灰
当サイトにおける初投稿作品です。
まだまだ拙文と言わざるを得ませんが、これから末永くお付き合いしてくださると、とても嬉しいです。
よろしくお願いします。
見上げれば、紅の空に2つの月が笑っていた。
星明かりは未だ見えず、遠くの山に薄雲をまとわせているが、この辺りには小さな雲がいくつかただよっているばかりである。
「……さみしいよ」
少女はしらず、ため息をついた。
1人だった。
自由を求めて飛びたった先には、鉄さび色で、陰鬱で、栄華など微塵も感じられない世界だった。
孤高と自分を納得させようにも、誰に見てもらえるわけでもなく、ただ孤独だった。
どうしようもなく1人だった。
少女は視線を目下に移し、あてどなく歩みはじめた。
街灯をみつけた。細長い黒色の胴体が傘を乗せた頭をもたげていて、明るいとはいえない光で、禿げて濁った銀色に見えるお腹を照らしていた。
滑稽だ。
近づいていくとベニヤ版を踏んだ。表面に灰が積もっていて、地面との区別がつかない。ギィッと低い金属の軋む音がして、どこからか驚いたように猫が駆けていった。黒毛にさびた金属粉がまとわりついていて、ところどころ赤みを帯びており、肉球と尻尾の先だけが灰色だった。
猫を追っていけば、人の多いところにたどり着くかもしれない。
閃いた。根拠のない自信のために、少女は必至に脚を動かした。
低い連続した轟音に近づいていく。
人の声は聞こえない。
灰や埃が舞って、むせた。
息が苦しくても、走り続ける。
2分ほど走っただろうか、猫をすっかり見失ったかわりに、轟音の正体をつきとめた。
元は白かったのかもしれないが、今は黒ずんだ黄色をしている、大きな6枚羽の回転扇だった。排空扇というそれは、3つあるうちの2つが稼働していた。
機械油の匂いのする強風が、少女の正面を襲う。
土臭い。肌が乾燥する。何かの腐臭もする。空気に粘りがあって気持ち悪い。そのうえ生温かいものだから、呼吸するのも嫌々だった。
ここには居たくないと思って、少女は逃げた。猫はいない。
灰色の大地に土色の足跡をつくって、ふと、空を見上げた。
2つの月は笑っている。
その理由を私は知らない。
「双子月というのだよ」
あの排空扇からではないけれど、それでも風は吹いていて、遠くに轟音も絶えずするけど、誰かの足音までは聞こえなくて、唐突に聴こえたその声に私は驚いた。
「フォル……コホッ、ケホッ」
振り向いて、名前を呼ぼうとしたけど、口の中が乾いていて、満足に声も出せない。
迎え人は左手で口元を隠し、フフッと含み笑いをした。
私は知っている。これは彼に余裕がある時の癖だ。
「綺麗だろう? この街は空気に膜を張っていてね、光の像が浮かび上がるのさ」
私は気恥ずかしさのあまり、彼と目を合わせられない。顔を見られないようにとそっぽを向いた。
するとあの時の赤茶けた黒猫が、こっちを見て笑っていた。
「あっ! あのネコ!」
私は先ほどまでの羞恥も忘れて、彼の方に体全体を向けた。
背の高さが違っていて、少し背伸びをしなければ届かないくらいだけど、彼は月に見惚れて顎を上向けていたので、私には片耳と髪の毛しか見えない。
「あのネコ、あなたの使いでしょっ!」
左腕で背の猫をしめし、右腕で彼の襟をつかんで引っ張る。
彼は驚いた気色も見せない。私は確信した。
問いつめてやる。
「使い魔をよこしたのなら、おしえてくれてもいいじゃない。あのネコ、喋れるんでしょ?」
「勘違いだよ。僕は知らない」
「じゃあどうして私の居場所がわかったの?」
私は強気だった。それに、すぐに助けてくれなかった彼をこらしめたかった。
「そんな格好をしていれば嫌でも目立つさ。露店のお兄さんに訊いたんだ。可愛いお嬢ちゃんが泣きそうな顔で裏路地に入っていったって」
彼は困ったそぶりも見せない。それどころかバッグから何かを取り出そうと、探す余裕さえある。
「君の大好きな焼き菓子があるよ。お気に入りの茶葉とティーカップもね。猫用の皿は用意していないが、必要なら手に入れよう」
バッグから出てきたのは、小さなタオルだった。彼はそれを私の顔に押し当て、優しく拭ってくれる。
「ちょっと、自分でできるって」
心にもやもやとしたものが残っているけど、私は嬉しかった。黒猫は彼の言う通り、私の勘違いだったけど、探してくれたことが何より嬉しかった。こんなにも大事にされている。なのに私はなんて愚かなことをしてしまったんだろう。いや、彼が悪いのだ。
歓喜と、困惑と、不安と、安堵のないまぜになった面持で、上手く体を動かせず、私の顔はタオルにされるがままだ。
「ほら、綺麗になったよ」
手鏡が差しだされる。だけど私は涙ぐんでいて、視界がぼやけてよく見えない。
きっと彼はいつものように微笑んでいるのだろう。
私は懸命に笑顔をつくろうと努力した。
「行こうか」
右手が温かい。エスコートしてくれる。
「……うん」
それ以上は何も言えない。
トクン、トクンと心臓が高鳴りする。
次第に涙は晴れてきて、心も穏やかになってきて、遠くの山に掛かっていた雲もどこかに消えて、晴れ晴れとしていた。
私たちは2人で連れだって、それでも彼の方が少し前にいるから、気づかれないようにチラと後ろを振り返る。
灰路。街灯。排空扇。私の足跡。鉄さび色の世界。
あれらがすべて、さっきまでの私の心境かと思うと、おかしくもあり、悲しくもある。
次第に街の喧騒が聞こえてきて、ついに私は堪えきれず、クスリと笑ってしまった。
もう振り返らない。彼の背中が私の世界だった。
面持:感情が顔に表現されていること