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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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燃える神域(6/6)

「結! 足場!」


 仰天するような事態の連続に呆然となっていた私は、咲月様の大声で我に返った。翡翠のかんざしを、まだ夫の熱が残る口元に当てる。


「結の名において命じる。凍れ!」


 パキパキと音がして、辺りに平べったい氷の塊がいくつも浮かんだ。


 でも、そんなに大きくないし、厚みも薄い。これ、足場になるかしら……?


 と思っていたものの、咲月様はその浮島のように浮かぶ氷を足がかりにしながら、朱雀のほうへ近づいていく。


 薄い氷は踏みつけられるとあっという間にヒビが入ったけれど、咲月様は氷が完全に砕けてしまう前に、次の足場に向かって飛んでいた。


「すごい……!」


 私は思わず声を漏らす。


 銀の髪と優美な領巾(ひれ)をたなびかせながら空を行く咲月様は、まるで軍神(いくさがみ)のようで、荒々しくも美しかった。


 そんな咲月様を見ている内に私は確信する。あの方なら必ず勝てる、と。


「シャアッ!」


 武器を携えた咲月様が急接近していると気づいて、朱雀が威嚇するような声を上げた。口を大きく開け、火の玉を飛ばす。


 その攻撃から身を(てい)して咲月様を守ったのは、空飛ぶ船たちだった。自ら盾となり、火の玉を防いでみせる。


 咲月は盾になってくれた船に刺さる儀仗の上に飛び乗った。そこから大胆に跳躍し、大きく振りかぶって朱雀の首に狙いを定める。


「悪いな、勝たせてもらうぞ!」


 咲月様が刃を振り下ろした。朱雀は濁った目をいっぱいに見開く。


 肝を潰したようなどこか間の抜けた表情を顔に貼り付けたまま、朱雀の首は一刀両断された。


 咲月様と一緒に、朱雀の巨大な体が地上へ落ちていく。武人が声を張り上げた。


「着陸準備!」


 銅鑼(どら)がせわしなく鳴り響き、船上の武人たちが大慌てする。船形はにわが地上を目指して高度を下げていった。


 重たい音を立てて首のない朱雀の遺体が落下したのは、小さな丘の上だった。その近くに船が次々と着陸し、土煙が上がる。


「咲月様!」


 いてもたってもいられなくなった私は、転がるように下船した。咲月様が朱雀の遺体の背中から滑り降りる。


「立波村の総大将はこの俺が討ち取った」


 咲月様が大声を出した。丘のふもとには、戦いの最中だったらしい立波村の者たちがいる。彼らは動かなくなった朱雀を見て、魂が抜けたように呆然となっていた。


「降伏しろ。この戦いは神域陣営の勝利だ!」


 咲月様は大刀を高く掲げる。その先端に刺さっていたのは、先ほど切られたばかりの朱雀の首だった。


 なんて神々しいの……。


 敵とはいえ、息絶えた生き物の傍でこんなことを思うのはおかしいかもしれないけれど、私は胸を打たれずにはいられなかった。


 今の咲月様は返り血を浴びて服は真っ赤になり、銀の髪も乱れている。


 けれど、焼け焦げて赤く染まった空を背景にして、巨大な武器の先端に敵の首を刺し、丘の頂上に堂々と立つ姿はまさに荒魂そのもので……。人よりも一段高い地位にいる「神」だと表現するのが相応しかった。


 もちろん、咲月様が神であることは知っていたけれど、あらためて強く実感したのだ。朱雀と戦っていた時の彼も勇ましかったが、こうして敵を下したあとの咲月様はその猛々しさに威厳のようなものが加わった気がする。


 私は思わずその場に(ひざまず)いた。


 同じことを村人たちも感じたのか、はたまた自分たちの敗北を悟ったのか……。立波村の者たちも次々と膝をついた。


 勝利に沸いた武人たちが歓声を上げる。ふと、すぐ近くで声がした。


「結」


 顔を上げると、傍に咲月様が立っている。朱雀の首がついた大刀は、柄を地面に突き刺して皆によく見える場所に立てかけてあった。


 ちょうど朝日が登り始める時間だった。太陽の光が、焼けた空を白く染め直していく。


 日の光を背にした咲月様を見て、私は目を細めた。彼がこちらに手を伸ばす。


「俺の隣に来てくれ」


 私は咲月様の手を取る。先ほどまでは神々しさしか感じなかった彼の表情は、すでに優しい夫のものへと変化していた。


 望まれたとおり、私は咲月様の横に立った。傍には戦いのあとの解放感に浸っている武人たちがいる。それとは対照的に、丘の下では村人たちが敗北の苦い味に顔を歪ませていた。


 ……ああ、終わったのね。


 肩から力が抜ける思いだった。戦争は終わり、私たちは勝った。神域は守られたのだ。



 ****



「何よ、これ……。どうなってるの……!?」


 祭壇の前で明日香はガバッと顔を上げた。


 村人たちが神域に侵攻してから、どれほどの時間がたっただろうか。すでに夜は明けている。


 立波村の新しい信仰対象として祀られてもよいと言い出したのは、巨大な鳥の姿をした神だった。


 村人たちはその姿を見て、「なんと勇ましい!」「まさに我々の新しい神として相応しいお方だ!」ともてはやした。


 けれど、明日香はそんなふうには思えなかった。あの虚ろな瞳のなんと気味が悪いことか。見ているだけで肌が粟立ってくる。巫女としての直感が、この者を受け入れてはならないと告げていた。


 だが、すでに皆は朱雀を(あが)め始めていた。もはや、明日香一人では村人たちの意見を覆すのは不可能だ。


 だから仕方なく、明日香は朱雀に向かって(こうべ)を垂れた。朱雀は明日香の内心を知ってか知らずか、村人たちを率いて神域へ攻め込んでいった。


 明日香はもちろん留守番を選んだ。戦争は巫女の仕事ではない。そんなものはほかに任せておけばいいのだ。


 それでも、巫者(ふしゃ)の館に設けられた祭祀場(さいしじょう)で祈祷をすることによって、戦勝祈願だけはしておいた。


 明日香が異変を感じたのは、その最中のことだった。


「明日香様、いかがなさったのです?」


 傍らに控えていた巫者たちが、突然まっ青になった明日香を見て眉をひそめる。明日香は唇を震わせた。


「気配が消えたの……朱雀の」


 明日香の言葉に、巫者たちはざわめいた。


「そ、それは……朱雀様が倒された、ということでしょうか?」

「ありえませんわ、そんなこと!」

「でも、もう気配がしないのよ!」


 明日香はうろたえながら言った。


 明日香は祈祷をすることによって、離れた場所にいる朱雀との間に繋がりのようなものを作り出していたのだ。その繋がりが突然に途絶えた。巫者の言うとおり、これは朱雀の死を意味する現象だ。


「とにかく、もう一度祈祷を行ってください!」

「何かの間違いということもあるかもしれませんから……」

「このあたしが間違ったですって!?」


 明日香は目を吊り上げたが、心の底から怒る気にはなれなかった。自分の行使した儀式の手順に間違いがあったのと、神が死んだのとでは、どちらがマシか判断ができなかったからだ。


「いいわよ、やってあげるわ」


 明日香はブスッとして祭壇の前に跪いた。儀仗を高く掲げ、祝詞を上げる。


 明日香は途切れてしまった朱雀との繋がりを取り戻そうと意識を集中させた。けれどそれは、宙を舞う蜘蛛の糸を指でつまんでみせるよりも難しい作業だった。


 だが、明日香は必死に祈り続けた。そのかいあってか、何者かが明日香の心に語りかけてくる。


『ああ、よもやこのようなことになるとは……』

『あなたは……朱雀様ですか!?』


 明日香は声の主に対して心の中で呼びかけた。すると、相手は「そうだ」と答える。


『生きていらしたのですか……』


 では、なぜ交信が途絶えたのだろう。明日香は怪訝な気持ちになる。朱雀は「我は神。そう易々とは死なぬ」と言った。


『だが、我は苦境に立たされている。このままでは敗北は必至。そこで、形勢を逆転させるために巫女であるお前の力を借りたい』


『あたしの力を……』


 神が自分を頼ってきた。そのことに明日香の自尊心はくすぐられる。気をよくした明日香は、朱雀を警戒していたことも忘れて「分かりました」と安請け合いしてしまった。


『それで、何をすればいいのでしょうか?』

『ひとまず神域に来い。そして、我を見つけるのだ……』


 そのあとも朱雀は何か言っていたが、段々と声が遠くなっていって、最後には何も聞こえなくなってしまう。それと同時に、うっすらと結ばれていた朱雀との繋がりがまた切れるのを感じた。


 けれど、今回の明日香は慌てない。顔を上げた明日香は、不安げな面持ちでこちらを見守っていた巫者たちに堂々と宣言した。


「朱雀はまだ生きているわ」


 それを聞いた巫者たちの表情から険しさが抜けていく。明日香は続けた。


「朱雀は巫女の……あたしの助けを必要としているの。だからあたしは神域へ行くわ」


「おお! 我々の巫女様は神すらも一目置く存在だったのか……!」


「頼みましたよ、明日香様!」


 先ほどまで暗に明日香のことを力不足だと言っていた巫者たちが、手のひらを返したような発言をする。明日香はふんと鼻を鳴らしながらも、彼らのうやうやしい態度にさらに気分がよくなっていった。


 こうして明日香は、立波村に勝利をもたらすために、神域へと向かう準備に取りかかったのだった。

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