一緒に帰りましょう(1/3)
長い長い坂道を下っている内に、前方に明かりが見えてきた。出口が近いようだ。
そう思った時には、私は外の空気を吸い込んでいた。
「ここが……隠り世……」
第一印象は、この世界は現し世とも神域とも随分と違うんだな、だった。
まず、空が暗い。でも夜というよりは、曇った日の昼間の暗さだ。けれど、頭上には雲は出ていない。空の色はぼんやりとした灰色で、どことなく陰気である。
それに、どこを探しても太陽や月が出ていなかった。ひょっとして、隠り世では昼夜の区別がないんだろうか。
緑豊かな神域とは違い、辺りには荒れ地が広がっている。道端に生えている木も、立ち枯れているのか生気がない。
けれど、そんな寒々とした光景も、この薄ら寒い空気感と比べれば何でもなかった。いつの間にか全身に鳥肌を立てていた私は、肩からかけていた領巾をしっかりと体に巻きつける。
この世界では私は異物だ。いつまでも留まっていてはいけない。ここは生者が来る場所ではないのだから。本能がそう告げていた。
けれど、私は湧き上がってくる違和感を無理やり押さえつけた。目的を達するまでは、絶対にこの世界から出ていかない。ここから脱出する時は残月様も一緒だ。
そう固く誓いながら周囲を見回す。すると、遠くに大きな建物が見えた。
――隠り世の王の御殿にて、奥方様を歓迎する宴の用意も整ってございます。
コウモリの長がそう言っていた。
残月様が連れていかれてから、まだそんなに時がたっていない。隠り世と神域の時間の流れが同じかは分からないけれど、もしかしたら残月様は今、歓迎会の場にいるのではないだろうか。
会場となっている「隠り世の王の御殿」がどこなのかは不明だけど……。ひょっとすると、目の前に見えているあの建物がそうじゃないかしら?
私はそう直感した。建物の規模も、神域にある残月様の館に負けないくらい大きいように思えるので、そこまで的外れな考えではないだろう。
それにこの推測が間違っていても、あれだけ大きな館なら人も大勢いるだろうし、王の御殿までの道も聞けるはずだ。……素直に教えてくれるかはともかくとして。
そんなことを考えながら、私は館のほうへ歩いていく。
道中は誰ともすれ違わなかった。ただ、得体の知れないものがその辺を歩いているのには何度か出くわした。
どことなく犬のような見た目だけれど、体の一部が骨でできているから物の怪だろう。隠り世にはこんな奇妙な住民しかいないのだろうか。
私はその物の怪が不気味で仕方なかったけれど、向こうはこちらに興味がないようだ。私とすれ違っても平然としている。襲われたらどうしようと心配していたので、胸をなで下ろした。
館が近づくにつれ、どこからともなく音楽が聞こえてくる。ひょっとして宴でも開かれているの? 「残月様の奥方様」の歓迎会かしら? だとしたら、やっぱりここが隠り世の王の御殿かもしれない。
逸る気持ちで私は館の門をくぐった。警備の兵はいなかったけれど、さすがにこの規模の館ともなれば立ち働いている者も多いようで、あちらこちらから人の気配がする。
ここから先は一筋縄ではいかないかもしれないわ。見つからないように慎重に行動しないと……。
「あら、残月様の奥方様ではありませんか」
警戒心を強くしていた矢先に後ろから声をかけられたものだから、私は飛び上がる。
そこにいたのは侍女風の女性だった。といっても、体が骨でできているので、性別に関しては推測だが。
「あ、あの、私……」
いきなり見つかってしまい、うろたえて言い訳も思いつかない。どうしましょう! このままだと残月様を助け出す前に捕まってしまうわ! 逃げたほうがいいかしら……?
だが、死人の女性は何か納得したような顔で「道に迷われたのですね」と言った。
「この御殿は広いですからね。宴の席に戻りたいのでしょう? ご案内いたしますわ」
死人は下半身を覆っている裳を優雅に翻しながら歩いていく。呆けていた私は、慌ててあとを着いていった。
そうだったわね。隠り世の住民は、私と残月様が入れ替わっていることを知らなかったんだわ。だから私を見ても、「夫を助けるために、妻が隠り世へ乗り込んできた」とは思わなかったのね。ああ、助かった……。
それに、いいことも分かった。先ほどの死人の台詞から考えて、やはりここは隠り世の王の御殿で間違いないようだ。つまり、残月様はこの場所にいる。あとは、こっそり合流する方法を見つけるだけだ。
「では、ごゆっくり」
死人が去っていく。私が連れてこられたのは、巨大な舞台のような場所だった。壁や屋根がないので、舞台上の様子がよく見える。私は今度こそ見つからないように物陰に隠れた。
舞台の端では、楽人が太鼓や笛を演奏している。あまり宴に相応しくないような少しもの悲しい曲だが、隠り世の民には、これでも明るい音楽に聞こえているのだろうか。
宴の参加者たちは、円を描くように座っていた。給仕をしているのは、彼らの間を歩き回る侍女たちだ。
舞台の上にいるのは、全員死人のように見える。けれど、たった一人だけ肉体を持っている人物がいることに気づき、私の胸は高鳴った。
「奥方様、楽しんでおられますかな?」
私に変身した残月様は、円の中心に豪華な服を着た男性と座っていた。冠を被っているし、きっと彼が隠り世の王だろう。ゆったりと構えながら、残月様に話しかけている。
「私のためにこのようなことをせずとも良かったのに」
残月様は明らかに困り顔だ。隠り世の王は、残月様が持っている盃に自ら酌をした。
残月様がその盃を口元まで持っていく。私は思わず物陰から飛び出して、「飲んではいけません!」と叫びそうになった。
けれど、残月様は隠り世の決まり事についてきちんと熟知していた。器の端に唇をつけたけれど、あくまで形だけで何も飲んではいないようだ。
それに、目の前に並べられた料理にも手をつけた形跡がない。
私は大きく息を吐き出した。良かった、残月様が慎重な方で。
きっと、隠り世へ来てから残月様は一切飲食していないのだろう。それならまだ間に合う。残月様が隠り世の民になっていないのなら、現世へ連れ戻せるはずだ。




