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三十二話 ひきづり村と異界




<side:犬神あぎと>


「おいおいおいおい」

 犬神あぎとがゆっくりと首を振った。

 その動きは実に緩慢である。

 だが、それは穏やかと言うよりは、爆発前の静けさを思わせる動作であった。


「わをんちゃんいないんだけど? は? 何これ、耐えられない。嘘だろ。なんでこんな酷いことができるんだ。信じられない。普通、恋人を分断するか? しないだろ? それは駄目だろ。そんなことをする奴は殺してもいい、そう憲法に書いてあるはずだ。あぁ、書いてあったな、見た気がする。そう、つまり、お前は死刑だ。死刑にする。それは確定事項だが、おい、わをんちゃんを出せ。わをんちゃんをどこへやった。傷一つでもつけて見ろ、死んだことを後悔させてやるし、これ以上は死ねないことを後悔させてやるからな、クソッタレの霊魂共が」

 そして、犬神あぎとは数秒も待たずに爆発した。

 犬神あぎとは確かに繋いでいたはずの右腕で頭を掻き毟り始める。

「クソクソクソクソクソ」

 獣となっている左腕がピクピクと、まるでそれ自体が意志を持っているかのように反応していた。

 爆発どころか、暴走寸前、といった様子である。

 もしくは発狂寸前。

 明らかにまともな様子ではない。


「いや、まだだ、まだ【犬神】が押し止められている。つまり、わをんちゃんは近い、近くにいる。近くにいるのに、僕の隣にいないってどういうことだ。意味が分からない、許されない、許さない。信じられない、一緒に死ぬ」

 その瞳はおぞましいほどの闇を凝縮したような色をしていた。


「ぉうぁあおぅあぁああ」

 その独白のバックには、なり損ないの嬰児のような声が響いている。

 いや、嬰児の発したものと言うには、低く歪んで禍々しすぎる音色だった。

 近くからの音の様で、四方八方から響きわたる音のようでもある。


 その音を出したのは、濁流のように地面を飲み込んだ腕の一つだったかもしれないし、空を覆い隠した腕の一つだったかもしれない。

 いや、もしかすれば、その全てだったのだろうか。



 左足の皮を脱ぎ捨てて生まれた青白い腕が世界を埋め尽くしている。



 足元も遙か上空も覆い尽くすそれは、一つ一つが脈打っているようだ。 そして、それは今もなお、広がり続けていた。



「喃語で喋るのは止めろ、僕がわからねぇだろうが。大体僕はかわいい恋人と引き離されているんだぞ! こっちの方が地面に五体投地して泣き叫びてぇわ」

「っつ、おい!! あの女死んだのか!?」

 視界一杯に繰り広げられる腕の侵食に耐えきれなくなったのか、発狂している犬神あぎとに耐えれれなくなったのか、加山和雄が吼えるように問いかけてきた。

「し・・・・・・まさか・・・・・・」

 その背に背負われたままの高倉護が顔を青くしながら、それでも加山和雄の首に縋りついている。

 もはや、背中の高倉護の存在を忘れているらしい加山和雄から、決して離れまいとしているようだ。

 その、両足は振り落とされないように、しっかりと加山和雄に巻き付いている。



「死んでるわけないだろ!! 縁起でもない!! 大体、もしも、わをんちゃんに何かあったなら、僕は暴走してこの世界を破壊する魔王と化してるわ!!」

 犬神あぎとがそれに吼え返す。

「ああああああ、無理無理!!」

 そして、人間のままの左手で頭を掻き毟る。

 発狂寸前の様相だ。

「じゃあ、どこに行ったってんだよ!!」

 加山和雄はもはや発狂したかのように叫んで、地団太を踏んだ。

 しかし地面を踏むことなく、地面を這いずる腕を踏みつけてしまった。

 まるで、ケチャップの入ったボトルでも踏んだかのような間の抜けた音が響く。

「あー、クソ!」

 短く世界を罵倒し、加山和雄はもう一度、辺りを見回す。

「やっぱり、全然、あの女の姿が見えねぇじゃねぇか!!」

「お前はわをんちゃんを見るな!!」

「だから、元々、見えてねぇんだよ!! だから今、探してんだろうが!!」

「落ち着いてください!! 落ち着いてください!! 今はソレどころじゃないんです!!」

 犬神あぎとと加山和雄の言い合いを始め、高倉護も負けじと叫ぶ。



「下手したらこのまま全滅なんですよ!!」



 ふぅと大きく犬神あぎとが息を吐いた。

 そして、その顔が能面のようなソレに戻る。

 落ち着きを取り戻したらしい。



「今何時だ」

「時間だぁああ!? 時間が何だってんだよ!! 今それどころじゃねぇだろうが!!」

「時間を教えろ、さもなくば死ね」

「何だ、テメェ、こんな時に!!」

「えっと、そんなに時間が聞きたいってことは、時間が何か・・・・・・重要ってことですか? もしかして、打開策があるということですか?」

「あ? おい、そうなのか!?」

「いいから言え」

 掴みかかろうとする加山和雄の腕。

 それを犬神あぎとの体毛に覆われた手が払う。

 加山和雄がバランスを崩して倒れそうになり、今現在運命を共にしている高倉護の悲鳴が上がる。


 倒れる前に、なんとか持ち直した加山和雄が犬神あぎとを睨む。

 だが、ソレを歯牙にもかけずに、少年は何も映していない暗澹たる瞳でそれを見下ろした。



「重要なんだよ」



「ご、午前、五時半・・・・・・!」

 加山和雄の首に必死にスガリツき、体勢を直しながら、高倉護が喘ぐように答えた。

「朝の五時半です!」



「よし、日の出まで、あと三十分程度だな」

 犬神あぎとが頷いた。

「日さえ出ればなんとかなる。だが、そうだな、呪いの解除条件は【解決】だったか? それが【鬼】を消すことなら・・・・・・元凶・・・・・・いや、ここは【核】となっている存在か。ソレを日の出前までに何とかするぞ」



「・・・・・・というか、テメェはいつまで俺にしがみついてんだよ!! 離せ!! 気持ち悪ぃ!!!」

 高倉護が振り落とされた。

「ぶべ」

 その顔面が地面を蠢く腕の海に突っ込んだ。



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