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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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月の船で天の海へ(1/2)

 荒魂様が私の私室へやって来たのは、辺りが薄暗くなり始める時間帯のことだった。


「残月様は何とおっしゃっていましたか?」


 やっぱり距離を取ろうと思ったのは、私が何かしてしまったから?


 不安を拭えないまま尋ねると、荒魂様は意外なことを言った。


「また少し散歩をしないか?」


 お散歩? こんな時間に?


「残月が何を考えていたか、外を歩きながら話してやろうと思ってな」


 そう言われてしまえば、「行く」以外の選択肢はなかった。私は荒魂様についていくことにする。


 もう夜だけれど、館のあちこちにはかがり火が灯されて、物の怪が暴れて壊れた建物を修理する職人たちが忙しげに立ち働いていた。


 荒魂様が彼らに「もう休んだほうがいいんじゃないか?」と言うと、職人たちは「そうします」と応じる。皆さん、お疲れ様です……!


 やがて、私と荒魂様は館の外に出た。どこまで行くのかしら?


 そんなふうに考えている内に、私たちは墳丘が集まる区画へやって来た。どうやらこの場所が荒魂様の目的地だったらしい。たくさんある墳丘の中で、彼が立ち止まったのは円墳の前だった。


 前に荒魂様が説明してくれたことがあったけど、確かここは倉庫の役割を担っている墳丘なのよね。彼はどうしてそんなところへ私を連れてきたのだろう。


「残月の名において命じる。現われよ、船形はにわ」


 荒魂様が命じると、墳頂が二つに割れた。円墳の中から、ろくろのような台座がせり上がってくる。その上に何か乗っていた。


 私は荒魂様について墳丘を登った。頂上まで来て、謎の物体の正体が分かると、「わあ……」と声にならない声を漏らす。


 なんて迫力なのかしら! 


 私の背丈より少し小さいくらいの、大型の船を模したはにわだ。色はベンガラ塗りの朱色。形は船首と船尾が反り返った三日月型で、どんな荒波も乗り越えられそうな威風堂々とした造りをしている。装飾も豪華で、威杖と日傘が並んでいた。


「素敵な逸品ですね」


 惚れ惚れとはにわを眺める。ふと、土器職人の小屋を訪れた時に話を聞いた長壁さんという男性のことを思い出す。確か、彼は船形はにわを作ったと言っていなかったかしら?


 ひょっとすると、これは長壁さんの作品なの? だとしたら、彼は本物の芸術家だ。馬子のはにわを「踊っている人」なんて言ってしまってごめんなさい……! あなたの腕は本物です!


「もっと大きくなるぞ」


 楽しそうに言って、荒魂様は髪から翡翠のかんざしを抜き、口元に当てた。


「残月の名において命じる。船形はにわよ、肥大せよ」


 私が見ている前で、はにわがぐんぐんと大きくなっていく。はにわが変化を止めたのは、元の何十倍もの大きさになってからだった。


「すごいです! これくらい大きいなら人が乗れそうですね!」

「もちろん乗れるさ。というより、乗るために大きくしたんだ」

「乗るために? 海にでも行くのですか?」

「海、か。それも間違っていないな。……さあ、乗ってみてくれ」


 荒魂様が霊力で踏み台を出してくれて、私は船に乗り込んだ。すごい……! 遠くまでよく見えるわ! 今が夜でなければ、もっといい眺めだったのに。


 私は船の縁から身を乗り出した。


「まるで山の上にいるようです!」

「あまり端のほうへ行くと落ちるぞ」


 あとから船に乗り込んできた荒魂様が私を引き寄せた。


「そうですね。気をつけないと……って、ええっ!?」


 とんでもないことに気づいて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。


「荒魂様、今、私に触りました!? いつ実体を取り戻したんですか!? ひょっとして封印が解けて……」


 私は荒魂様をまじまじと見て息を呑んだ。彼の瞳は蒼白い色をしていたのだ。


 違う。この方は荒魂様じゃない。残月様だ。


「では、楽しんでこいよ」


 荒魂様はまだ下にいた。どうやら荒魂様が船に乗り込んできたと思ったのは私の勘違いで、実際に乗船したのは残月様だったらしい。


 きっと、残月様は私が船に乗るまで墳丘のどこかに身を潜めていたのだろう。荒魂様ったら、私を驚かそうとしてこんな入れ替わりを計画したのね!


「残月の名において命じる。船よ、浮け」


 荒魂様が霊力を使って船を浮遊させる。船形はにわは私と残月様を乗せて、天の海へと漕ぎ出した。


 船はあっという間に、地上の建物が手のひら大に見えるくらいの高さまで浮き上がる。そして、波を掻き分けるように雲の間をずんずんと進んでいった。


「雲や星がこんなに近くにあるなんて……!」


 腕を伸ばすと、手が濡れた。なんだか霧の中にいるみたい。ひょっとして、雲って水でできているの?


「もっと高くまで行けたら、星も手に取れそうですね!」


 私ははしゃぎながら残月様のほうを向いた。だが、私とは対照的に残月様はどこか沈んだ顔だ。日傘の支柱を背もたれにして床に座っている。


 そんな彼を見ている内に、胸いっぱいに広がっていた高揚感がしぼんでいくのが感じられた。残月様は私と二人でお出かけするのが嫌なのかしら?


 でも、それならこうして船に乗り込んだ理由が分からない。私は思いきって、「隣に座ってもいいですか?」と尋ねた。


「ああ」


 残月様が拒否しなかったので、少し救われたような気分になる。私は残月様の隣に腰かけた。


 黙って夜空を見上げる。雲には手が届いたけれど、星はもっとずっと高いところにあった。この船はあんなところまで行けるのだろうか。


 星ですらあれほど(はる)彼方(かなた)に位置しているのだ。月はもっと遠いところにあって、私などでは永遠に触れることは叶わないかもしれない。そう思うと、無力感で息が苦しくなるようだった。


「まれびと」


 残月様が私の耳元で囁いた。いつの間にか、私は彼の腕の中にいる。


「お前を不安な気持ちにさせてしまったようだな。……すまなかった」

「……どうして、ですか?」


 私は残月様の腕に手のひらをそっと宛がって尋ねた。


「どうして私から離れようとするのです? 私が何かしてしまったのですか?」

「いや、お前は悪くないんだ」


 残月様はきっぱりと言い切った。


「私があなたと距離を置いたのは……そうだな。荒魂に言わせれば、私が臆病だったからだ」


 残月様が苦笑いした。


「かつて私は、大切な者と別れなければならなかった。まれびとを見ていると、その人を思い出す。同時に、別れの苦しみも蘇ってくるのだ。私はお前のことを大切に思っている。だが、それはよくないことかもしれないと感じてしまった。神が人を愛しても、悲しい結末しか待っていないのでは、と……」


 残月様がそんなことを考えていたなんて……。


 よほど苦悩していたのか、残月様の顔は憂いで曇っていた。けれど、私の心からは重苦しいものは取り払われている。


 残月様は私を嫌いになったわけではない。だったら、私が彼の妻としてするべきことは一つだけだ。


「それでも私は、あなたに愛されたいです」


 残月様が目を見張った。私は残月様の腕をぎゅっと握る。


「残月様は私に、ワガママを言ってもいいとおっしゃいました。だから、私はあなたに無茶を言います。私への気持ちを無理に封じないでください」


「まれびと……」


「こんなに近くにいるのに、心は離れているなんて嫌です。私は残月様と一緒にいたい。あなたの愛を感じていたいのです。そして、私もあなたを愛したい」


 私は体を動かし、残月様の口に自分の唇を押し当てた。私から接吻するのはこれが初めてだ。そのことに感動したのか、残月様の蒼白い瞳が隠しようもないほどに燃え盛った。


 残月様はこれほどまでに私に惹かれているというのに、それでも私と離れようとしたというのか。なんて意思の強い方だろう。


 でも、その強固だったはずの気持ちは、この短い口づけで早くも崩れ始めている。


「悲しみは二人で分かち合いましょう」


 私は残月様を胸元に抱き寄せた。


「私たちには荒魂様もいるのです。三人で分ければ、大きな悲しみも小さくなりますよ。それに、離れ離れになっても、私はまた残月様に会いにきます。約束しますよ。私は残月様の花嫁ですから。夫をいつまでも一人にはさせません」


「約束……」


 残月様が呟いた。


「ああ……そうだ。未咲も言っていた。私に会いにくると。まれびと、やはりお前は……」


 続きの声は、くぐもって聞こえなかった。いきなり体がふわりと浮く感覚がして、私は驚きのあまり息が止まりそうになる。


「どうやら私はつまらないことで悩みすぎていたらしい」


 残月様が私を抱き上げていた。彼の表情は、先ほどとは打って変わって晴れ晴れとしたものになっている。


「あの別れは『結末』などではなかった。ただの『通過点』だったのだ。かつての離別は今に繋がっている。そして、私のもとにはまれびとがやって来た……」


「残月様?」


 いつかと同じように、残月様は私の脇の下に手を入れて頭上に掲げ、体をくるくると回し始めた。残月様が身につけている鈴がリンリンと音楽でも奏でるように軽やかな音を立てる。


 残月様は楽しそうだけれど、私の視界はグラグラと揺れていた。どうやら目が回ったらしい。


「もう迷わない。私は私の思うままにまれびとを愛そう。遠い昔からずっとそれだけが望みだったのに、やっと願いが叶ったと思ったら、自分からその幸福を手放そうとしていたなんて! 私は本当に愚か者だ……」


 体から力が抜けていく。今さらのように気づいた。私は目を回しているわけではない。これは遠見だ。


 そう思った瞬間に、私の意識は時を超えていた。

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