、なんて間延びした声で、一応洗っておいた手をボウルに突っ込んで、悲鳴。
「あっつ!!!何これ熱い!!!」手を引っこ抜けば、ピーマンを水洗いしていた彼女が、真っ黒な瞳を私に向ける。
光の宿らないその目が細められ、何してんだよお前、と言っているようだ。
「そりゃあ熱いよね。レンちんしたもん」
「言って?!言おう?!注意喚起しておこうよ!」
私の叫びに、良く分からないとでも言いたげに眉を寄せる彼女は、そっか、と頷いて水洗いの終えたピーマンを切った。
ザクリ、と良い音がして満足そうだけれど、私の言いたいことが伝わった気がしない。
唸りながらも、のろのろとボウルの中身を混ぜ込んでいく。
ジリジリと熱が手の平を焼いているような気がするのだが、気のせいだろうか。
隣で真っ二つにしたピーマンの種を抉り出す彼女の楽しそうなこと、楽しそうなこと。
ちょっと変わって欲しいくらいだ。
私の心中を知ってか知らずか、彼女はビニール袋の中に小麦粉とピーマンを入れて、じゃかじゃかと音を立てながら上下左右に振り回す。
些かダイナミック過ぎないだろうか、男前だ。
そうして小麦粉をまぶしたピーマンを取り出す彼女の視線は私に向けられて、終わった?とでも問い掛けるように首を傾けた。
いつもは長い前髪からチラチラと覗く黒目だが、今日ばかりは料理の為にと横に流されていて、ダイレクトな視線だと思う。
出来たよ、とボウルを突き出せば、今度はピーマンを一つ手渡された。
まだまだお手伝いは終わらないらしい。
「子供の頃ってピーマンとか食べれなかった?」
「うーん、確かに苦手意識はあったかも。作ちゃんは野菜好きだし、そうでもなかったの?」
ピーマンの中にお肉を詰め込みながらのお喋り。
彼女はビニール袋を振っていた時と同じようなダイナミックさで、ぎゅうぎゅうとお肉を詰め込んでいる。
欲張りとかじゃなくて、速さ重視で何と言うか力任せと言うか。
「いや、そもそも野菜好きになったのは小学校に上がってからだから。喘息で栄養価を考えた結果が野菜生活だったんだろうね」
お肉を詰めたピーマンを持ったまま、彼女はお皿を取り出してその上にピーマンを置く。
私もそれに習って置いて、また新しいピーマンへと手を伸ばす。
そうなんだぁ、と出た頷きに、そうだよ、と返って来て沈黙が落ちた。
黙々と手を動かして、全てのピーマンにお肉を詰め終われば、ボウルの中身も空っぽになる。
それを水に漬けていると、フライパンをコンロに置いた彼女が一人で「火、良し」と点火。
その後には油を引きながら「油、良し」と満足げ。
「洗い物、出来る?」
ゆらゆらと揺れるポニーテイルを眺めれば、そんな言葉が投げられるから、間延びした返事をしながらスポンジを手に取る。
スーパーとかで売っている少しお高めなメーカーのスポンジだ。
冷蔵庫の中身に関しては私を含めた彼女以外が揃えているが、食器や調理器具やこのスポンジなどは彼女の好みのものらしい。
料理はしない、という割には、置いてあるものには気を使っており、仮に使うことがあるならば好みのものを、ということだろう。
実際に彼女が今使っているフライパンも、火に掛けられている部分はパンダの絵らしい。
ガッチャガッチャと包丁やらまな板やらを洗って、もこもこと泡立てれば、彼女がこちらを見て「洗剤使いすぎじゃない?」と眉を寄せる。
因みに洗剤も彼女のお気に入りらしく、なるべく透明の容器で柑橘系の香りだ。
「……まぁいいや。それより水頂戴。百くらいでいいよ」
「計量カップどこ?」
「その足元の引き出しの右」
言われた通りにしゃがみ込み、足元の引き出しを開ければ、ステンレス製の計量カップ。
それに水を入れてから手渡せば、有難う、という言葉と共に攫われて行き、いつの間にかひっくり返されているピーマンの入ったフライパンに注がれる。
水が加えられ急激に熱せられたせいか、ジュワアァと音が響く。
洗い物の手を止めていれば、彼女はフライパンに蓋を被せて、火の調節をしている。
「うーん、そろそろかなぁ」と呟いた彼女は、ゆっくりと火元から離れて、台拭きを手にした。
私もそれに釣られるように、洗い物を再開する。
洗い物を終えて、キッチン周りの水気取りも終わった頃に、呼び鈴が鳴らされて、その直ぐ後に鍵の開けられる音がした。
顔を見合わせれば、玄関の方から二人分の「ただいま」が聞こえてくる。
「お帰りなさーい!」
「お帰り」
キッチンから顔を出せば、買い物バッグを持った二人が、それぞれ返事を返してくれる。
オミくんは買い物バッグを持ったままキッチンに入って来て、冷蔵庫の中に飲み物を詰め出す。
中にはアイスコーヒーもペットボトルもあって、彼女が眉を顰めたのは言うまでもなく、豆あるのに、という呟きが聞こえてくる。
リビングでは文ちゃんが買い物バッグから紙袋を取り出して、新刊らしい分厚い本を並べていた。
キッチンから聞こた呟きに「豆から珈琲淹れられるの、アンタだけでしょう」と返す。
あぁ、確かに、珈琲豆もお茶の葉も沢山あるけれど、本当に美味しく気を使って面倒な淹れ方を出来るのは彼女だけだ。
「いやいや、あんなの覚えれば誰でも……」
「何でも良いけど、火掛けっ放し。もう汁も透明だけど、良いのかよ」
「良くない!」
反論をするためにキッチンから飛び出して来た彼女に、私は苦笑を浮かべたが、文ちゃんは面倒臭そうな顔をして本を取り出す。
どんどん積み上げられていく本達、一体何冊買ってきたんだろうか。
二人の顔と本を見比べていると、キッチンで飲み物の補充をしていたオミくんが、前髪を払いながら、もう片方の手で竹串を持って顔を出す。
オミくんの言葉に逸早く反応した彼女が、やはりゆらゆらとポニーテイルを揺らしながらキッチンへ駆け込んで行くのを目で追えば、キッチンからはお腹の空く匂い。
「ピーマンの肉詰め、出来ましたぁ」
楽しそうな彼女の声が部屋に響く。
続いて「デミグラス?ポン酢?醤油?」という問い掛けが響いて、文ちゃんはポン酢、オミくんは醤油、と答えるから、デミグラス?と逆に問い掛けてしまう。
「……皆我侭って言うか、ソース全部用意してあるから勝手にしてくれて良いや。生で出すね」
溜息混じりに出された、大皿に乗ったピーマンの肉詰めは、ほかほかと白い湯気を立ち上らせている。
聞く必要あったのか、なんて皆思ってるけど言わない。
美味しそうな匂いが部屋いっぱいに広がって、ご飯が山盛りになったご飯茶碗を持つ私達。
「戴きます」
四人分の声と手を合わせる音が食卓に響き、私達は箸を伸ばした。