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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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燃える神域(5/6)

「荒魂様のところへ行って!」


 私ははにわに指示を出した。


「大きな船に乗っているはずよ」


 はにわが高い声で鳴いた。遠くまで見ようとしてか、高度が少し上がる。


 眼下では、あちこちで火の手が上がっていて、小競り合いが繰り広げられていたけれど、まだ勝敗は着いていないようだった。


 けれど、それも総大将が倒れるまでの話だ。


 神域側にとっては荒魂様。村人にとっては朱雀。どちらも圧倒的な存在だから人々は頼りにするけれど、それは逆に、彼らがいなくなれば一気に士気が落ちるということでもある。


 前方の空に黒い塊が見えた。


「シャアッ!」


 朱雀が空飛ぶ船団に向かって、火の玉を吐いていた。荒魂様の船は、船団の先頭を飛んでいる。船首に立つ荒魂様が腕を振って合図を出した。


 船員が銅鑼(どら)を鳴らし、ほかの船にも荒魂様の指示を伝える。それを受け、船団は連携の取れた動きで朱雀の攻撃をかわした。


 彼らが避けた火の玉がこちらへ飛んできたものだから、私は焦る。けれど、鳥形はにわが旋回してそれをかわしてくれた。振り落とされないように姿勢を低くしていた私の頭上を熱の塊が通り過ぎていく。


「荒魂様! 荒魂様!」


 私は大声で呼びかけたけれど、ここからでは声が届かなかった。鳥形はにわに、「もっと近くへ寄って!」と頼む。


 だが、朱雀の威圧感に恐れをなしたのか、鳥形はにわはなかなか言うことを聞いてくれない。私ははにわの背中を「大丈夫よ」と言いながら撫でた。


「荒魂様の船に私を降ろしてくれるだけでいいの。それが終わったら、あなたは安全なところまで避難すればいいわ」


 私の言葉に少しは安心したのか、鳥形はにわが船団に近づいていく。


 もう少しだ。もう少し近づけば荒魂様もこちらに気づく……。


 けれど、荒魂様より先に朱雀に発見されてしまった。


 空飛ぶ船の船員とは違い、この鳥形はにわに乗っているのは、どう見ても武人ではない女性がたった一人だけ。


 空飛ぶ船に攻撃が当たらないことにイライラしていたのか、朱雀は標的を私に切り替えることにしたようだ。船団を放置して、こちらに突っ込んでくる。


「逃げて!」


 指示を出すまでもなく、鳥形はにわは朱雀に背を向けていた。必死に羽を動かして、朱雀から少しでも遠ざかろうとする。


「シャアアアッ!」


 朱雀が恐ろしいうなり声を上げて、口から火の玉を吹いた。鳥形はにわが高度を上げてそれをかわす。


 すると、朱雀は一旦動きを止めた。追跡を諦めてくれたのかしら?


 束の間抱いた希望的観測は、たちまちの内に砕け散った。朱雀がその場で力強く羽ばたいたかと思うと、羽から大量の火の玉が飛び出してきたのだ。その数は、十、二十……いや、五十個近くあるかもしれない。


 鳥形はにわは右へ左へと飛びながら、それを避けていった。


 けれど、動きに段々と余裕がなくなってくる。焼け焦げた匂いが漂ってくるのは、私の服や髪を火の玉がかすめたからだろう。


 幸いにもまだヤケドはしていないけれど、炎の塊に肌をあぶられるような感覚には何度もヒヤリとさせられた。


 何とかすべての火の玉を避けきる頃には、はにわも少しくたびれた様子だった。これでは、次の集中攻撃は避けられないだろう。


 こちらの消耗具合を嗅ぎつけたのか、朱雀は再び羽ばたこうとした。


 鳥形はにわが動いたのは、その直後のことだった。


 はにわが朱雀に向かって突進していく。朱雀は驚いて動きを止めたが、乗り手の私も何が起きているのか分からなかった。


 まさか、自暴自棄になった末に、捨て身の体当たりでも食らわせる気!?


「ダメよ! 朱雀はあなたよりずっと大きいのよ! 倒せるわけないでしょう! 焼き鳥にされるわよ!」


 私は慌てて鳥形はにわを止めようとするが、言うことを聞いてくれない。朱雀はもう目の前だ。私は両手を固く握りしめた。


 だが、鳥形はにわは大胆に宙返りをして、朱雀の頭上を飛び越えた。てっきり攻撃をしてくるのだろうと思っていたらしい朱雀は、意表を突かれて反応が遅れる。


 朱雀の後方には、船団が見えた。


 その空飛ぶ船の先頭に荒魂様の姿がある。鳥形はにわに乗った私と目が合うと、夫の整った顔に驚愕が走った。


 はにわがちょうど荒魂様の乗る船の真上に来た時、私ははにわの背中から飛び降りる。


咲月(さつき)様! 受け止めてください!」


 私は落下しながら荒魂様に向かって叫んだ。


 荒魂様は我に返ったような表情になると、船についていた日傘を霊力で巨大にして私の体を受け止めてくれた。


 それでも完全に落下の勢いを殺しきることはできず、私は傘布の上を転がり落ちて床に倒れ込む。


「結……」


 私はすぐには立ち上がらず、船の床に仰向けになった。そんな私の真上に、荒魂様の顔がある。荒魂様は、船の床に背をつけている私の上に覆い被さるような姿勢を取っていたのだ。


 ふと、懐かしい気分になる。荒魂様と初めて会った時もこんな格好で話をした。あの時の私は、まだ残月様と荒魂様の区別がついていなかったのよね。


「今、俺のことを何と呼んだ?」


 荒魂様が唇を震わせながら聞いてきた。体の内側から湧き上がってくる衝動を押さえつけているような声だ。


 私ははっきりと答える。


「咲月様、です」


『あなたの名は咲月。未咲の「咲」に、残月の「月」で「咲月」です』


 私が遠見で見たのは、残月様と荒魂様が分離する前の光景だった。残月様が立波村を離れて神域で暮らすことになり、その手向けとして未咲様が荒魂様に贈ったもの。それが「咲月」という名だったのだ。


「さつき」


 荒魂様は初め、慣れない単語を練習するようにその名を口にした。けれど、次第に発音が滑らかになってくる。


「さつき、さつき、咲月……咲月。俺は咲月。そう……俺は咲月だ!」


 荒魂様は背を弓なりに反らして喉を天に向けた。炎で赤く染まった夜空を揺るがすような大声で叫ぶ。


「結!」


 荒魂様が私に覆い被さって、貪るような接吻をした。


 荒魂様の唇は私の想像以上に柔らかく、そして熱かった。


 触れる……!


 いきなり口づけられたことよりも、私は荒魂様と触れ合えたことのほうに心を奪われていた。


 名前を思い出したことで、封印が解けたのだ。そして、荒魂様は……咲月様は実体を取り戻した。


「ああ……こういう感触だったんだな……」


 咲月様が金の瞳に情熱をたたえながら、うっとりと囁いた。私の唇を長い指でそっと辿(たど)る。


「愛してる、結」


 咲月様がもう一度私に接吻した。


 今度は私も、咲月様との口づけに集中することにした。角度を変えながら何度も何度も唇を求められ、息をする暇もない。けれど、それが妙に嬉しくて、私は体の奥が燃え上がるのを感じた。


「もっと堪能していたいが、続きはあの鳥の首を取ってからだな」


 もう何時間も咲月様と唇を重ねていた気がするが、実際にはそんなに長い時はたっていなかったのだろう。咲月様は私の上からすくっと立ち上がった。


 現在、朱雀はほかの船と交戦中だった。空飛ぶ船に乗った武人たちが射かけた矢を、ひらりひらりとかわしている。


 そうしながらも、朱雀は火の玉を吐いていた。


 武人たちはそれを避けるが、中には運悪く船に火がついてしまうこともある。そうなってくると戦線を離脱して消火作業に専念せざるを得ず、その度に攻撃の手が緩まってしまっていた。


 幸いにも、まだ落とされた船はないようだが、味方は苦戦しているらしかった。このままでは、この空中戦に負けてしまうかもしれない。


「……どうするのですか、咲月様?」

「まあ見ていろ」


 私の問いかけに、咲月様は含み笑いをする。


 咲月様は船首に飛び乗った。腕を伸ばして、長壁さんが新しく付け加えた巨大な大刀の柄に手をかける。


「さて、一暴れしようじゃねえか!」


 荒っぽい口調で言うと、咲月様は彼の背丈よりもずっと大きいその大刀を、難なく船の床から引き抜いてみせた。


 それだけでも驚きだが、彼はさらにとんでもない行動に出る。大刀を肩に担いで、何のためらいもなく船縁を蹴って、空に身を躍らせたのだ。

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