立波村脱出作戦(4/4)
「羨道を塞ぐ大岩をどかして封印を解いてくれたのは結だろう? お陰で、また墳丘が使えるようになったのだ。……それにしても、おかしな面々が集まっているな」
残月様は死人と物の怪を見て不思議そうな顔をする。私は「彼らは協力者です」と言った。
「別に何だっていいだろ。俺たちと結の仲を裂こうとする奴は斬るだけだ!」
腰の大刀を抜いた咲月様が、土蜘蛛に躍りかかった。土蜘蛛は脚で咲月様の攻撃を防ぐ。
「よくも我の邪魔をしてくれて……!」
「それは俺の台詞だ!」
咲月様が土蜘蛛に次々と鋭い一撃を浴びせかける。土蜘蛛はその攻撃をすんでのところでかわしながら、鋭利な脚の先端や口元の尖ったハサミで反撃していた。
激しい戦いに死人たちも手が出せずにいる。残月様が私の肩を抱いた。
「行こう、結。今の内に安全な場所に避難したほうがいい」
「ですが、咲月様が……」
「あいつは平気だ。放っておいても死にはしない」
そういうものかしら? 確かに咲月様は強いけれど……。
残月様に促され、私は戦いの場をあとにしようとした。それでも決着が気になって、チラリと肩越しに振り返る。
胴体に攻撃を叩き込まれそうになった土蜘蛛が、慌てて咲月様の大刀を脚で受け止める。だが、攻撃を防がれても咲月様は引こうとしない。そのまま力任せに土蜘蛛の体に刃をねじ込もうとしている。
咲月様、頑張って……!
私の祈りが通じたのか、攻撃を防いでいた脚が折れた。大刀が体に深々と突き刺さり、骨でできた土蜘蛛の胴体に深いヒビが入る。
私の心は沸き返った。
「咲月様の勝ちですね!」
だが、土蜘蛛は不敵に笑っていた。夫の勝利に気分が高揚していた私は、冷たい水を浴びたように一瞬で冷静さを取り戻す。まだ何かあるんだわ……!
思ったとおり、地面に転がっていた土蜘蛛の折れた脚が、まるで蛇のように動き出した。
異変に気づいた咲月様が、信じられないほどの速さで地を這う脚を切り捨てようとする。だが、土蜘蛛が糸を吐いて咲月様の動きを封じてしまい、大刀を取ることができなかった。
脚が跳躍して地面から離れる。その瞬間に、脚は人間の手のひらほどの大きさの蜘蛛に姿を変えた。けれど、それはただの蜘蛛ではなく、体は骨でできていた。まるで小さな土蜘蛛だ。
その小さな土蜘蛛が真っ直ぐに私に向かって飛んでくる。
「気をつけろ! 土蜘蛛が眷属を作り出したぞ!」
咲月様が大声で注意したのと同時に、生み出されたばかりの土蜘蛛の眷属が私の肩にとまる。私と目が合った瞬間に、眷属は低い声で囁いた。
「お前の名を教えろ」
突然、体が動かなくなった。肩の眷属から目が離せなくなる。私の口が何かに強制されるように開き始めた。
「私の……名前……は……」
「ダメだ! 教えるな!」
残月様が私の肩から眷属を払いのけようとした。その手に眷属が噛みつく。小さなうめき声を上げた残月様は、腕を思い切り振って眷属を遠くに放り投げた。
宙を飛んだ眷属を、鳥の物の怪が口で受け止める。そして、バリバリと音を立てて噛み砕いてしまった。
「名前だ、名前! 供物よ! 名前を教えろ!」
体を粉々にされながらも、眷属は物の怪に飲み込まれるまで高らかに笑いながらそう叫んでいた。眷属の声が私の頭の中でガンガンとこだまする。私は頭を押さえた。
「私は……私の名前は……」
頭が痛い。名前を教えれば、この苦痛も終わるのだろうか。
ああ、遠くで残月様や咲月様が何か言っている。でも、「名前を教えろ!」と訴えかける叫びのほうが大きくて、夫の声は私の耳には届かない。
「私は……」
膝が震える。私は小さな声で呟いた。
「私は、結……」
私はその場にがっくりと膝をついた。土蜘蛛が口についたハサミを拍手するようにカチカチと鳴らす。
「そうだ、それでいい!」
土蜘蛛が大きな声で笑った。
私の頭の中で、様々な記憶が渦を巻く。羨道を通って神域へ行ったこと、ふたりの夫と出会った時のこと、空が燃えた夜のこと、それから……。
「結!」
「しっかりしてくれ、結!」
誰かが私の肩を揺さぶっている。私はぼんやりとそのふたりを見つめた。
「結とは……誰、ですか?」
私はかすれた声で呟く。土蜘蛛が勝ち誇って足を踏みならした。
「無駄だ、産土神よ。結はすでに我のものとなったのだ! どうだ? これでもう我を隠り世へは送れまい。その娘の一部は我と同化した。我に何かあれば、その娘の心には穴が空くぞ。永遠に埋められない穴がな!」
「なんと卑劣な……」
「貴様、ただで済むと思うなよ……!」
憤りの声が聞こえてくる。けれど、私の心は奇妙なまでに澄み渡っていた。
私は両隣にいる男性ふたりを見ながら呟く。
「欠けた月……」
ふたりの記憶が欠落していたのは、こういうわけだったんだ。彼らは未咲様から名前を与えられたことで、自分の一部を彼女に渡してしまった。そして、未咲様の死に伴って、記憶の一部が欠けてしまったのだ。
……でも、未咲って誰?
――必ずまた、あなたの元へ行きますよ。
この記憶は何? 誰かが墳丘の前にいる。この女の人は誰? この少年は誰?
そして……私は誰?
「結、しっかりしろ!」
そんなに肩を揺さぶらないで。だって私は……。
「私は結ではありませんよ」
そう口にした瞬間に、心の中で何かが爆ぜた。
今まで薄々気づいていたあることについて、私はようやく確信したのだ。
「私は結ではありません」
私は髪から翡翠のかんざしを抜き取った。それを真っ直ぐに土蜘蛛に向ける。
「私は今も昔も残月様や咲月様と一緒にいたかった。けれど、私は神よりもずっと命の短い人間。それに、村の巫女でもあった。だから、神域へ共に行くことはかなわなかった……」
「結? 一体何を言ってるのだ?」
残月様が不可解そうな顔になる。どうやら、彼はまだ気づいていないらしい。彼が愛していたのは、ずっと私一人だったということに。
そう教えてあげてもいいけれど、私はかんざしを構えたまま、土蜘蛛から目を離さない。
「私は未咲です」
土蜘蛛が息を呑むのが分かった。私が自力で術を解いたのだとようやく悟ったのだ。
私は微笑んだ。
「いいえ。過去に未咲だったこともある、と表現するほうがいいでしょうか。体は別々。けれど、魂は同じ。今ここにいる私は未咲であって、未咲ではありません」
「生まれ変わり、か……」
咲月様が衝撃を受けたように言った。
「あなたはいくつも名を持っている。だから術が完全には効かなかったのか……」
「私に術が効かなかったのは、私が結ではないからです。『結』は、私が自分の正体を思い出すまでの仮の名前にすぎません」
「では、お前の本当の名を教えるがいい!」
土蜘蛛が大きく口を開いた。
「結でも未咲でも同じことだ! さあ、お前の名を……!」
土蜘蛛が霊力を放出し、私の体を侵食しようとしているのが感じられる。
そんなに私の名前が知りたいの?
言っておくけれど、その代償は高くつくわよ!
私は大声を出した。
「咲結の名において命じる! 魔を払え!」
私のかんざしから溢れ出した霊力が、体を中心から温めていく。指の先まで温かなものに包まれる感覚。その温もりが、私の体を冒そうとしていた土蜘蛛の霊力を上書きしていく。
力が満ちるのを実感していた私とは真逆に、土蜘蛛は怯えたように縮こまった。
「バカな……! たかが人間の小娘一人にこのような力、あるはずが……!」
困惑する土蜘蛛の頭上に、黒い穴が突如姿を現わした。
それは死人たちが村へやって来た時に見たのと同じものだった。隠り世への入り口だ。
そこから強い風が吹き込んで、土蜘蛛を穴の中に吸い取ろうとする。土蜘蛛は脚を踏ん張ってこらえるが、風の勢いは強すぎた。土蜘蛛の体は段々と浮き始め、ついには脚が地面から離れる。
「やった……!」
勝利を確信した私はかんざしを下げた。土蜘蛛がハサミを打ち鳴らす。
「よくもやってくれたな、小娘が……!」
土蜘蛛が吐いた糸が、私の腕に絡みつく。体が宙を舞ったと思った時には、私のすぐ傍には土蜘蛛の顔があった。
「貴様も巻き添えにしてくれる! 共に隠り世へ行き、そこで朽ち果てるがよい!」
黒い穴はすぐ傍まで迫ってきている。そこから肌にまとわりつくような不快な空気が……隠り世の空気が流れ込んでくる。私の臓腑が恐怖で凍りついた。
「嫌! やめて!」
「今さら遅いわ! 大人しく我の依り代になっておれば良かったものを……」
「その口、そろそろ閉じたらどうだ?」
私の頬を何かがかすめた。小さくて固いものが顔に当たる感触がする。これは……骨の破片?
土蜘蛛の顔に深々と大刀が刺さっているのに気づいた私は、あっと息を呑んだ。
刃で顎を貫かれた土蜘蛛の瞳から、急速に光が失われていく。脚からも力が抜けていき、私の体はもう一度宙を舞った。
ただし、今度は上昇ではなく落下だったけれど。
「バカか、お前は!」
私の体が地面に叩きつけられる寸前で、残月様が受け止めてくれた。私を降ろすなり、残月様は咲月様を怒鳴りつける。
「大刀を放り投げるなど無茶なことをして……! 結に当たったらどうするつもりだったのだ!」
「そんな心配は不要だ。それに、もう結ではないんだろう?」
「話をそらすな!」
もう抵抗する力は残っていないのか、土蜘蛛は穴に吸い込まれて、見えなくなった。言い争いをする残月様たちを無視して、死人と物の怪が私に頭を下げる。
「奥方様、そして産土神のお二方、ありがとうございます。お陰様で土蜘蛛を捕縛できました」
「いえ、そんな……」
謙遜しかけたけれど、思い直して言葉を切る。そういえば死人たち、捕縛に協力してほしいと言っておきながら、自分たちはほとんど何もしていなかったわね。
手も足も出なかったということなのか、はたまた面倒な仕事はほかに押しつけてしまえということなのか……。
……まあ、どちらでもいいか。私たち皆、無事だったんですもの。
鳥の物の怪の背中にまたがり、死人たちは私が空けた穴を通って隠り世へ帰っていく。しばらくするとその穴も閉じ、曇っていた空がまた晴天に戻った。
「もう二度と隠り世の奴らには手を貸さんぞ!」
残月様が不機嫌そうに言った。言い争いは終わったのか、咲月様は伸びをしている。
「さて、私たちのこれからだが……」
残月様がどこか不安そうに私の顔を見た。咲月様もなんとなく固い表情だ。
私が正体を思い出したことが、これからの自分たちの関係に影響を与えるかもしれないと心配しているのかしら?
だとしたら、そんなのは見当違いもいいところだ。
私はふたりに笑顔で提案した。
「帰りましょうか、私たちの神域に」
「……ああ!」
「そうこないとな!」
残月様と咲月様の顔がパッと明るくなった。
私たちは三人揃って墳丘の羨道をくぐる。
暗い石造りの道を抜けた先に待っているのは神の住処。
そこは、私にとっての新しい故郷であり我が家だった。




