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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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一緒に帰りましょう(3/3)

「行け、まれびと!」


 残月様に促された私は、とっさに柵から離れようとした。けれど、重大なことに思い当たって立ち止まる。


「残月様は、どのようにしてそこから出るおつもりですか?」

「……私はここで追っ手を食い止める」


 残月様の答えに私は息を呑んだ。残月様は留まろうというの? この隠り世に?


「いけません! 私はあなたを迎えにきたのです! 残月様を置いていくなんて、それでは何のためにこの場所まで来たのか分からないではありませんか!」


「お前がここに来た意味ならある。私はもう一度妻と会うことができた。それだけで充分だ。……できれば、最後にもう一度口づけをしてくれるか?」


 残月様が寂しそうに笑って、柵に顔を近づける。私は愕然となった。


「……ダメです、そんなの」


 追っ手はすぐ傍まで近づいていた。私は髪から翡翠のかんざしを抜き取る。


 それを見た残月様が静かに首を横に振った。


「私にそのかんざしを使えというのか? だが、それは無理だ。他人のかんざしを使って霊力を行使するのは、とても縁起が悪いこととされている。それに、充分な力も発揮できない」


「霊力を使うのは、残月様ではなく私です」


 私が口元にかんざしを当てると、残月様は眉根を寄せた。


「やめろ、まれびと。お前にはまだ名前がないのだぞ? そう何度も掟を破ると、隠り世の者たちを本気で怒らせることになる」


「平気です。掟は破りません。……(むすび)の名において命じる。裂けろ!」


 バキッと音がして、柵に亀裂が入った。残月様が目を丸くしている。


 私は残月様の反応よりも、亀裂が想像以上に小さかったことのほうに気を取られていた。これじゃあ、まだまだ通れそうもないわ! 私はもう一度かんざしを掲げる。


「結の名において命じる。裂けろ、裂けろ、裂けろ!」


 三度ほど詠唱して、やっと柵がぐらついてきた。あとは力尽くでどうにかできるだろう。私は柵をつかんだ。


「残月様も手伝ってください!」


 呆然と事の成り行きを見ていた残月様も、叱責されて我に返ったようだ。頬を張られたような表情で柵を壊し始めた。


「まれびと、『結』というのは……」

「あとで説明します! ……よし! これで通れますよ!」


 柵を壊して作った穴は小さいが、屈めば残月様でも何とか通行できるだろう。


 残月様が姿勢を低くして穴を通ろうとした。私は夫の手を引っ張って、それを助ける。


 だが、もう少しで外に出られるという時になって、残月様の体が動かなくなってしまった。何事かと思えば、追いついてきた死人が残月様の服をつかんでいるではないか。


「逃がしませぬぞ! あなたには人質になっていただきましょう!」

「そんなことさせないわ! 結の名において命じる。壁よ、現われろ!」


 私は霊力で死人と残月様の間に障害物を作って追っ手を振り払おうとしたけれど、地面から生えてきたのはなぜかタケノコだった。


 ……これ、壁かしら? 見た目だけでいえば、「杭」と表現するほうが近いような気がするけれど……。


 でも、こんなものでも追っ手を追い払うのには役に立った。タケノコの先端が死人の腕に突き刺さり、その衝撃で残月様は自由の身になったのだ。


 残月様が穴の外側に出てくる。やったわ! 御殿からの脱出成功よ!


 ……などと呑気に喜んでいられたのは一瞬のこと。隠り世の王の御殿は、土を盛った高台の上に作られていたらしい。気がつけば、私と残月様は石が敷き詰められた斜面を転がり落ちていた。


「まれびと!」


 残月様が私を胸に抱きかかえて庇う。


 バシャン! 


 水が跳ねる音がした。息ができなくなり、私は混乱してジタバタと手足を動かす。


 そんな中でも残月様が離さないでいてくれたので、少しすると気持ちが落ち着いてきた。残月様と一緒に水面を目指して水を蹴る。


「はあ……はあ……」


 肩で息をしながら私は辺りを見渡した。


 御殿の周囲には、柵のほかに堀も張り巡らされていたらしい。その堀は自然の川を利用したものだったようで、流れに乗った私たちは、御殿から急速に遠ざかりつつあった。


「た、助かった……」


 残月様に岸辺に引っ張り上げてもらいながら、私は地面に背をつけた。後方を確認しても、追っ手はまだここまでは来ていないようだ。ふう、と大きく息を吐く。


「それで、まれびと。『結』というのは何なのだ?」


 服の水気を絞っていると、残月様が困惑気味に尋ねてくる。


 その背中には、御殿を脱出する時に彼を捕まえようとした死人の腕がついていた。タケノコに貫かれた衝撃でもげてしまったのだろう。死人の指は残月様の服をつかんだ形のまま固まっている。仕事熱心ですこと!


 私は顔をしかめながら、骨でできた死人の腕を残月様から剥ぎ取って地面に捨てた。


「遠見で見たのです」


 私は残月様と船形はにわに乗って夜空を旅した時の出来事を語った。


 あの二人きりの時間から、まだそんなに時がたっていないなんて信じられない。物の怪に襲われたり、隠り世へ赴いたりと、色々なことが立て続けに起きたせいだろうか。


「なるほど、結……か」


 話を聞き終わった残月様は、神妙に頷いた。地面に指で「結」と描く。


「文字にすれば、こうなるだろうか。意味は、何かをつなぎ合わせる、約束する、草や木の実がなる……」


「よい文字なのですね」


 私は素直にそう思った。けれど、どこか喜べない。


「ですが、これは本当に私の名前なのでしょうか? 霊力を使った時も、充分な力が発揮できているような感じがしませんでしたし……。慣れていないからそう思うだけかもしれませんが」


「そうだなあ……」 


 残月様も難しい顔になっている。


「私には、まだ何か足りないものがあるように感じられた。……だが、『結』というのもいい名前だと思うぞ。まれびとにも似合って……いや、もう結と呼ぶべきか」


 残月様が私の手を握った。口元がほころんでいる。


「おめでとう、結。お前は名を見つけたのだな。これでもう消えなくてすむ」


 ……そうだったわ。私、名なしのままだと消えちゃうんだった。


 残月様の救出に気を取られるあまり、私は神域に来てから初めて消失の危機のことを忘れていた。きっと、自分が死ぬよりも残月様を失うほうが恐ろしいと思っていたのだろう。


「……だが、のんびりと祝福している暇はなさそうだ」


 上空が騒がしくなった気配がした。空を見上げた私はぎょっとなる。コウモリの大群が頭上を埋め尽くしていたのだ。


「隠り世と神域を繋ぐ墳丘は、ここからすぐのところにあります! 急ぎましょう、残月様!」


「頼もしい花嫁だな」


 残月様が笑う。私たちが駆け出した直後、コウモリがこちらに気づいたようだ。黒い一本の筋のようになって、一気に急降下してくる。


「結の名において命じる! 打ち落とせ!」


 私はかんざしを振り回しながら叫んだ。すると、空から桃が降ってくる。


 ……何で桃なの?


 呆れ返ってしまったけれど、この果物は意外と役に立った。桃が直撃したコウモリが数匹、地面に落ちたのだ。残月様が「やるじゃないか!」と手を叩いた。


「桃は魔を払う効果があるんだ。もっと馳走してやれ!」


 ……え、そうなんだ。少しバカにしてしまってごめんなさい……。


 私は霊力を使ってもっと桃を出し、走りながらコウモリにぶつけていく。それを見たコウモリは「ギャッ!」と気味の悪い悲鳴を上げながら、こちらの射程外まで退散していった。


 けれど、霊力で作り出した食べ物というのは長持ちしないらしい。私の桃も、出現してからいくらもたたない内に消えてしまった。


 それでも、時を稼ぐには充分だった。墳丘の入り口が見えてくる。先回りしていた死人たちがそこを大岩で塞ごうとしていたところに、私は桃をぶつけてやった。


 すると、死人は恐れをなしたように横に退く。その隙を狙って、私と残月様は羨道(せんどう)に飛び込んだ。


 手を繋ぎながら、二人で坂道を駆け上がる。


 そうして全速力で走っている内に、私たちを包み込む空気はいつの間にか隠り世のどんよりとしたものから、清浄なものへと変わっていた。


 四方を石で固められた羨道から抜け出ると、どことなく体が解放されたような気分になる。


 私たちはようやく足を止めた。


 辺りにあるのは見慣れた墳丘群。爽やかな空気を私は胸いっぱいに吸い込んだ。どうしてこんなに懐かしい気持ちになるのかしら?


 私はほう、と息を吐いた。指先に感じる残月様の温もりが心地良い。成し遂げたことに対する実感がじわじわと湧いてくる。


 私はやったんだ。残月様を取り戻した。もう二度と、隠り世へ強制連行なんかさせてたまるもんですか。

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