燃える神域(3/6)
「この先は敵の攻撃がますます激しくなることが予想される。ここも危険かもしれない。全員、墳丘の中に入れ」
残月様がその場にいた住民に避難を促した。民たちは列をなして墳頂から降りていく。私と残月様も一行に加わった。行き先は墳丘の中程に作られた横穴だ。
その穴の中には、階段状の羨道が下に向かって真っ直ぐに伸びていた。
随分と深くまで潜るのね……と思っていると、開けた空間に出る。
「地下にこんなものが……?」
羨道の先に作られているのだから、一応は玄室と呼ぶべきかしら? けれど、この石造りの空間は私がこれまで見てきたどの玄室よりも大規模な面積を誇っていた。
残月様の館の集会場より広くて、天井もずっと高いところにある。霊力で大きくした船形はにわを、余裕で何十隻……いや、何百隻も納めることができそうだ。
墳丘の中だから窓はないけれど、壁際には松明が燃え、かがり火もところどころで焚かれているので、中は比較的明るかった。ここからではよく見えないものの、空気を入れ換える設備などもあるのかもしれない。
私と残月様は空いているところに座った。玄室に集まった避難民の様子を見ながら、私は残月様に尋ねる。
「いつまでここにいればいいのでしょうか?」
「戦場で大きな動きがあれば、誰かが知らせに来るだろう。……それがいつになるかは、私も分からないが」
「使者だって? そんなの来やしませんよ! 次にここに乗り込んでくるのは敵。俺たちは皆殺しになるんだ……!」
穏やかではない声が割り込んでくる。私たちの横に座っていた青年だ。
鎧を着けているから武人だろう。戦闘中に負傷でもしたのか、腕や頭に包帯が巻かれている。年は私と同じくらいだろうか。幼さの残る顔には、肉食動物に狙われた子ジカのような怯えが見え隠れしていた。
「あの朱雀を見たでしょう? あんなのに勝てっこありませんよ! この神域は燃やされる。住民たちは血祭りに上げられる。俺たちはもう終わりなんですよ……!」
「静かにしないか」
残月様が針のような鋭い声で年少の武人を一喝した。
武人は怯んで黙ったけれど、その表情に張りついた恐怖は消えていなかった。そんな彼の顔を見ている内に、静まり返っていた私の胸の中にもざわめきが広がっていく。
「あなたは、どうしてあの朱雀が住民を皆殺しにすると思うのですか?」
私が尋ねると、武人は「捕虜から聞いたんです」と言った。
「立波村の者たちは、ここの住民を根絶やしにしようとしている。そして、この神域を新しい神に……あの鳥の化け物に捧げる気なんですよ」
「つまり、この神域を乗っ取ろうとしているということですか!?」
私は愕然となった。
「よその神域の主の座を狙うなんて……神のすることとも思えませんが」
「でも、実際に奴は攻めてきたじゃないですか」
年少の武人は気弱な声で反論した。腕に巻かれた包帯を関節が白くなるほど強く握りしめている。
「今の荒魂様じゃ、あの鳥には勝てません。俺たちは負けます。負けて、殺されるんです」
武人は立てた膝に顔をうずめてしまった。いつの間にか、辺りは静かになっている。近くにいる人たちが青い顔でこちらを見ていた。きっと私たちの話が聞こえていたのだろう。
「私たちは勝てない……」
この年若い武人がここまで弱腰になっているのには、わけがあるのだろう。怪我をしているところから察するに、彼は戦場で朱雀の強さを目の当たりにして、すっかり怖じ気づいてしまったに違いない。
そして、彼の感じている不安は今、避難民の間に波のように広がっていた。私は身震いする。どうやら、私の心にも恐怖が植えつけられてしまったようだ。
けれど、私は自分の頬を両手のひらでピシャリと張って、臆病な気持ちを追い払った。
思い出しなさい、墳頂で味わったあの屈辱を。私はこの神域の女主人だ。ほかの避難民と一緒になって、ビクビクしているわけにはいかない。
「残月様、何とかならないでしょうか? 荒魂様にもっと力を与えるとか……」
神域防衛の要は荒魂様だ。彼が圧倒的な力を得れば武人たちも活気づいて士気も高まるだろう。
私はそう思ったけれど、残月様は渋い顔だ。
「あれに力を与えるためには、封印を解く必要がある。私はかつて荒魂を封じると約束を交わしたが、今は非常事態だ。奴を解放することに異存はない。だが……」
「荒魂様の名前が分からないのですね」
残月様は荒魂様の名前を奪うことで彼を封じた。だから荒魂様を縛めから解き放つには、彼が名前を取り戻す必要があるのだ。
「頑張って思い出していただけませんか? あなたが頼りなのです、残月様……」
ピイイィィッ! ピイイィィッ!
甲高い音が私の言葉に被さる。笛を持った警報係のはにわが、玄室に続く階段を駆け下りてくるところだった。
「敵襲、敵襲!」
はにわが大声で危機を知らせる。玄室に武人が飛び込んできた。
「村人がこの墳丘に攻めてきました! 円筒はにわを壊しています! 武人たちが追い返そうとしていますが、ここにも入り込んでくるかもしれません! 急いで羨道を閉じる手伝いをしてください!」
その言葉で、玄室はあっという間に混乱状態に陥った。残月様が「静まれ!」と大声を出す。
「武人の指示に従え! 岩で羨道を閉じるのだ!」
「大岩が突破された時に備えて、入り口付近に武人を配置しておきます! 皆さん、どうかご協力を!」
残月様と武人の必死の呼びかけで、避難民たちは少し冷静さを取り戻したようだ。何人かが階段を駆け上がっていく。
私の胸の奥では、心の臓が太鼓のようにドクドクと鳴り響いていた。
「結界があるから、村人たちはこの墳丘には手出しできないのかと思っていました」
「あの膜は霊力ははねつけるが、物理攻撃には効かないのだ。誰かが入ってくることを拒むこともできないしな」
そういえば、私たちも膜を通って墳丘に入ったんだったわ。年少の武人が「もう終わりだ……!」とうめいた。
「俺たちは朱雀じゃなくて、村人の手にかかって死ぬんだ。この薄暗い穴蔵が俺たちの墓場だ……」
「……結、遠見をしてくれないか?」
すっかり臆病風に吹かれてしまった武人を忌々しそうに見ながら、残月様が唐突にそんなことを言い出した。私は「遠見ですか……」と目を瞬かせる。
「私は遠見の力をまだ操れないのですが……。何を見てほしいのですか?」
「荒魂の名前だ」
「なるほど……!」
その手があったわね! と膝を打ちたくなった。私は遠見で亡名者の名を探ったことがある。だったら、荒魂様の名前を知ることだってできるはずだ。
「忘れてしまっているだけで、私の中には荒魂の名前に関する記憶があるはずだ。やってくれるか?」
「もちろんです!」
私は残月様の手を取った。残月様は今、神域のために荒魂様の名前を取り戻したいと切に願っている。その気持ちが、私の中から遠見の力を引き出してくれるはずだ。
「入り口の封鎖が間に合わん!」
「敵がなだれ込んでくるぞ!」
「武人以外でも、腕に覚えのある者は羨道に集合せよ!」
周囲の騒音が遠くなっていく。視界がグラグラと揺れて、私の意識が遠くなった。
『やはり行かなければならないのか』
ここは立波村……? 墳丘の前にいるのは幼い残月様だ。
『これからはもっと行儀よくする。もう悪さもしないし、村に恵みを与える。だから……』
『私が村人を説得できるのにも限度がありますから』
えっ……? 残月様と話しているのは……私?
一瞬自分の目を疑ったけれど、よく見ればその女性は私よりも少し年上のように見えた。多分、二十歳を少し過ぎたくらいだろう。
でも、年齢以外は私によく似ているわ。大きな茶褐色の瞳と凜とした顔立ち。他人とは思えない。
彼女が身につけている巫女の装束を高貴な女性が着る一般的な服に替えれば、もっと私そっくりになるだろう。
『村人は怯えているのですよ。家畜を逃がしたり、畑を荒らしたりと今は子どものイタズラ程度で済んでいますが、残月様が成長すれば、村に大きな災いをもたらすようになるかもしれない、と』
『私が成長した姿になるまで、何年かかると思っているのだ』
残月様は自分の小さな手のひらに視線を落とした。私にそっくりの女性は、そんな残月様の肩に手を置く。
『村人は、心置きなくあなたを敬えるようになりたいと考えています。そのためには、残月様のお住まいが神域にあるほうが良いのですよ』
『私は悪い神なのだろう。だから、村人は私とお前を引き離そうとしているのだ』
『残月様は悪神などではありませんよ』
女性は優しく言って、幼い残月様の薄い胸に手を当てた。
『神には二つの側面があります。人を愛する和魂と、人に災いをなす荒魂。あなたは荒魂の力が少しばかり強いようですね。そして、和魂の部分では私を愛してくださっている』
『荒魂も和魂も関係ない! 私は未咲が好きだ!』
未咲? 残月様、今、未咲って言った?
私は女性をまじまじと見つめる。
この人が「未咲」だったんだ。この私にそっくりな女性が。服装から考えると、ひょっとしたら立波村の巫女だった方なのかしら?
荒魂様との初対面の時、彼は私を「未咲」と呼んだ。そのわけがようやく分かった気がする。
これだけ顔が似ていれば、間違えるのも無理はない。はっきりとは覚えていなくても、荒魂様の心のどこかには、「未咲」に関する記憶があったのだろう。
『私は神域へ行く。もう村人に悪さをしないように、この体から荒魂だけを切り離して封印しておこう。だから……また私と会ってくれるか?』
『ええ、もちろんです。必ずまた、あなたの元へ行きますよ』
未咲様はどこか寂しげに微笑んだ。その顔を見た残月様は、別れの時が来たと悟ったらしい。唇を噛んでうなだれ、踵を返した。
未咲様は、墳丘の横穴に入っていく残月様の小さな背中を見送っている。彼女も残月様に負けないくらい辛そうだった。まるでこの出来事を体験した当事者のように、私の胸にも杭が打ち込まれたような痛みが走る。
『最後に一つ、私から贈り物をさせてくれませんか?』
たまりかねたように、未咲様が残月様を呼び止めた。
『いくら村人に悪さをしたとはいえ、このまま封じられてしまうだけなどあんまりです。ですから、せめてもの慰めに、私から荒魂様に何か贈らせてほしいのです』
『……何でもいいのか?』
振り向いた残月様が尋ねる。未咲様は「はい」と言った。
『では、荒魂に名をつけてやってほしい』
『名前……ですか』
そんなことを言われると思っていなかったのか、未咲様は目を丸くした。
『与えられた名前を受け入れることは、相手にすべてを委ねるのと同じ。……それでもいいのですか?』
『構わない。荒魂を……私の一部を未咲にやる。だから、私のことを忘れないでくれ』
『忘れたりなどしませんよ』
未咲様が残月様の傍にそっと身を屈めた。残月様と彼の中の荒魂様にだけ聞こえるように、小さな耳に唇を寄せる。
『あなたの一部を私にくださるというのなら、私も己の一部をあなたに捧げましょう。私の名前から一文字を贈ります。あなたの名は――』




