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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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雲隠れ(2/2)

 残月様が霊力を行使した影響か、コウモリたちが去ってからしばらくして、船は再び動き出した。


 やがて、船底から地響きが伝わってくる。どうやら地上に着いたらしい。


 だが、上手く着地できなかったようだ。船体が横倒しになる感覚がする。私はそのまま船の外に放り出された。


「……っ!」


 その衝撃で、抜け殻のようになっていた私はガバッと跳ね起きた。術はもうとっくに解けていたのかもしれないが、船の上で起った出来事にすっかり打ちのめされて、起き上がる気になれなかったのだ。


「何事だ!?」


 この声は……残月様!?


 一瞬、夢ではないかと思った。残月様が戻ってきたんだ!


 けれど、松明を掲げながらこちらに駆け寄ってきたのは残月様ではなかった。みずらを結っていない髪と金の瞳、黒い白目。荒魂様だ。


「まれびと!? 一体何があったんだ? どうして船が……」

「残月様が!」


 私は横転した船を呆然と見つめる荒魂様の足元にへたり込んだ。涙が(あふ)れて止まらなくなる。


 たった一瞬だったけれど、また残月様に会えると思ってしまった。その期待が裏切られたことに深い絶望を感じ、肩を震わせてうなだれる。


「残月様が、私の代わりに……!」


 私はしゃくり上げながら船の上で起きたことを話した。最初は困惑していた荒魂様の顔が段々と蒼白くなり、最後には真っ青になる。


「……連れていかれたのか、隠り世へ」

「私のせいなんです……!」


 私は地面に突っ伏しながら泣き叫んだ。


「私が……私が掟を破ったから……!」


 軽い気持ちで霊力を使ってしまったとは、なんて愚かだったのだろう。そのせいで、私たちは残月様を永遠に失ってしまったのだ。


「落ち着くんだ、まれびと」


 私の傍らに荒魂様がしゃがみ込む。けれど、私の涙は止まらなかった。


 もう残月様はどこにもいない。私に話しかけてくれることも、微笑みかけてくれることもないのだ。そんな現実、到底受け入れられるものではなかった。


「残月を取り戻す方法はまだある」

「……え?」


 そのひとことで私は顔を上げた。荒魂様の表情は険しいが、そこに後ろめたそうな気配はない。私を慰めようとでまかせを言っているわけではないようだ。


「隠り世へ連れていかれた者は、生者の迎えがあれば元の世界に戻ってこられるんだ」


 目の前が明るくなったような気がした。まだ諦めなくてもいいと分かり、脱力しきっていた体に力が戻ってくる。


「隠り世へは俺が行こう。まれびとはここで待っていてくれ」

「荒魂様! 神域の防衛はどうなるのですか!?」


 声を上げたのは、武装した男性だった。


 この時になって初めて、私は自分がどこにいるかに気づいた。残月様の館の庭だ。


 大きな庭のあちこちで、武人たちが武器を片手に忙しげに行き来している。遠くのほうから陣太鼓と勇ましい雄叫びのような声が聞こえてきた。


 残月様が物の怪たちに連れていかれた衝撃ですっかり忘れてしまっていたが、今、神域はどこかの勢力の攻撃を受けていたのだ。


「攻め込んできたのは誰なのですか?」


 私が尋ねると、荒魂様は苦々しそうに答えた。


「立波村の連中らしい」


 驚きのあまり、私は口がきけなくなった。私の生まれ故郷の住民たちが神域に侵攻してきたというの? 一体なぜ? 彼らはこの神域の主を信仰対象としていたはずなのに……。


「村人が何を考えているのかは俺にも分からん」


 私の困惑を読み取ったのか、荒魂様が眉根を寄せて言った。


「神に反抗するなどという大それたことを人間が考えるとはとても思えない。だから、これは誰かにそそのかされた結果だろう」


 その時、どこかでドン! という大きな音がした。荒魂様が舌打ちする。


「ここにいては危険だな。まれびとは避難所へ行ってくれ。四角い形をした墳丘だ。武人たちを動員して、民もそこに集めている。俺は残月を迎えに隠り世へ行こう」


「神域から隠り世へ行けるのですか?」


「ああ。通路の役割を担っている墳丘を通ればな。……まれびと、立てるか?」


「……はい」


 地面に突っ伏したままだった私は体を起こした。荒魂様と一緒に墳丘が集まっている地区へ行こうとする。


 そんな私たちを不安そうな顔で武人が見ているのに気づいた。……そうだ。確か武人は、荒魂様に神域の防衛がどうとか言っていなかったかしら?


「荒魂様が隠り世へ行っている間、武人たちの指揮は誰が執るのですか?」

「武人の長だ」


 表情を険しくしたのは、近くにいたひときわ立派な鎧を着た男性だった。彼が武人の長官だろう。


「……大丈夫なのですか?」


 確かに長官は強そうだ。背は高いし、体つきもがっしりしていて、手には弓、腰には大刀と、完全武装している。


 けれど、その顔つきは荒魂様の不在に対する不安でいっぱいになっていた。長官がこの様子では、部下たちも安心できないのではないだろうか。


「戦うことにかけては、この神域で荒魂様の右に出る方はいらっしゃらないのでは? それなのに荒魂様がここを離れてしまっては、神域はあっという間に攻め落とされてしまうのではないでしょうか?」


「それは……俺がどれだけの時間、隠り世で過ごすかにもよるな」


 つまり、荒魂様がいなければ、この戦争に負けてしまう可能性も充分にあるというわけね。


 もちろん、攻めてきたのが普通の人間なら荒魂様がいなくても余裕で返り討ちにできただろう。武人たちの軍事訓練を見たことのある私は、そう確信していた。


 けれど、荒魂様は立波村の村人たちを陰で操る者がいると言う。私も同感だ。立波村では、巫者(ふしゃ)たちだけではなく、首長から農民に至るまで、村人は皆、神を(あが)めて暮らしていたんだもの。


 それがいきなり侵攻だなんて、どう考えてもおかしい。誰かが村人たちをけしかけたとしか思えなかった。


 もし、その犯人が、神や、それに準ずる存在であったとしたら? きっと、こちらも神の力を借りて対抗しなければならないだろう。それなのに荒魂様が神域にいないのでは、私たちの敗北は目に見えている。


 そう考えれば、今、荒魂様に隠り世へ行ってもらうわけにはいかなかった。


「残月様のもとへは、誰かほかの方を遣わしたらどうでしょう?」

「いいや、それはできない」


 私の提案に、荒魂様は首を振る。


「隠り世へ連れていかれた者を取り戻せるのは、限られた人物だけだ。誰でもいいわけではない」


「では、この戦争が終わってから残月様のもとへ行けば……」


「隠り世のものを食べるとあちらの世界の住民になってしまうんだ。残月もその辺りは心得ているから、しばらくは何も口にしないだろうが、いくら神でも飲まず食わずではその内に死んでしまう。救出するなら早いほうがいい」


「そう……なのですか……」


 救出に時間をかければ、残月様が衰弱してしまう。確かにそんな事態は避けるべきだ。


「俺が行くしかないんだ。迎えにいけるのは、隠り世へ連れていかれた者と縁の深い人物だけ。俺ならその条件にも合う」


「あら、それなら私でもいいではありませんか」


 私の言葉に、荒魂様は目を剥いた。


 けれど、私はそんな反応にはお構いなしに、この思いつきにすっかり心を囚われている。


「どうせ、神域にいても私は戦えませんもの。でしたら、別の形でお役に立ちたいです」


 考えれば考えるほど、この役目は私にぴったりだと思えてくる。けれど、荒魂様の表情には戸惑いが浮かんでいた。


「隠り世は危険なところなんだぞ、まれびと。あなたに何かあったら……」

「大丈夫です。絶対に残月様を連れて無事に戻ってきます」


 死人や物の怪が……隠り世の住民が恐ろしくないと言えば嘘になる。


 けれど、そんな恐怖は残月様を失った痛みに比べればささやかなものだった。


 私は自分の唇に指先で触れる。あの別れ際の短い接吻を思い出すだけで、心が二つに引き裂かれそうになる。


 船の上で私は何もできなかった。ただ怯えて残月様に守られていただけ。その結果、残月様は連れ去られてしまったのである。


 もうあの時のような思いはしたくなかった。今度は私も戦う。戦って、残月様を取り戻すのだ。


「荒魂様は神域の防衛。私は残月様の救出。お互いにできることをしましょう?」


 私は髪から翡翠のかんざしを抜いた。


「私は自分の名を見つけました。……(むすび)。この名前さえあれば、もう霊力を使うことだってできます。残月様を助けるのにも役立つでしょう」


「結だって?」


 荒魂様の声がひっくり返った。


「いや、それは……めでたいな」


 突然のことに動揺しているのか、荒魂様は目を白黒させている。


「だが、結か……。確かにいい響きだが、もっと相応しい名があるような気も……」


 荒魂様はブツブツと呟いている。彼も幼少期の私と同じことを言うのね。あの時の私も、「もっと違った名前でもいいはず」と言っていた。それに、今の私も少しそう感じている節がある。


 でも、名前は名前だ。名なしのまれびとよりはずっといい。


「あなたの決意は固いようだな、まれびと。……いや、結」


 もっと相応しい名があるような気がする、と言いつつも、荒魂様は一旦は私が「結」であることを受け入れることにしたようだ。複雑な表情で頷く。


「あなたは荒魂の花嫁。時には勇ましく戦うことも必要だろう。あの暴れ馬に対峙した時のように」


「隠り世へ行くことを許可してくださいますね?」


「ああ、思う存分やってこい」


 荒魂様は景気づけをするように私の肩を叩いた。もちろん、すり抜けてしまったけれど。


「隠り世へ行くためには通路の墳丘を通らなければならない。だが、今はあちこちで戦闘が行われているからな。もちろん俺が護衛をするが、墳丘にたどり着くまでには少し時間がかかるかもしれない」


「空を飛んでいってはいかがでしょう?」


 私は横倒しになってしまった船形はにわを指差す。荒魂様がはにわを検分して、「ふむ……」と唸る。


「着陸の衝撃で少々壊れたようだが、短距離なら飛べないこともないか。あとで修理に回そう。……職人たちに連絡を取っておいてくれ。場合によっては、戦闘で使うかもしれない」


 荒魂様が控えていた武人に命じる。武人は「承知いたしました」と言って下がっていった。荒魂様が霊力で船の体勢を立て直す。


「よし、行くか」


 私が船に乗り込むと、荒魂様も乗船して霊力で船を動かす。館を離れた船は、墳丘が集まる区画へ向かった。


 皆地上のいくさに気を取られているのか、頭上の私たちには気づかないようだ。それに、気づいたとしても手の出しようがないだろう。そういう意味では、攻撃されることのない空飛ぶ船の上は安全といえた。


「見えてきたぞ」


 全速力で船を走らせたため、思ったよりも短時間で墳丘群の近くまで来られた。通路の墳丘を見ていた荒魂様が「運がいいな」と言う。


「村人の増援が止まっている。墳丘の近くは無人だ。行くなら今だな」


 ああ、そうか。今さらながらに、立波村の人たちはこの墳丘を通って神域に来たのかと思い至る。


 それはつまり、ぼやぼやしていたら、この付近で村人たちと鉢合わせてしまうかもしれないということだ。


 荒魂様が船を墳頂につける。意外なくらい大きな音がしてヒヤリとした。


「では、行って参ります」

「気をつけるんだぞ」


 荒魂様が私の唇に自分の口を重ね合わせる。触れられないけれど、彼の気遣いや(いたわ)りが感じられるような接吻だった。


 その口づけで、私はこの任務の危険性を肌で実感することになった。けれど、危ないのは荒魂様も同じだ。彼だって、この神域に踏みとどまって村人の侵攻を食い止めなければならないのだから。


「荒魂様もどうぞご無事で」


 私たちは名残惜しげに視線を交わす。だが、感傷的な雰囲気は猛々しい声にあっという間に破られた。


「墳丘の上に何かあるぞ!」

「巨大な船……? 近くに誰かいるように見えるが……」

「敵かもしれん! 矢を射かけろ!」


 ヒュンと音がして、私の足元に矢が刺さった。荒魂様が「行け、結!」と声を張り上げる。


 私は脇目も振らずに墳頂から駆け下りた。その間も絶え間なく矢が射かけられるけれど、荒魂様が霊力で風を出してそれを跳ね返す。


 墳丘の真ん中辺りに作られた道……羨道(せんどう)の入り口を塞ぐ大岩は、すでに横に退けられていた。私は中へ飛び込む。


 明かりのついていない暗い羨道はどこか不気味だったけれど、ためらっている暇はない。私は石が敷き詰められた道を手探りで進んだ。


 目指すは隠り世。


 死者の国に連れ去られた夫を何があっても助けるのだ。

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