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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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燃える神域(1/6)

「もう大丈夫ですね」


 私は霊力を使って大岩で羨道の入り口を塞いだ。これで、隠り世の住民は入ってこられないはずだ。


「一時はどうなるかと思いましたよ」

「……安心するのはまだ早いかもな」


 残月様が深刻な顔で呟いた。彼の視線を辿った私は凍りつく。


 空が燃えていた。


「あれは……朱雀(すざく)か!?」


 残月様が驚きのこもった声で叫んだ。


 まだ夜も遅い時間だというのに、燃え盛る地上の炎が照り映える空は、一足早く夜明けが来たように明るい。チラチラと舞っているのは、星ではなく火の粉だろうか。


 そんな一面の赤を背景に、巨大な鳥が飛んでいた。


 トサカのある見た目は、少し鶏に似ている。だが、体は朱色を基調とした羽で覆われており、ところどころから、青や白、黒、黄色の羽毛が覗いていた。尾は長く、羽と同じくらいありそうだ。


 通常なら、どことなく神聖さを感じる姿だったかもしれない。けれど、私は胸の奥にザワザワしたものを覚えずにはいられなかった。


 それは朱雀が焼けた神域の上を飛んでいるためではないだろう。きっと、その目がいけないのだ。朱雀の瞳は濁っていて、見つめているとどことなく不穏な気持ちになってくる。


 朱雀が羽ばたきをするたび、地上に火の玉が落ちていった。その炎が家や田畑を焼いている。それだけではなく、朱雀が口を開けると、そこからも火の玉が飛び出してきた。


 この鳥は神域を火の海に変えようとしているらしいと気づいて、私は骨の髄まで凍りつくような恐怖を感じた。朱雀ならそれができてしまうだろうと直感したのだ。


「朱雀とは何なのですか……?」


 私は上ずった声で尋ねる。残月様は「渡来神(とらいしん)だ」と答えた。


「海の向こうから来た神だな。それがなぜこの神域を襲っているのだ……?」 

「村人たちが招いたのでしょうか……」

「村人?」


 私の言葉に、残月様が怪訝そうな顔になる。……そうだったわ。残月様は神域に攻め込んできたのが誰なのか知らなかったんだ。


 神域を攻撃しているのは立波村の者たちだと教えると、残月様は険しい顔になった。


「人が神に楯突くのならば、相応の覚悟が必要。それにもかかわらず、村人たちが強気な態度を取ったわけはこれか……」


 後ろにこんなに強い神がついているとなれば、さぞかし無敵になったような心地がしたことだろう。調子に乗って神域に攻め込んできてもおかしくはない。


 けれど、私にはどうしても納得できないことがあった。


「立波村が(まつ)る神は残月様と荒魂様でしょう? それがなぜ、よその神を引き込んだりなどしたのでしょうか?」


「村人は私を見限ったのだろう。私が彼らを見放したように、な」


「……え?」


「行こう、結。もっと安全な場所へ」


 残月様が墳丘から降りていく。私も慌ててそのあとを追った。


 残月様と一緒にやって来たのは、四角い形をした大きな方墳だった。ほかの墳丘から離れた場所に作られている。


 五層もある方墳のそれぞれの段の上には、等間隔で円筒はにわが並べられていた。そのはにわのてっぺんの穴の空いた部分から、半透明の膜のようなものが吹き出ており、それが墳丘をぐるりと覆っている。


 方墳の周りは、忙しく立ち働く人々で溢れていた。私はその中に、見知った銀髪の青年を発見する。


「急いで負傷者を運び込むんだ! 動ける者は治療を手伝ってくれ!」

「荒魂様!」


 私が駆け寄っていくと、荒魂様の顔に安堵が広がって、まとっていた殺気が抜けていった。残月様の姿を認めると、荒魂様は今にもその場に崩れ落ちそうになる。


「残月、手間をかけさせて……! あなたの妻に感謝しておくんだな!」


 荒魂様が残月様の肩を小突こうとする。その手は残月様の体を貫通してしまったけれど、二人にはそれで充分だったようだ。残月様が「迷惑をかけたな」と荒魂様に謝った。


「俺のことはいいんだ。結、怪我はしなかったか? ……そうそう。俺たちの花嫁は、名前を見つけたらしいぞ!」


「それはもう知っている。……ところで、戦況はどうなっているのだ? 敵は立波村の者たちなのだろう? それに、なぜお前が避難所にいる? てっきり館で武人たちの指揮を執っているものかと……」


「戦おうにも、手も足も出ないからな……」


 荒魂様の悔しそうな声は、甲高い笛の音に掻き消された。これとそっくりな音を隠り世で聞いたことがある。警笛だ。


「敵襲、敵襲!」


 霊力で動く笛を持った人型はにわが叫んでいる。荒魂様が声を張り上げた。


「ただちに全員退避! 方墳の中へ入るんだ!」


 何が起こったのか分からないままに、私は残月様に抱き上げられた。円筒はにわから吹き出る膜を通り抜け、私を連れた残月様は墳頂へと続く階段を駆け上がる。


 方墳の頂上まで来ると、残月様は私を降ろした。周りには、同じように大急ぎで避難してきた人がたくさんいる。皆は不安げな面持ちで空を見上げていた。


 私たちが退避してからいくらもたたない内に、夜空に巨大な影が現われる。……朱雀だわ!


「シャアアッ!」


 朱雀は蛇が威嚇するような声を上げて、力強く羽ばたいた。羽から生み出された火の玉が方墳に降り注いでくる。


「きゃあ!」


 私は思わず身を竦ませて残月様にしがみついた。けれど、熱さや痛みは感じない。おそるおそる顔を上げると、火の玉は円筒はにわが出す膜によって弾かれていた。


「大丈夫だ、結。この墳丘は結界で守られているからな」


 一緒に避難してきた荒魂様が、私を落ち着かせようとして優しい声で言った。結界というのは、墳頂へ行く時に通ったあの膜のことかしら? 円筒はにわって、攻撃用の光線以外も出せるのね。


「だが、いつまで持つだろうか」


 安心した途端に、残月様が不穏なことを言い出した。よく見れば、膜にはいくつもの細かい亀裂が入っている。敵の攻撃が激しすぎて、結界がほころびかけているのだろう。


「何とかしろ、荒魂。いくさはお前の領分だろう。あの鳥を倒してこい」


「俺だって奴の首を取りたいさ。だが、それは難しいんだ。あなたは気づいていないようだから教えておくが、敵は空を飛べるらしいからな」


 荒魂様には珍しく嫌味っぽい言い方だ。戦いの最中で気が張っているのだろう。


 空の敵に対処する方法……何かないかしら? 私は首をひねる。


「船形はにわを使うのはいかがでしょう? ……あっ。あれは壊れてしまったんでしたっけ……」


 空飛ぶ船が館に乱暴に着陸した時のことを思い出す。一応、短距離なら飛べないこともないらしいけれど……。荒魂様が「船を使うという案は俺も考えていた」と言った。


「だから今、職人たちに急いで修復させている。それに、倉庫にしまってあったほかの船のはにわも持ってくるように依頼済みだ」


 荒魂様が避難所にいるのは、戦う手段のない今は、住民の避難を手伝うほうがいいと判断したからだろう。荒ぶる神とはいえ、彼にも民を想う気持ちはあるようだ。


 話している内に、朱雀はどこかへ飛んでいってしまった。私は肩の力を抜く。


 ひとまず、脅威は去ったと思っていいだろう。だが、ここの結界は、あとどれくらい持つか分からない。


 もし結界がなくなってしまったら、この避難所にいる人たちは全員焼き殺されてしまうのだろうか。そう考えると気分が悪くなった。


「ちくしょう、朱雀の奴め!」


 近くにいた五歳くらいの少年が、足元に落ちていた石ころを手に取って小さくなっていく朱雀に投げつけた。


 当然、石は朱雀には当たらず、少し遠くへ落ちただけだ。けれど、少年は石を投げるのをやめない。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」


 周りの人たちは誰も少年を止めなかった。それどころか皆の表情からするに、彼と一緒になって朱雀に石を投げつけてやりたいとさえ思っているらしい。


 私は朱雀の後ろ姿を見つめる。森も畑も建物も、辺り一帯はあの怪鳥のせいで灰になりつつある。そんな阿鼻叫喚の火の海の上空を、朱雀は素知らぬ顔で悠々と飛んでいるのだ。


 私は無意識の内に、近くに石は落ちていないかと探していた。急速に吹き出してくる凶暴な衝動が、怯えを体の外に押しやっていく。私もあの子に交じって石を投げることができれば、どれほどいいだろうか。


「ちくしょう……!」


 何度も石を投げて疲れ果てた少年は、傍らに座り込む両親らしき男女の膝に突っ伏してすすり泣きを始めた。


 静まり返った避難所に、か細い泣き声が幽霊の囁きのように響く。皆の表情から憤りが消え、今度は諦めが濃い霧のように辺りに漂い始めた。


 けれど、私の胸に宿った燃えるような想いはまだ健在だった。こぶしを固く握りしめる。


 あの少年の悔しさは私の……いいえ、この神域に住むすべての住民の悔しさでもある。


 朱雀をこのままにしておくわけには絶対にいかない。渡来神だろうが何だろうが知ったことか。神域の女主人の名誉にかけて、何があってもあの鳥の蛮行を止めないと!

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