身中の虫(1/3)
「うう……痛たた……」
私がワレモコウという薬草の根をすりおろしたものを打撲の跡に塗ると、武人の押勝さんは顔をしかめた。
「無茶な戦い方をするからですよ」
私は苦笑いしてさらに薬をすり込んだ。押勝さんが涙目になる。
「誰か、ドクダミの煮汁が染み込んだ湿布を作るの、手伝ってくれない?」
「それなら私が」
押勝さんの治療が終わった私は、即席の炉で鍋をかき回している人のほうへ近づいていった。
戦争が神域側の勝利に終わってからしばらくがたち、日はすっかり高くなっている。
戦いには勝ったとはいえ、私たちにはまだやることあった。火事を消したり、ガレキを撤去したり、亡くなった方を埋葬したり……。誰もが忙しく立ち働く今の神域は、戦争の時とは別の混乱状態にあった。
この残月様の館の中庭も、怪我人とそれを治療する人であふれかえっている。
「奥方様は休んでいていいんですよ?」
湿布の準備をしている私に声をかけてきたのは、侍女の小雪さんだった。皆に配る軽食が入ったカゴを小脇に抱えている。
「そういうわけにはいきません。今はどこも人手が足りないようですから。小雪さんだって、本来のお仕事は貴人のお世話でしょう?」
「それはそうなんですけど……。あっ、そうだ! 残月様たちが奥方様を探していましたよ!」
ちょうどその時、残月様と咲月様が中庭に入ってくるのが見えた。私は一緒に働いていた人に断りを入れて、二人のところへ行く。
「結、ここにいたのか。疲れているのに手伝いなどさせてしまってすまないな」
先にこちらに気づいた咲月様が、私の肩に手を置く。残月様が「ほう……」と感心したような声を出して、自分の顎の下に手を当てた。
「何度見ても、お前が実体を取り戻したという事実にはまだ慣れないな」
「結の手柄だ!」
咲月様が私をぎゅっと抱きしめる。彼は少し興奮気味のようだ。
「俺の封印は解けたし、結は自分の名を見つけた。というわけで、早く婚礼の儀を執り行おうではないか!」
「事後処理が一段落してから、な」
残月様が辺りで怪我の治療を受ける人たちを見て、かすかに眉根を寄せる。そんな片割れの表情を見ている内に、咲月様も冷静さを取り戻したのか、「そうだな」と言った。
「非戦闘員も少なくない数が犠牲になった。皆、今は祝い事とは無縁の気分だろう」
「それに、私もまだ正式に名前を見つけたわけではありませんし……」
私は自分に「結」という名前をつけた。けれど、それだけではまだ何かが足りない気がするのだ。私には「結」以上に相応しい名がある。そんな気がしてならないのである。
「だが、名前は名前だ」
咲月様が私の髪に頬ずりをした。
「これでもう、あなたが消えてしまうことはない。俺の封印も解けて実体を取り戻した。婚礼の儀はまだ先だが、何の心配もなく睦み合えるようになったというわけだ」
咲月様は頬や首など、私の肌の至る所に口づける。
相方に後れは取れないと思ったのか、残月様も私にすり寄ってきた。私はふたりの夫を「落ち着いてください」となだめる。
「何も今そんなことをしなくてもいいでしょう? 私にも残月様たちにも、まだすることがありますし……。そういえば、先ほどまでおふたりはどちらにいらしたのですか?」
「俺は武人たちのところにいた」
私の指に自分の指を絡めながら咲月様が言った。
「残党狩りだな。隠れている村人を捕らえていたんだ」
「私は捕虜にした村人たちと会っていた。今後のことを話し合うためにな」
残月様が私の頬をふにふにと指で突きながら言う。
「私はもうお前たちを守護する気はないと言ってやったが、向こうも私に守られるつもりはないようだ。だから朱雀を引き入れたのだろう」
残月様が村を守護する気がないと分かっても、私は驚かなかった。自分が治める神域をこんなにめちゃくちゃにされてしまったのだ。怒って当然である。
「まったく、村人たちはいつの間にあんなに生意気になったのだ? 神を乗り換えるなど、人間の考えることはよく分からないな」
「まあ、もう何でもいいだろ。通路の墳丘は通行可能にしておいたんだ。捕虜たちには折を見て帰ってもらおうじゃないか。これでめでたく、この神域と立波村とは縁が切れるというわけだ」
「た、大変です!」
大声を上げながら私たちのところに駆け寄ってきたのは、顔色を変えた武人だった。
「雑木林が燃えています!」
「火はすべて消したはずだが……。捕まえ損ねた村人でも潜んでいたのか?」
咲月様が眉間にシワを寄せた。
「すぐに消火を。それから、武人たちに辺りを捜索させるんだ」
「はい!」
武人は一礼して去っていく。残月様は「戦いは終わったとはいえ、まだまだ物騒だな」と険しい顔だ。
「咲月、私たちも行こう。まだ皆いくさの余韻から抜けきっていない。気が立っている者も多いだろうから、放っておいたら大きな騒ぎが起きるかもしれない」
「そうだな。……結、またあとでな」
残月様と咲月様は、名残惜しそうにもう一度だけ私の頬や髪にペタペタと触ったあと、中庭から出ていった。
さて、私も皆のお手伝いをしないと!
「これはどこに運べばいいのですか?」
私は近くに置いてある握り飯の入ったカゴを持ち上げた。移動式のかまどの火加減を見ていた下働きの女性が、「向こうの丘の上ですよ」と言う。
「丘? あんなところに何かありましたか?」
「捕虜たちの収容所ですよ。といっても、ただ檻に入れてあるだけですが」
「捕虜……」
つまり、捕まった立波村の者たちということである。私の故郷の住民。村にはいい思い出はないし、そこに住んでいる人たちにも会いたいとは思わないけれど……。
……まあ、構わないか。ただ食べ物を届けるだけだもの。さっと行って、すぐに戻ってくればいいだけだ。それに、今はどこもかしこも人手が足りないのだから、仕事のえり好みなんてしていられない。
私は軽い気持ちで握り飯の入ったカゴを手に、館を離れた。
収容所へ向かう道中、武人の一団とすれ違う。彼らは、雑木林がどうとか、残党がうんぬんかんぬん、などと話していた。きっと、先ほど報告があった火事を消しにいくのだろう。
収容所がある丘というのは、咲月様が首を切り落とした朱雀と一緒に空から落ちてきた場所だった。
朱雀の首なし死体はまだそこにあった。下働きの女性が言っていたように、その近くに木製の巨大な檻がいくつも置いてある。その中に閉じ込められているのは立波村の村人だった。
村人は私が近づいても無反応だった。一人くらい話しかけてくる人がいるかと思っていたんだけど……。ひょっとして、私が誰なのか分からないのかしら?
それもそうね。私、村にいた頃とは随分と違うもの。見た目もそうだけれど、中身もかなり変わった自覚がある。
それにしても、総大将の遺骸の傍に収容所を作るなんて、一体誰の発案だろう。村人たちは時折無念そうに顔を上げて、動かなくなった朱雀を見ている。
この配置を考えついた人は、きっと徹底的に敵の鼻っ柱を追ってやらなければ気がすまなかったに違いない。
意外だったのは、どこにも武人の姿が見えないことだ。
いくら檻に入れられていて逃げることができないとはいえ、一応見張りくらいはつけるべきじゃないかしら?
もしかして、皆さっきの火事を消すために駆り出されてしまったのだろうか。どこもかしこも人手不足なのは変わらないらしい。
「……あら?」
そんなことを考えていたら、朱雀の亡骸の傍で人影を発見した。なんだ。やっぱり見張りがいたのね。
私はその見張りに「捕虜たちの食事を持ってきましたよ」と言おうとして、握り飯の入ったカゴを地面に置いて近づいた。
だが、すぐに何かがおかしいと気づく。
この見張り、どうして巫女の格好をしているの? よく見たら武器も持っていないわ。それにこの後ろ姿、どこかで見た覚えがあるような……。
私の気配に気づいたのか、見張りが振り向いた。私は息を呑む。
「お、お姉様……?」
見張りなどではない。そこにいたのは、私の双子の姉の明日香だった。




