005 温かさは人の心を緩ませる
早朝。自然と瞼が上がった。
別に早朝の修行をするわけではなく、単純になれない寝具に起こされただけだ。
窓から見える歪んだ外の明るさは暗く、日の光もまったくないことから、地球で言うところの五時前に相当するだろうと判断できる。
地球生物が活動できるこの世界は、かなり地球と酷似していることが分かった。
凛の目測では地平線の湾曲具合から距離までを見ると、地球と近しい惑星の可能性がある。重力もかすかに軽い感覚はあるが、それでも普通の人間からすれば誤差の範疇に収まることを考えれば自転速度もそう変わりはないのだろう。息ができ、地球と同じ環境であることから大気の層もあることも推測できる。
そう考えると宇宙人というのは地球とは違う太陽系に存在する、太陽の距離も地球と同じぐらいの惑星で生まれし生物なのでは、と凛は妙に冷静に考えていた。
生物が生まれるということは水、タンパク質、脂質、炭水化物、 核酸など、生物学的に最低限必要とされている構成成分等のほかに、地球生物の生存できる環境が必要となってくる。「そんなものができるのは天文学的数値」と中学の時、担当教師が言っていたのを凛はなんとなく思い出した。
さらに、違う惑星で遺伝子レベルでここまで人間と酷似している生物が生まれたことはそれこそ天文学的数値より低い。
それを考えれば、フェイルやスフィのような生物――人間と断定できないから――と出会えたことは非常に幸運だったといえる。
凛はそんなことを思いつつ、ハイカットシューズをはき、部屋の扉に寄って、扉に貼ってあった霊符を取った。部屋の中で靴を履く習慣のない日本人にとっては室内で靴を履いている感覚は妙に新鮮だ。
破邪の札は悪霊、呪いなどから守る力があり、そこに凛のような特異の力を持った人間の気が交われば、その効力は跳ね上がり、物体を通さないまでに至る。
目的としては単純に誰かを通さないというものだが、実際のところは少し違う。人間はものを食べているときと寝ているときに最も隙ができるとされており、食べているときはまだしも寝ているときに敵襲が来ても、凛は対処できるか不安であるから、こういった札などで用心をしているのだ。
廊下へ出ると、まだ暗いせいか廊下の暗がりが異様な不気味さを醸し出している。さらに気候は秋に近いこの世界の気温がいっそうそれを引き立たせた。
一度家全体を探知にかけてみれば、どうやら活動している人はいない。
玄関を出て、凛はまた村全体を探知した。動きがないことから、これもまた活動している者はいないと判断できる。
村から五キロ行ったところに湖があるのは前日のうちに聞いておいたので、そこへ向かう。足の経絡に気を集め、そこから一気に森の中へ踏み込んだ。方角は聞いてあったので、その通り村の南へと向かう。
木々の上を飛び移るような漫画のような方法も考えたが、木によっては折れる場合もあり、何より神経をより一層使うので面倒くさいからそれは頭の中で却下した。
全速力とは程遠いが、そこへは二分半ちょっとで到着した。
湖と言っていたその場所を見て、凛は度肝を抜かれた。透明度は南国の海のごとし高く、大きさは視界いっぱいに広がるそれが目に入れば、驚かないほうがおかしい。まだ暗く光もないが、例のごとく凛は忍びであり、夜目が聴く。その視力は真っ暗闇でさえ3.0にも及ぶ。
ゆっくりと近づいてしゃがみ、そっと触れてみれば、緩やかな波紋を広げて静かに消えていく。人体に影響がないのは昨日の晩に飲んでいるからわかっているのだが、今回触ってみて、そんなことはどうでもいいものだと気が付いた。
久しぶりに心が和んだ気がした。
「あ、そうだった」
思い出したことをすぐさま実行すべく、湖から一〇メートルほど距離を取る。そしてその周辺にある土を動かした。自分のいる場所から徐々に徐々にと土が沈んでいき、十秒と立たずにそこには半径三メートルほどのクレーターが出来上がる。周りは若干盛り上がっていた。
その後、気を手の経絡へと集中させ、それを具現化させた。手には大きな大きな火球があった。まん丸のサッカーボールほどの大きさで、その密度は高く、色は青色を超えて若干白。
それをクレーターへと放り、それを遠隔で弄りながらクレーター表面を溶かしていく。コロコロとクレーターの表面を転がし、ジュウジュウと焼ける音を発しながら土は溶け、赤くオレンジへとなっていく。火球が小さくなって消えたころ、茶色い部分が見えないそれはもはやマグマに見えた。
それから少し離れてちょうどクレーターと湖の中点に立ち、そこから湖に気を送り込む。物体は気を送り込むことによってある程度自由に操作することもできる。しかし、たとえ熟達した術者であっても生きているものに送り込んだところでわずかに動きを鈍らせる程度しか効果は得られない。ある程度の意思を持つ生物には、それぞれに違う気が発せられており、それが術者の気を妨害しているため、生きているものにその効果はないということだ。余談ではあるが死者であったり、人形であるならば気を発していない以上効果が見られる。そのため、「死者操り」や「人形操り」は奇術史最大の禁忌とされている。
送り込まれた気はそこから熱を奪い、水を氷へと変えていった。そしていびつな氷の塊となったそれを浮遊によって持ち上げて、クレーターへとぶち込む。
わざわざ氷にせずとも水を直接動かすことは可能だが、はっきりとした形を持たない水を操るのはこれまた神経を使い、わずかだが氷にしたほうが簡単だ。つまり凛が氷で動かしたのは、そのわずかに面倒だという直接水を動かす工程を凛が面倒くさがっただけだ。
クレーター表面へと触れた氷の塊は、ホットプレートに水をかけたような音とともに勢いよく溶け始め、すぐに蒸発して消え去った。残ったのはわずかな水と表面の冷めた土。
すさまじい熱気はまだ人間には厳しい。さらに湖の水を凍らせて、それをクレーターへと送り込む。先ほどよりも遅いペースで溶けていったそれは、
――温泉だ。
あとは温度調節として、水に触れて熱を移動させれば完成する。
さっそくその工程を済ませて、温度を四十二度ほどにし、来ていた衣類すべてを脱いで、飛び込んだ。
水しぶきを上げて飛び込んだそれはまさに極楽だった。
サバイバルをした日には一週間入れない日があったりするその反動からか、それとも単にお風呂好きな日本人の性なのか、凛は風呂が好きだった。
「あ゛~、極楽~」
思わず出る声も腑抜けてしまう。緊張の糸が緩んだ隙に命を駆られる可能性をつぶすためにも、凛は一度だけ周辺五百メートルを探索しておいた。
一人だけで堂々と入れる温泉は、まるでその温泉が自分のものであるかのように感じられる。この土地が誰かの土地だった場合は早々に直しておく必要があるが、今ぐらいはそんなことは忘れたい。
見える木や湖がいっそうその極楽を高める。
“こんな贅沢あまりできないな”と凛は考え、次いで“誰かに教えたい”と思った。そんな時に浮かんできたのは美冬の顔だった。
あまり仲は良くなかった美冬。偶然見られてしまった故、巻き込んでしまった人間。
本当に申し訳が立たない。
流れでついてきていたが、凛は美冬に対して少しだけ不思議に思ったことがあった。
凛は族長宅へと戻った。
まだ暗い。あと日の出まで十五分ほどだろうか。
急いで凛は美冬の部屋までいった。そこでノック。
「風木さん。起きてる?」
まだ五時過ぎに起きているわけがないとは思ったが、ダメもとで声をかける。
「なぁ~に~」
扉の反対から声がかかった。ひどく眠そうで、今無理やり起こされたことに不快感を乗せた声。
「ごめん風木さん。ちょっと見せたいものがあって」
「ちょっとなの? だったらあとじゃダメぇ?」
「ちょー。ちょーみせたい」
「……むう。仕方ないなぁ」
そういって少し待つと、ゆっくりとドアが開いた。そこには昨日と変わらない制服と、昨日と変わった髪型の美冬がいた。髪はひどくボッサボサで、いつもクラスで人気のある少女とは若干離れている。
「……えッ! 雅柴君ッ!」
寝起きであることをいまさら気が付いた美冬は大慌てで扉を閉めた。
閉められて、寝起きの女性を訪ねるのは少々デリカシーにかける行為だったことにいまさら気が付くが、今は時間が惜しい。
「ちょッ! ごめん風木さん、急いでるから早くして。俺気にしてないから」
「私が気にするわッ!」
奥から怒声。素で謝意を表したのだが、完全に選択ミスだった。今のは凛が悪い。
渋々待っていれば、ゆっくりとまた扉があいた。そこには先ほどのようにぼさぼさの髪型ではなく、ある程度梳かれたきれいな黒髪となっていた。どうやらバッグの中に入っていた櫛で梳いたのだろう。
「あ、いやその……ごめん。ちょっとデリカシーに欠けてた」
「いや、こっちこそ大声で怒鳴っちゃって。それで見せたいものって」
言われて外を見れば、若干先ほどより明るい。
「ちょっとごめんッ!」
そういって凛は美冬の肩と膝を背中から通して持ち上げた。ちょうどお姫様抱っこのように。
「ちょッ! まッ!」
少し抵抗を見せたが、すぐに押し黙る。顔は真っ赤だったが凛は自分の目的でいっぱいで、そのことにはまったく気が付かなかった。
急いで玄関を出て、また先ほど通った道を通る。先ほどのよりちょっと速く走る。
急いでついた先には、
「あ……」
ギリギリのところで間に合った。美冬を降ろす。
そこには先ほどの湖。しかしそれだけではない。方角的にその位置には太陽。
森の木々の上からひょっこり全身を見せて、それが透き通った湖に反射して、二つの太陽がそこにはあった。きらきらと輝く湖に、ギラギラと光る太陽が反射して眩しい。
だが、その景色は眩しくて、眩しすぎるくらいに綺麗だった。
この世界のこの位置ではちょうど南が太陽の顔を出す位置らしい。
「す……ごい……かも」
美冬の独り言に凛は何も言わない。
これはすごい綺麗かもしれないのではない。実際、すごい綺麗なのだ。
見れば価値ある景色。
写真に収めたく凛は携帯を探ってみれば、それはどこにもなかった。この世界ではほとんど使えないが、落としたことに後悔。
しばらくずっとこの風景を眺め、しっかりと、しかし確実に二人は目に焼き付けた。
「なにこれ?」
この風景に満足したのか美冬はきょろきょろと見回して、ちょうど目に入ったものを指さした。
「ああ、それさっき作った」
「これを? へぇ~、すごいねえ」
指をさしたのは先ほど凛が作った温泉。
女はきれいを心掛けたい生き物。美冬のその目が入りたがっているのはすぐに検討が付いた。というより、温泉もまた見せたいうちの一つだったのだが。
「入りたい?」
「え? いいの?」
言っている顔も声もすでに入る気が満々。
この反応はすでにわかりきっていることだったので、すでに水は取り替えてある。もちろん凛の使った水はいったん熱して殺菌を殺し、綺麗にしてから湖に戻した。
凛はすぐにぬるくなった湯を温めて、それからしばし考えた。
――仕切りがほしい。
そう思い、その仕切りを作ろうとして一瞬迷ったが、仕方なく作ることとした。
足の経絡を通して木へと気を打ち込み、そこから根っこや木々の枝を伸ばして、ちょうど湖だけ見えるように仕切りを作り上げた。ぐちゃぐちゃで均等感は微塵もないが、しかし隙間もないしっかりとしたつくり。
作ることに抵抗があったというよりは、力を行使してる時を見られるのがあまり慣れていないから少し迷った。
「おおッ!」
その反応を見て凛は安心する。美冬に限ってこうったことはもうないとは思ったが、こういった力を下手に見せて気味悪がられるのはさすがに傷つく。
案の定美冬は見られたことに気味悪がるそぶりは見せず、むしろそれが見たいといわんばかりの反応。
「じゃあ俺この仕切りの反対側にいるから」
「うん。……あ、のぞかないでよ?」
茶目っ気の乗った笑顔で言われて、凛は苦笑いで返してそのまま仕切りの裏へと歩く。
静寂の中、その入浴が終わるのを待つが、
――ズッ、ズル、サラサラ、スルスル。
聞こえてくる衣擦れの音が思春期男子にはどうにもいやらしく聞こえてしまう。
凛はできるだけそのことを考えないようにした。
――チャプン。
すこしして着水した音。その音が聞こえてまた意識してしまうが、なんとか無心を取り戻す。
「ねえ」
「はいッ!」
十五分したころに、美冬の声。
声が裏返ったらおしまいだ。いやらしいことを考えていると一発で見抜かれる。若干慌てたような声になったが、ぎりぎりでとどめた。
「タオルって持ってるの?」
美冬の質問の内容に硬直した。
先ほど凛が入った時は自分の一メートル前方に火球を作り、その奥から自分に風が来るようにして温風で乾かした。が、今回は他人。乾かすことは
――アレ、無理じゃね?
焦りに焦って無言を貫く凛に、
「もしかして持ってないの?」と美冬の冷徹な声。
「どうやって乾かしたの?」
「じ、自分の力で」
「私はどうしたらいいの?」
「……じ、自分の力で」
「無理に決まってんでしょうがッ!」
怒声。
「いや、ホントごめん! ちょっとフェイルさんに頼んで用意してもらうから!」
完全に失敗だった。目の前のことばかり見てそのわずか先のことを見落とすとは完全に失態。まだまだ人間としても凛は未熟だった。
慌てて取りに行こうと立ち上がったところで、
「待って」
美冬の声。しかし先ほどのように怒った声ではない。静かに凛とした声。
「雅柴君のそれで……何とかできる?」
照れというよりは恥ずかしさのこもった声で問うてきた。
「できるけど」
しばしの間が開く。無言属性。
「タオルないからそれで何とかして」
ちょっと突き放すような、しかし恥ずかしげな声で美冬は頼んだ。
「……うん」
凛が一言そういうと、仕切りの奥からザバンと水の揺れる音がした。美冬が湯から出たことを確認して、緊張しながら力を使って温泉の付近に火球を送り、美冬と火球の延長線上に風を作って送り出す。
「なんか簡易ドライヤーみたい」
仕切りの奥からそんな自然な感想が聞こえた。
しばらく力を使い、美冬の「もういいよ」という声を聞いて止めた。
二人の間を仕切りと微妙な空気が取り巻く中、凛は聞いてみたかったことをなんとなく口にしてみた。
「ねえ、なんであの時抵抗しなかったの?」
あの時とはもちろん凛と同じ罰を執行されることを知らされた時なのだが、あいにくわかりにくかったようで、美冬は「あの時って?」と聞き返してくる。
「風木さんも俺と同じ罰を受けるって聞いた時。混乱しててあんまり考えてなかったけど、普通だったら『なんで私がそんなことしなくちゃいけないの』みたいなこと言って断るんじゃないかなって思って」
凛にはこれが引っかかっていた。凛の未熟さ故に勝手に巻き込まれた美冬からすれば、本来あそこで怒って逃げようとして当然だ。にもかかわらず美冬はうんうん頷いて、流れでここまで来た。
それが凛には考えられなくて、申し訳なかった。
「最初はね、そりゃなんで私がーって思ったよ。でもね、そんな思いよりも雅柴君と一緒にいるほうがなんか面白いかなぁーって思い始めてね」
「クラスでもあんまりしゃべったことないのに?」
「仲良くないからだよ。仲良くなければそれだけその人のこと知らないんだよ。
それにそれ聞かされる前に小っちゃい女の子助けてるところ見て「すげえ」って思ったし、その真相が知りたかったっていうのもあるかな」
「でも危険だよ」
「わかってる」
「死んじゃうかもしれないよ」
「わかってる」
「……そっか。ほんとごめん」
どうしても謝りたい。もう何度か誤ってるけど何度でも謝りたい。何度誤っても誤り足りない。
凛は自分の勝手で他人を巻き込んでる自分が今までで一番憎く感じられた。
「もう謝らなくていいよ。もう割り切れてるし許してるし。まあ森からのスタートっていうのはきつかったけどね」
先ほどのまじめな声から一遍、からからと少し馬鹿にするような明るい声が仕切りの向こうから飛んできた。その声を聴いて、凛は心の中に引っかかっていた骨が取れて少し、すっきりした。
「ゴメン」
空を仰いで小さく聞こえない声で一つ、つぶやいてみた。水がこぼれないように。
「ありがとね」
慌てて目をこすり、不意に聞こえた声のほうを向けば、もうすでに着替えも済んだ美冬の姿があった。つぶやいた声や濡れた顔には気が付いていない様子だ。
「こっちこそ」
「なんのこと?」
「さてね。さ、帰ろう」
ちょっと、と追及してくる美冬に適当にのらりくらりとかわして凛は誓う。
――俺、この人を死ぬまで守る。
そこにどんな思いが込められているのか。
好意なのか誠意なのか。
いつかは変わるかもしれないその思いを胸に抱いて凛は歩く。
温泉作るためにバンバン力使ってます。
一応、そういった力は『五行』・『五遁』の力を応用したってことに勝手にしてます。
五遁は本来、物理もしくは精神的に相手の行動を阻害する行為なので、漫画のように攻撃することは本来「○遁」とは言いません。某ジャンプ人気漫画のように。
そこへ行くと、某スクエニ系列のGの付く漫画雑誌に掲載されていたとある漫画は攻撃に「火生木剋」といった相剋と相生をちゃんと踏まえて書いてありますね。
本作はもちろん適当に書いてあり、忍者を都合よく作り変えています。
ついでに言えば、こういった力は本来忍術ではなく忍法と呼ばれています。