004 真相、そして出会い
食料なし。現在位置不明。
この二つの条件が揃うとき、それは極限状態を意味するだろう。現在位置が不明であればどの方角を目指せばいいのかが分からない。しかし、だからと言っていつまでもこの場にとどまっていることもできない。どの道とどまろうにも最低限食料の確保は必要だ。それも今は何もない。
「どうしよう」
不意に美冬がつぶやくのが聞こえた。
この極限状態の中で、普通は不安にならないほうがおかしい。凛の場合は修行の一環で、一週間山でサバイバルさせられることがたびたびあったため、たとえ野宿となってもこのぐらいの野宿はどうにでもなる。
しかし美冬はどうか。今日の今さっきまでごく普通の、どこにでもいる高校生をやっていた人間が、いきなり野宿などできるのか。答えは“できない”だ。
自分のせいでこんな事態に陥ったのだ。自分の未熟さが災いをなして美冬を巻き込んだのだ。だったら少しでもその不安を取り除くのが今自分のやるべきことではないのか。
凛はそう自分に問いかけた。
――だったら、
「大丈夫。何があっても俺が何とかするから。もともと俺のせいでこうなっちゃったんだし、絶対に風木さんが危険な目に合うようなことはしない。だから信じてほしい」
“何があっても君は俺が守る”ぐらい言えばいいものの、テレがあるのか何ともはっきりしない答えとなってしまった。美冬の反応はと言えば、うつむいて小さくうなずくのみ。
その反応が凛には“信じる”とも“信じない”ともどちらにもとれたため、結局成功とも失敗ともいえないひどく微妙な結果となってしまった。
しかし、できるだけ早急に美冬を安心させるに越したことはない。そのためには、やはり今後の方針を決めておくべきだろう。そう思った凛は早速思案し始めた。否、しようとした。
空からの飛来物。サクッとあっさりした音とともに、凛の付近の土に突き刺さったそれは苦無だった。十三~十五センチメートルほどの大きさから推察するに、大苦無と見受けられる。そしてその苦無の後部の輪の部分には何やら紙が巻きつけられていた。
凛は一度空を仰ぎ見たが、そこは快晴の空ただそれだけで、誰かが投げたわけでもない。
美冬もそれに気が付いたのか、立ち上がって近づいてくる。
「何それ?」
「苦無……とそれに巻きつけられてた紙」
凛は手に取ってその紙を解き、クシャクシャになったその紙を伸ばして何か書かれているのか確認した。
『これを見ているということは、一応は無事ということだな。
紙にも限度があるからさっそく話を書かせてもらうが、おそらくそこは地球ではない。
それ以外はわからないが、生きているということは地球生物が活動できる場所であるということだろう。食物が人間の体に合うかどうかまではわからないがな。そこらへんは注意しておくといいだろう。
その世界からの脱出方法はないわけではないが、正直かなり難しい。
方法は“その世界に認められること”だからだ。世界が人を表すのか神を表すのか、定義がはっきりしない以上は認められるもくそもない。その答えを見つけた時、そしてそれを実行できた時、初めて元の世界に戻れるだろう。
それから、二人が同じ場所にいるとは限らないことも踏まえて、一応片方ずつに言葉を残しておく。
まず凛。お前がお嬢さんを巻き込んだんだから、責任もって世話しろよ。
そしてお嬢さん。凛のふがいない力がこんな結果を招いて、本当に申し訳ない。
わしにはできることもない。あとは己の力を武器に進むことだ。生きて帰るを事を切に望む。
雅柴家当主・雅柴仁蔵』
達筆な文字で書かれたそれは、仁蔵からの手紙だった。
その内容は凛を大いに混乱させた。
どうやらここは異世界らしい、――と言われて“はいそうですか”と二つ返事で納得できるほど凛も単純でではない。
そもそも「異門の壺」の中に入っていたのではないのか? 正確な位置こそ分からないものの、凛は異門の中だとばかり思い込んでいた。それがまったくわけのわからない異世界。
いきなりそんな突飛なことを言われても簡単に信じられるものではない。その思いに同意を求めて美冬を見れば、
「ここ地球じゃないんだ」
――違った。その現実をあっさりと受け止め、解釈していた。
「……なんでそんな簡単に納得できるの?」
凛には理解しがたかった。そんな簡単に納得できることが。
いきなりこんな森に放り出された不自然はあったが、それは仁蔵がやったことだと検討がつけられる。しかし、そこが異世界と呼ぶにはさすがに現実からかけ離れている。
「だって雅柴君が忍者って言われてすごい力見せられて、そのあとに異世界ぐらいきてももう驚かないよ」
美冬は苦笑気味にそう答えた。
その答えに凛はそうか、と思う。美冬からすれば、凛や仁蔵の使った奇術は十分に現実からかけ離れているのだ。だから次にまた現実からかけ離れてた事態に陥っても、不安こそあれ混乱はしなかったのだろう。凛は自分と美冬のものさしが根本から違うものだと、いまさらながらに理解した。
そして美冬はそれに、とつけて続きを話す。
「雅柴君のお爺さんでしょ? それぐらいやってもおかしくないよ」
異世界への転送は忍びがすることでもないのだが、あらゆる業を身に付けた仁蔵であればそれぐらいできるかもしれない。本気でできると思えることが凛には恐ろしかったが。
そして「異門の壺」という文字にも理解がいった。異門の『異』は異世界を表し、異門の『門』は文字通り門を表す。そう考えれば、『異門の壺』とは異世界をつなぐゲートのようなものと判断できる。
しかし異世界とは言うが、そこからの脱出方法ははっきりとわかっていない。
『世界に認められる』仁蔵の手紙に書いてあったように、ここでいう世界の定義があいまいすぎる。どのみち行動しなければ前には進めないし、その手がかりもつかめないのだが、四方が森に囲まれたこの場でどちらに何があるかわからない。周辺を探してみれば木以外は何もなことが分かっている。
この場にとどまることもできなければ、どこに何があるかが分からない以上はどこかに移動することもできない。だったらどちらかを取らなければいけない。
自分一人の判断で決めていいものかどうかと思い、美冬に聞こうかと思ったが、もともと自分のせいでこうなったのだし、それ以前に美冬だって異世界を認めこそすれ、不安なのは変わりないのだ。
だったら自分で決めるしかない。
「とりあえず、どこか歩いてみよう」
「どこかってどこへ?」
「わからないけど、食料がない以上はいつまでもとどまるわけにもいかないし」
美冬は食料がない現実を突きつけられて少しひるんだような表情を浮かべたが、いつまでもとどまっていられない現状を理解したのか、そこははっきりとうなずいた。
「バッグ、とってくるといいよ」
バッグを指さし美冬に言って、凛は手に持つ苦無をいじりはじめた。重さもしっかりあるし、比率も前方によっていることから、実用性も十分ある。いざとなったら近接、遠距離戦闘にも使えるこれはかなりありがたい。罰を食らったのは自分の責任だし、今回ばかりは苦無を届けてくれた仁蔵に感謝した。
歩けど歩けど木ばかりな現状は、二時間ほど足を進めた今でも変わりはなかった。
「…………いつになったら……ここ、出れるの?」
「わかってたらいいんだけどね」
疲れが限界に達し始めた美冬に対し、未だ余裕な凛は苦笑を浮かべて返答した。
しかし、限界の美冬をいつまでも歩かせるのは少々酷だ。
「少し休む?」
「え……うん」
素直な分だけ疲れていたようだ。
美冬は近くにあった木に寄りかかって座り、凛も向かい合うように別の木に寄りかかった。
本当はおんぶなり抱っこなりして移動することもできるのだが、それはあまりにもデリカシーにかける。それにそんなこと凛のヘタレさではまず口にすることが無理だ。
二人の間は無言が支配する。もともと仲が良くなかった二人には、まだ気軽に話すには期間が短い。
間が持たないと思った凛はなんとなく周りを探索し始めた。
風をつくりだし、自分を中心とした半径五百メートルへと送る。その中に自分の気を織り交ぜることによって、その風は己の手となり足となる。といっても有効範囲が百メートルの時は“物体の形がわかる”のに対し、五百メートルまで広げると効力は落ち、せいぜい“そこに物体がある”という程度しかわからない。それでも生物がいればその物体が動いていることまでが分かるから、有効範囲は五百メートルでも構わないのだ。
?
凛の探索効果はあった。およそ四百メートルほど先に空間があり、動く物体があるのを探知できた。しかも形が縦長でかなりの数であることから人間の可能性が高い。百人近くを超えている。
集落でもあるのか、と凛は推察した。
「風木さん。ここから四百メートルぐらい言ったところに人がいるみたい」
「ほんと!?」
その声は今までの不安が一蹴されたかの明るさだった。
うん、と肯定するとその顔には笑顔が戻ったが、その反応に凛は少し戸惑う。
大きな目は綺麗な黒瞳を備え、整った鼻筋に薄ピンクの桜を思わす唇。念入りなトリートメントのされた腰まで伸びた黒髪に対し、雪のような清潔さが印象的な肌。柔らかい曲線を描いたボディーラインは不健康でない程度に細い。
これだけの美しさを備えた美冬に笑顔が付加されれば、その魅惑の力は絶大だ。たとえ好意を抱いていない者でもドキリとさせられる。
だが今はその煩悩を棚上げすることにした。
「じゃあ今から行こッ!」
先ほどまでの沈んだテンションがまるで嘘かのように、美冬は立ち上がって言った。その反応が現金で、凛は思わず笑いが込み喘げてきた。
「ちょっとッ! なんで笑うの」
「いや……ククッ、ちょっと風木さん……」
笑い続ける凛に美冬は不機嫌な顔をしたものの、今は凛の反応よりこの先にある人の姿が見たいらしく、すぐに行こう、とはしゃぎ気味だ。
少しして笑いが収まると、凛も立ち上がって歩き出した。
たかが四百メートルなのにもかかわらず、今にも待ちきれないといったように美冬の足が早まる。
そして四百メートル歩いたそこには――
「え、……な………にこれ」
そこには獣がいた。大きな大きな獣が。ごわごわな藍染の着物よりも深い藍色をした獣毛を携えたそれは熊に近い形をしており、しかし明確に熊とは異なる。その機動性を重視した四肢や体はもちろんのこと、目は鈍く、血よりも濃く紅く光り、手につく爪は太い腕と合わさって迫力はすさまじい。
どうやら集落という予想は当たったようで、サッカーコート三つ分ほどの空間には木でできた様々な家があり、そこには多くの人がいた。が、その表情は恐怖そのもので、悲鳴を上げたり恐怖で足がすくんでいるものが大半だった。
ゆうに三メートルを超すその巨体は、近くにいた一人の少女へと迫った。
「またかよッ!」
凛もすかさず反応し、手に持っていた苦無を獣に投げた。苦無が風を切る間に獣との距離を詰める。当たった苦無は腕へと突き刺ったものの、それをものともせずにその目をこちらへ向けた。
「グルルルゥゥゥ」
「風木さん! 今のうちにあの人移動させてッ」
「う、うん」
唸る獣に美冬は恐れを抱いていたものの、凛の言葉でハッとしたようで、急いで迂回して少女のもとへと駆けた。美冬の行動力には感謝しつつ、凛も獣と対峙した。
対獣戦闘の経験はないわけではないが、ほとんどは対人戦闘の修行だったし、あったとしてもそれは式神との戦闘だ。今目の前に対峙する獣に最も近いのは、陰陽道も心得た仁蔵の作り出した十二天将は『白虎』。
熊と虎では形も動きも違いすぎで参考にはならないが、しかし対獣戦闘という経験は大きい。
襲いくる獣は凛へと迫ったが、慌てず気を全身の経絡へと集中させる。
来る獣は飛びかかった。その獣の顔面へ回し蹴りを決めて突き飛ばす。何百キロもある巨体を突き飛ばした衝撃は大きく、その分だけ片足が地面へとめり込んだ。
思ったよりあたりは弱い。獣はめげずにまた立ち上がり、その強靭な四肢でまた迫る。
拳の近接格闘は不利で、長期戦は面倒だと判断し、凛も攻めに入る。タイミングを合わせ、わずかにできた隙に一瞬をついて相手に刺さった苦無を抜き取り、その苦無を振動させてその太い首に深々と突き刺した。
「グアアアアアアアアアアアア」
凛は苦無をえぐって抜き取り、バックステップで数メートルの距離をとる。苦無を抜いた瞬間に紅い血がどくどくと止め処なく流れ出た。仁蔵の作り上げた式神からは血は出ないから、このように大量の血を見るのは初めてだ。殺してはいないが生命を刈り取る行為であることには間違いない。そこにひどい罪悪感がわいたし、吐き気も催した。
えぐられたその痛みに咆哮を上げて凛を睨む。対して吐き気のする凛は、その罪悪感を必死に意識の奥に追いやった。
にらみ合う数瞬。
負けたのは獣。クゥンと甲高い悲しげな声を上げて、前足を引きずり首の傷口を気にして森の中へと帰って行った。
苦無を見れば、獣の地がべっとりと付着している。見るたび罪悪感とともにどこかへ行った吐き気がまた戻ってくるが、ここでいつまでも吐き気と格闘しているわけにもいかない。
すぐにしゃがみこむ少女と美冬のもとへと駆けた。
「大丈夫?」
「ッ! それが……」
こちらを向いた美冬の視線はすぐに苦無へと向かい、そこへ着いた紅い血を見て、動揺を見せたがすぐにそれを隠す。
せっかく自制して動揺を隠した美冬に謝るのはかえって失礼かと思い、凛は少女に目をやった。瞬きをしているところを見ると、少女は生きているらしいので生死の問題ではないらしいし元気そうだ。
そうなると、
「もしかして……言葉が通じないとか?」
ハズレを願ってで言ってみれば、美冬はバツ悪げにうなずいた。
異世界では言葉の通じるオチがよくあるが、現実問題はそこ甘くはなかった。
どうしたものかと考えたが、とりあえず自分で話しかけてみる必要がある。
「あの……」
できるだけ声を柔らかく、相手に警戒心を与えないように。
十歳後半に見える茶髪をロングにした少女は、言葉が通じないことが分かっているのか、立ち上がって凛にすぐにお辞儀をした。日本人のようにお辞儀をすることに若干の驚きがあった。
日本でお礼をするときはその多くがお辞儀をするが、ヨーロッパなどの場合はお辞儀という習慣はなく、笑顔で目を合わせるに留まることが多い。それは目をしっかりと見つめることが誠実さにつながるからだ。
凛がそこまで知っているわけではないが、それでも日本とは違う文化圏であることを自覚した。
そして少女は一度腕を横に向けると、その方向に歩きだした。
「ついて来てってことかな?」
「そうだと思うよ」
美冬の問いかけに凛は同意して、一緒に歩きだした。――その前に苦無は美冬の持っていたハンカチで仕方なくふき取って、ブレザーの内ポケットに入れておいた。
道に広がる人々は蒼い目であったり堀が深めであることから、欧州系の血が濃いイメージを受けた。
道中いろいろな人に目を向けられるのだが、その目に含まれる意図は様々だった。獣を追い払ってくれたことに対して感謝の意を乗せた視線もあるが、それよりも多いのは奇異の目。獣を倒した力に対してなのか、それともアジア系統の顔が珍しいことに対してなのか、それとも二人の学校指定制服という変わった風体なのか。まわりの人々は麻や絹のような植物性の簡素な衣類をまとっており、ポリエステルでできたブレザーというのは明らかに周りと浮く。
どちらにしろ居心地が悪いのには変わりがなかった。
美冬は露骨に居心地が悪そうにうつむいていたが、それを見た凛は一歩よって耳元に声をかけた。
「あんまり下向いてるとなめられるから、こういう時は堂々としてたほうがいいよ。一応こっちは恩人……だと思うし」
「ッ! うん、そうだね……」
凛の顔が近すぎて驚いたのか、美冬は少しのけぞるが、言っていることを理解して肯定してしっかりと
前を向き、凛より少し前に出て歩みを進めた。若干頬が紅いのは気のせいだろう、と凛は美冬の頬の赤さを特に気にすることはなかった。
この森の集落で最も大きいと思しい家の前にたどり着いた。
異世界ということで、凛も美冬も大きな家は西洋の煉瓦作りやゴシック調をイメージしたのだが、実際は木の茶色を基調とした、というかそのほとんどを木で構成していた。しかし逆に考えてみれば、森の集落に建てられた家々は木造が基本なのに一つだけゴシック調というのも、周りとの差別化を図る意味では効果的だが、明らかに協調性を乱す。
少女は一度振り返り、また玄関を示すように腕を向けると、また足を進めた。
玄関を開ければ、外観よりも整った印象を受けた。木でできていることに変わりはないのだが、清潔感があるし、形は貴族の屋敷のようにも見える。あくまで形はだが、エントランスから二階に伸びる階段が曲線を描くように二つあり、その横には両端に伸びる廊下があり、廊下の両側には多くの部屋が設置されていた。
「どこなのかな?」
美冬はきょろきょろと内部を見渡しながら凛に問うた。
「まあ家の規模は周りと比べても大きいし、長とかだと思うけど」
少女は階段を上り、左の廊下を歩き始めた。ついていく二人。
たどり着いたのはもっとも端の部屋だった。ほかの部屋の扉が一枚だったのに対し、こちらは2枚の両開きとなっている。
少女はノックをして引き扉を開け、手を凛たちに向けて少し待っているように促すと、中へと入っていった。そして五分もしないうちに扉はまた開かれる。中へ入ればそこも変わらず木でできた飾り気のない部屋だった。しかし家具はある程度は凝った造りになっていることから、多少はいいものなのかと凛は推測した。
そしてその机に構えていたのは三十代に見受けられる女性。茶髪を膝のあたりまでだいぶ伸ばした女性は凛たちにニコリと笑みを浮かべると、何やら二人へ近づいてきた。
握られた手を開くと、手のひらにはエメラルドのようなきらめく宝石のはめ込まれたペンダントが二つあった。手に取るようにジェスチャーで促され、二人はそれぞれペンダントを手に取る。
そして手に取ったペンダントに、凛、美冬の順で女性は軽くキスをした。驚いて凛は手を引っ込めそうになるが、ぎりぎりのところで自制する。
「言葉はお分かりになりましたか?」
突然、凛が助けた女性が声をかけてきた。そのことに凛も美冬の驚きをあらわにする。言葉が通じないことを直に体験した美冬は尚のことだ。
「はい。だけどこれはどうやって……」
「それはその手に持っているペンダントの効果よ」
今度は三十代の女性が話しかけてきた。やさしそうに笑みをこぼすところを見ると、母親のような感覚に陥る。母性本能が強いのだろうか。
「そのペンダントというか宝石には、意思と意思をつなぐ力を持っているのよ。だから言葉が通じなくても意思が伝わる仕組みになっているわ。その効果を得るためには、通わせたい言葉を話す人間の体の一部をそのペンダントに触れさせないといけないのだけど。けどそのペンダントがある限りは少なくともこの村では言葉が通じるわよ。その証拠がこの子と話していることね」
女性は続けて説明をし、最後に少女を示すように手を向ける。
キスの理由がペンダントの効果を得るためだとはいえ、今の説明なら手で触れるだけでもいいのではないのかと凛は思うのだが、せっかくの厚意をいちいち掘り下げる必要もないと思い、特にそのことに関しては何も言わないことにした。
「ありがとうございます。言葉が通じなくて困っていました」
「全然構わないわよ。むしろこの子を助けていただいたことをこちらが感謝しなければいけないもの。本当にありがとうございました。事はこの子からすべて聞かせていただきました」
いえいえ、と謙遜をしながら凛は頭を下げる。
「自己紹介がまだでしたわね。わたくし、ミリフィ族長・フェイルと申します。この子は私の娘のスフィと言います」
フェイルが自己紹介をし、ついでに少女――スフィの紹介をする。紹介をされてスフィが「初めまして」と頭を下げた。スフィが娘にしてはずいぶん若く見える。
「こちらこそ初めまして。え~っと……旅人のリンと言います。こっちは旅人仲間の……ミ、ミッフィーです」
凛は偽名で何とかごまかす。どこかのウサギのような名前に、美冬は自分のことながらツボに入ったのか、笑いを必死にこらえていた。
ちなみに偽名にしたのは下手に本名を言って、別世界から来た人間だということを悟らせないためだ。ちなみにのちなみに凛がそのままなのは響きが日本以外でも通用しそうだからだ。
「旅人の方とのことですけど、宿のほうの当てはありますか? もしないのであれば部屋をお貸ししますが」
「本当ですか? ありがとうございます」
フェイルの厚意にありがたく甘え、今日はここを宿とすることにした。
◇◆その晩◆◇
「フェイルさん、このペンダントはいつお返しすれば……」
晩。手料理をごちそうした時、凛はそう聞いた。
それらの料理は山の幸を使った炒め物がほとんどで、比較的ヘルシーなものが多かった。異世界の料理ということもあって、仁蔵の手紙の一文が思い出されたが空腹には耐えられず、結局満腹になるまで食べた。塩味も聞いており若干薄目ではあったが、十分おいしいといえるものばかりだ。これがフェイルの料理の腕前なのか、それとも食材の本来の味なのかはわからなかったが。
「それは差し上げますわよ。安価なものではないですが、娘の命を救ってくださった方々ですからそれくらいは」
フェイルが本心からそれを言っていることがうかがえた。
隠匿の美が日本人の特徴であるが、それを今持ち出すとかえって失礼かと思い、今は素直にいただくこととした。
「ありがとうございます。……それにしてもずいぶんお若いですね。まさかスフィさんがフェイルさんの子供だったとは」
話の話題を振る。
「あら、お世辞でもうれしいわ。ありがとう」
「アハハ……」
お世辞ではなく冗談を抜きにして若く見えるのだが、こういう時のうまい切り返しができない凛は愛想笑いが精いっぱいだ。
本来忍びであれば喜車の術や怒車の術といった、相手との会話の中で心理をつく術をつかえるべきなのだが、凛は口下手なのか、どうにもそういった会話の術が苦手で、もっぱら暗殺術や戦闘術を学ぶばかりであった。
「ところでリンさんとミッフィーさんはずいぶんお若い旅人のようで」
今度はフェイルが話の話題を変えた。しかしその内容はあまり触れてほしくないものだ。
「え、ええまあ。まだ旅人としては未熟でして、まあそのおかげで偶然とはいえこうしてこの村には
行きつけたのですが」
適当に真と偽りを混ぜてごまかす。こういった場合は相手にとってうれしいことを織り交ぜるのも一つの手だ。凛は何とか使うことができた。
「まあ。ちなみにこの後はどちらへ?」
「ええっと……とりあえずはこの村にとどまろうかと。もちろんご迷惑でしたらすぐに出ていくつもりですが」
「迷惑だなんてとんでもない! せっかく助けていただいた恩人ですのに。気が向くその時までいていただいて結構ですわよ」
「ありがとうございます。しかしこの村にはいつもああいった獣が現れるのですか?」
この話題は正直凛が聞きたかった内容の一つだ。
毎回毎回あんな獣が人里に出てこられては、村人のこころも休まらないだろう。
「いえ。ドドルは普段は温厚で人里には近づかないので、あのドドルが襲ってきたのは今回が初めてですわね」
ドドルとはどうやらあの青い熊のような獣のことらしい。
「『ドドルが襲ってきたのは』ということは、他の獣はあるんですか?」
「ええ」
若干フェイルの顔が曇った。
「その時はどうしているのですか?」
「以前はこの村には魔法と剣術両方に秀でたお方がいたのですが、最近になってどこかへ消えてしまって…」
魔法なんていう突飛な単語が出てきて、凛も顔にこそ出さなかったものの、かなり驚いた。しかし、異世界に来たということもあるし、何より一般人の目からすれば忍びの力も魔法もどっちも似たようなものに見えることは美冬のこともあって理解していた。
しかし、
「まほッ――」
慌てて肘で腹をつついて止める。何で止めたのか、不服そうに美冬は凛を睨んできたが、こればっかりは止めなければまずい。
「ごめん。でも下手に口出して別世界から来たことがバレたらどうなるかわかんないし」
顔の向きは変えずに近づいて、美冬にしか聞こえない声でいった。
「ッ! そそそ、そっか……こ、こっちこそ軽率でごめん」
ひどく動揺したそぶりを見せた美冬に、凛は訝しげに思ったが、フェイルもまた訝しげにこちらを見ていることもあって、すぐに話を続けた。
「他には対応手段は」
「お恥ずかしながら、今まではそのお方にすべてお任せしていたものでして。一人でも十分に間に合っていたものですから、今は誰も対応できないものでして」
「魔法……って使える人はいないんですか?」
魔法というが、やはり日本人からすればそれは若干陳腐な響きがあるわけで、魔法という単語を口に出すときに少しテレが入った。
「使えるには使えるのですが……そのほとんどが生活補助程度の効力でして。かくいう私もせいぜい自衛程度しか使えません」
今の話からするに、魔法とは誰にでも使えるが熟達者になればその力は計り知れないものがある、と凛は推察した。一般人の生活補助ということはせいぜい火をつけたりといった程度のものだろう。逆に見たことはないが熟練の魔法使いが使えばその力は獣をも倒す力ということになる。
凛と美冬を見た人々の奇異の目の真意は、どうやら“服装”が変わっていたからというものだと判断もできる。
「大変ですね……」
凛としては完全に他人事だったのだが、美冬がじろじろとこっちを向いている。
何が言いたいのかわからなかったのだが、我慢を切らした美冬が「私たちがいる間はそういう獣は何とかします」勝手に口走った。
「本当ですか!? 娘の命からこういったことまで……本当にありがとうございます!」
驚いて美冬を見れば、
「ごめん。でもこの人たち放っておけないから」
謝りながら説明をした。この顔で困り顔をされると強くも言えない。
「代わりと言っては失礼ですけど、できればその間の部屋はお借りできませんか?」
せめてギブアンドテイクはしておきたい。こちらばかりが提供するのもフェイル側も申し訳が立たないだろうとも思ったからだ。
「構いませんよ。あいにくうちには使っていない空き部屋がたくさんありますから」
まったく想定内の返答が返ってきて、この場はお開きとなった。
◇◆美冬の思い◆◇
借りた部屋は十二畳ほどと比較的大きく、ベッドや棚、机や椅子など生活に困らない程度に家具が供えられていた。もちろん部屋は二つ借りた。
その夜、風呂にも入らず美冬はベッドに籠っていた。
風呂には入らなかったのではなく、入れなかったというのが正しい。風呂という習慣がないわけではないのだが、この村には水路というものがなく、入るためにはわざわざここから五キロ離れた湖に水を取りにいかなければいけないのだ。
なんだかんだで話が長引き、夜が遅くなってしまったので、仕方なくそこはあきらめた。
そしてそのベッドの中で美冬は未だに寝てはいなかった。
(ああ~~~~~。なんでだろう、雅柴君が顔近づけるたびに心臓がドクドクなんだけど。今まで男子ではこんなことなかったのに)
美冬は容姿がいいし、そのことも自覚はしていた。もちろんナルシストというわけではなく、周りから見て自分はかわいいのか、と客観的になんとなくではあるが。
その容姿のおかげか、告白されることもたびたびあった。だが、本気で男という生物を好きになることは今まで生きてきて一度もなかった。顔が良かったりやさしかったりして、この人いいな、と少し思うこともないわけではないが、それが本気の好意ではないことはわかっていた。キスする程度に好きになることもあり、その時も胸が高鳴ることがあったが、それが男に対してではなく、ファーストキスに対してであることも自覚していた。
だから今回のように、近づくだけでドキドキというのは初めてで、凛が好きなのではないかと先ほどから自問自答を幾度となく繰り返していたのだ。
(ん~、でもこういった事態に陥ったのは雅柴君のせいだし、別に顔は悪くはないけどイケメン!って感じでもないし。でも性格はよさそうなんだよなぁ~。今日も森で……)
そこまで思い出して今日の凛の言葉がフラッシュバックされる。
「大丈夫。何があっても俺が何とかするから。もともと俺のせいでこうなっちゃったんだし、絶対に風木さんが危険な目に合うようなことはしない。だから信じてほしい」
(のわわあああ! なに思い出してんだッ! それによく考えてみれば言ってる内容もそんなかっこよくないし。……でもちょっと安心したのはほんとなんだよなぁ)
いつまでも続く葛藤。
少しだけプラスに動いた凛への思いの真相がわかる日は来るのか。
だらだらと駄文をながながと……もし読んでいる方がおりましたら申し訳ありません。
今回わかったことが一つ。
プロットもなしにぶっつけ本番はマジ自殺行為。
だいたいの話の流れとかはあるんですけど、別にPCに起こしているわけではないので、矛盾が大量発生することがあるかと思います。
そのあたりは妥協、もしくは見限っていただいて結構です。
……嘘です。やっぱり見限らないで。