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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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名もなき供物は物の怪の贄(2/2) 

「くそっ!」


 羨道から出てきた咲月は、悪態をつきながら握った拳をもう片方の手のひらに打ちつけた。


「ダメだ。道が途中で塞がっちまってる! 霊力を使っても通れねえ!」

「やはりそうか」


 羨道の入り口で待っていた残月は険しい顔で頷いた。


「立波村のほうで何か妨害工作が行われているようだな。村側に多少なりともこちらを受け入れる意思がない限り、道は開かない、か……」


「呑気なこと言ってる場合か!」


 咲月は腹立たしげに円を描くように歩き回る。


「結が連れていかれてもう何日たつと思うんだ!? 土蜘蛛は捕虜にしていた村人を皆食っちまったんだぞ! 結だって、今頃同じ目に遭っているかもしれねえのに……!」


 数日前。「神域に土蜘蛛が現われた」と武人から知らせを受けた残月と咲月が現場に到着した時には、すべてが手遅れになっていた。


 捕虜たちは骨一本残さず食い荒らされ、結は行方知れず。その後の調査で、土蜘蛛は朱雀の体を操っていたことや、結は(うつ)し世へ誘拐された可能性があると分かったが、残月たちはまだ何の手も打てていなかった。


「落ち着け。ただ食べるためなら、わざわざ結を連れ去りはしないだろう。何か目的があったはずだ」


「土蜘蛛の目的なんか、どうでもいいんだよ!」


 咲月は声を荒げる。


「立波村の奴らとは連絡が取れないのか? 村の奴らだって困惑しているだろうに。なにせ、自分たちが引き入れたのは、神ではなく物の怪だったんだから」


「誰かが神降ろしを行わない限り、村の者とは話せない。そして……村で唯一神降ろしを行える巫女は土蜘蛛の腹の中だ」


 残月は明日香が土蜘蛛に食べられるところを見たわけではなかったが、収容所には巫女が使う儀仗(ぎじょう)が落ちていたのだ。その持ち主が無事だとは到底思えなかった。


「八方塞がりかよ……」


 咲月は舌打ちしかけたが、いいことを思いついたとばかりに顔を輝かせる。


「結はどうだ? 結は巫女の妹だ。神降ろしくらいできるんじゃないか?」


「できるかもしれないが……。今まで何も行動を起こしていないことからするに、それどころではないのかもな。土蜘蛛にどこかに監禁されているか……」


 もしくは、もう食べられているか。


 ふたりは同時にそう考えたものの、とても言葉に出す気にはならない。咲月は銀の髪を掻きむしった。


「結……頼むから俺たちを呼んでくれ。そうしたら、(かく)り世の果てにだって助けにいってやるのに……」


「……」


 残月は顔を上げた。今日は(さく)……新月の日だ。だが、もしそうではなかったとしても、夜が近づく空は雲で覆われていて、月は見えなかっただろう。


「結もこの空を見ているのだろうか。そして、月が見えないことを心細く思っているのだろうか……」


「……月は見えなくてもそこにあるだろ」


 咲月がボソリと言い返す。けれど、その声にはどうにも張りがなかった。


 どうすることもできないまま、時間だけが過ぎていく。それでも諦め切れずに、ふたりは長いこと墳丘の近くに留まっていた。



 ****



『やはり行かなければならないのか』


 その日の夜。私は変わった夢を見ていた。


 ここは立波村だろうか。まだ取り壊しが始まる以前の墳丘の前で、少年と女性が話している。


 少年は銀の髪と蒼白い瞳をした、ハッとするほどの美貌の持ち主だ。おそらく十歳にもならないくらいだろう。


 対する女性は……私? ううん、少し年は上かしら。けれど、顔立ちは私にそっくりだ。といっても、貫頭衣しか身につけたことのない私と違い、彼女は巫女の服を着ていたけれど。


『私は悪い神なのだろう。だから、村人は私とお前を引き離そうとしているのだ』


 この子、神様なの?


 少し意外な気がしたが、妙に納得できるのも事実だった。彼のまとう雰囲気は、どこか人間離れしていたから。


『神には二つの側面があります。人を愛する和魂(にぎみたま)と、人に災いをなす荒魂。あなたは荒魂の力が少しばかり強いようですね。そして、和魂の部分では私を愛してくださっている』


『荒魂も和魂も関係ない! 私は未咲が好きだ!』


 少年が必死の声で訴えた。


『私は神域へ行く。もう村人に悪さをしないように、この体から荒魂だけを切り離して封印しておこう。だから……また私と会ってくれるか?』


 不意に、私の意識は覚醒した。


 ここは奴婢が雑居する竪穴の家。私のいつもの住まいだ。


「はあ……」


 周りには、寝息を立てる奴婢たちがいる。皆一日の重労働を終えた疲れで、寝顔もどこかぐったりとしていた。私がこっそりと起き上がっても気づく者はいない。


「未咲って誰?」


 私は呟いた。


 それに、あの銀髪の少年。二人は一体何者だったんだろう?


 ……なんて、夢について真剣に考えるのもバカらしいわよね。明日も早いんだから、くだらないことで頭を悩ませていないで、さっさと寝てしまわないと。


 私は再び横になろうとした。


 その時、風が吹いて窓にかかっているすり切れた荒薦(あらこも)のすだれがめくれ上がる。


 その拍子に星明かりがあるものを照らし出した。


「蜘蛛……」


 大きさは、私の親指の爪くらい。茶色い体で、背中に赤い筋が走っている。


 その小さな虫は私の体をよじ登ってきて、お腹の上で立ち止まった。私はふっと笑いかける。


「そんなところにいたら、寝返りを打つときに踏み潰しちゃうわよ」


 私は蜘蛛を指先に乗せて、窓の外に放ってやろうとした。


 けれど、蜘蛛はその場を動かず、私の貫頭衣の腰を縛る紐の結び目のところでピョンピョンと跳ねる。


「どうしたの?」


 私はクスクスと笑う。こんな変な動きをする蜘蛛は初めて見た。


「さあ、仲間のところへお帰り……」


 ふと、私は手を止める。


 前にもこんなことがなかっただろうか?


 蜘蛛は相変わらず紐の上で跳ねている。その動きを見ている内に、私の頭の中で少女が無邪気な笑い声を立てた。


 ――あはは、変なの! 結だって!


 結?


 結って……誰?


 ――この名前で私を世界に結びつけてほしいから、結……。

 ――これが今の私の名前。

 ――私は結。


「私は……結」


 小さな声で呟く。


 その瞬間、頭の奥で火花が弾け飛ぶような感覚がした。


「私は結!」


 そう叫んだ途端に、失っていた記憶が一気に体の中に流れ込んでくる。


「供物、うるさい……」


 私の大声で一瞬だけ目を覚ました奴婢が、むにゃむにゃと寝言のような文句を言って、ごろんと寝返りを打つ。私の胸の中では、心の臓が銅鑼(どら)のようにやかましく鼓動していた。


「そうよ、私は供物」


 けれど、この身を献上する相手は土蜘蛛ではない。


 私は残月様と咲月様のもの。ふたりのための捧げ物。


 愛しい夫の花嫁なのだ。

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