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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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29/52

実のならない花(1/1)

 そのあともしばらくの間、私たち三人は粘土板と向き合っていた。


 けれど、お昼を過ぎる頃には集中力も切れてくる。そこで一旦休憩を取ることにして、私たちは粘土板の保管庫の外に出た。


「散歩にでも行くか、まれびと」


 伸びをしながら荒魂様が言った。


「といっても、亡名者に捕まると厄介だからな。館の中をぶらぶら歩くだけにしよう。残月も来るだろう?」


 荒魂様は当然のように尋ねたけれど、残月様は「いや、やめておこう」と言った。


「少し一人で考えたいことがある」


 そう言って残月様は私たちに背を向ける。去り際、彼と目が合った。その瞳がどこか悲しげに見えたのは気のせいかしら?


「変な奴」


 軽口を叩きながらも、残月様の様子がいつもと違うことに気づいていたのか、荒魂様もそわそわしていた。


 けれど、残月様を追いかけてその理由を問いただしたりはせずに、私に「行こうか」と声をかける。


 気にはなったけれど、私は大人しく荒魂様に従うことにした。きっと、時間がたてばいつもの残月様に戻るだろう。


 荒魂様が私を連れてきてくれたのは、館の敷地内にある人工的に作られた池だった。祭祀(さいし)が行われる場所だろうか。


 ……なんて呑気に考えていたけれど、よく見たらここは朝方、私と荒魂様が物の怪を捕まえた池じゃない! まだ岸辺に馬の足跡が残っているわ……。


 あの時はじっくりと辺りを見渡す余裕はなかったから今初めて気づいたけど、池の近くには、こちらも人為的に作られたと思われるちょっとした林のようなものがあった。


「今なら山吹が見頃だろうな」


 荒魂様はそう言って、私を林の中に連れ込んだ。


 彼の言うとおり、背の低い木を彩るいくつもの黄金色の花が木漏れ日の中で風に揺れている。心が和む光景に、疲れがすうっと取れていった。


「落ち着く場所ですね」


 私がそう言うと、荒魂様はにこりと微笑んだ。触れることはできないけれど、花を愛おしむように黄色の花弁に顔を近づける。


「あなたが髪にこの花を飾るところが見たい。きっと似合うから」


「もしかして、そのために私をここへ連れてきたのですか?」


「いや、花を見ている内に思いついたんだ。本来なら、俺の手で髪に飾ってやれたらいいんだが。……どうだ? 夫の頼み、聞いてくれるか?」


「お安いご用です」


 荒魂様には実体がないから、普段の生活でも何かと不便なことが多いのだろう。そんな彼を(いたわ)る気持ちを込めるつもりで私は頷いた。


 傍の木から小ぶりな山吹を摘む。今日も私の髪には白いツツジが飾られていたので、あまり大きな花だと邪魔になってしまうと思ったのだ。


 私は山吹を髪に挿そうとした。突風が吹いたのはその時だった。私がつまんでいた山吹を風がさらっていく。


「待って!」


 花なら辺りにたくさん咲いているのに、私は思わず宙を飛んだ山吹を追いかけた。すると、その呼び声に応えるようにすぐに風が止む。山吹が落ちたのは、林の中にたたずむ見知った青年の足元だった。


「残月様……?」


 こんなところで会うなんて奇遇だわ。残月様もお花を見にきたのかしら?


 残月様が足元の山吹を拾った。私は「ありがとうございます」と言って、それを受け取ろうとする。


 その拍子に、残月様の指が私の手に触れた。


「……っ!」


 残月様がハッとしたように手を引っ込めた。まるで、うっかり焼けた石に触ってしまった時のような反応だ。山吹の花がまた地面に落ちる。


「……すまない。私は先に粘土板の保管庫に戻ることにする」


 休憩は始まったばかりだというのに、残月様はどこか苦々しい表情で去っていく。その後ろ姿に、私はなぜか「行かないで!」と言って(すが)りつきたいような衝動を覚えた。


 どうしてそんなことを考えてしまったのかしら? これが今生の別れでもあるまいし……。


「どうしたんだ、残月の奴」


 私たちのやり取りを見ていた荒魂様が首を傾げる。


 荒魂様の目にも、残月様の行動は不可解に映ったのだろう。抱擁も口づけも経験済みだというのに、どうして今さら妻と手が触れただけであんなに動揺したのか、と。


 静かな風が林を吹き抜けた。木々の葉っぱ同士が擦れる音が、どこか寂しげに辺りに響く。地面に落ちた山吹の花が、心許(こころもと)ない様子でぽつんとそよ風に揺れていた。



 ****



 その後の私と荒魂様は、なんだか散歩を続ける気にもなれなくて、すぐに粘土板の保管庫へ戻ることにした。


 予想どおり、そこで待っていた残月様はどこか沈んだ表情のままだ。それに、名前探しの作業中も、私とは少し離れて座るし、あまり話しかけてもこなかった。


 夕方になって食事を取る時間が来ても、残月様はよそよそしいままである。私のほうを見ようともしない。


 そんな残月様の態度に、先に我慢がならなくなったのは荒魂様だった。


「おかしい。絶対におかしい」


 食事を終えて私室へ引き上げる私の隣を歩きながら、荒魂様は腕組みをする。


「残月は一体どうしてしまったんだ? まるで、まれびとと距離を置こうとしているようじゃないか。あなたもそう思わないか?」


「ええ」


 私は遣る瀬ない思いで同意した。


「私、残月様を困らせるようなことをしてしまったのでしょうか……」

「あなたが? まさか!」


 荒魂様は目を丸くした。


「俺には、残月が勝手にあなたとの間に壁を作ろうとしているように見えたぞ。……何が原因かは分からないが」


 荒魂様は思案に暮れるように首を傾げていたが、やがて「ダメだ」と舌打ちした。


「グダグダ考えるのは俺の性に合わん。ちょっと行って、残月から話を聞いてこよう」


「それなら私も一緒に……」


「いや、まれびとは同席しないほうがいい」


 荒魂様は私を押しとどめるように両手を前に出した。


「あなたがいると、残月は話しにくいと感じてしまうかもしれない。その点、俺は残月でもあるから問題はない。独り言を言うようなものだ。あいつも気楽な気持ちで話ができるだろう」


 そういうものかしら? 神様の感覚はよく分からないわ……。


 などと思っている内に、荒魂様はもうどこかへ行ってしまった。なんて気の早い方なのだろう。


 着いてこないほうがいいと言われてしまっているし、仕方なしに私は一人で私室へ向かうことにした。



 ****



「おい、残月」


 荒魂が予想したとおり、残月は池のほとりの林にいた。夕陽の明かりに照らされながら、山吹を見ている。


 荒魂が話しかけても、残月は顔を上げなかった。ただ一言呟いただけだ。


「花というのは儚いものだな」

「残月、何を思い出した?」


 荒魂の言葉に、残月は驚いたように片割れのほうを見る。荒魂はふんと鼻を鳴らした。


「俺が何も気づかないとでも思っていたのか? 他ならぬ自分自身のことで」

「お前は私。私はお前、か。……荒魂に隠し事はできないというわけだな」


 残月は肩を竦めた。今にも枝から落ちそうな山吹に指先で触れる。


「人にあまり想いを寄せると、悲しい結末が待っている。そう気づいたんだ」


 残月が囁くように言った。


「だから私たちは未咲と離れ離れになった。違うか?」

「あいにくと、俺にその記憶はないんでな」

「運がいいな」


 残月は羨ましそうでもあり、恨めしそうでもあった。


「元はといえば、お前が乱暴者だったせいで未咲と別れることになったというのに。肝心のお前がそれを覚えていないとは」


「……未咲とは誰なんだ?」


 未咲との別離の記憶が残月の心に影を落としているのか、と荒魂は見当をつけた。


 では、残月がそこまで気にかける「未咲」というのは一体誰なのか。記憶のない荒魂には、まるで分からなかった。


「立波村の巫女だ。……遠い昔の」


 残月がそう言った瞬間、荒魂の頭の中で、もつれた糸が解けるように記憶が紡がれていった。荒魂は額を押さえて、「ああ、そうか……」と目を見張った。


「離れ離れ、とはそういうことか。俺たちは神域で、未咲は村で暮らすことになった。……だが、未咲とまれびとは何の関係もないだろう。未咲との記憶に振り回されて、まれびとまで遠ざけるのは道理に合わん」


「未咲もまれびとも人間だ。言っただろう。人にあまり想いを寄せると悲しい結末が待っている、と。それに……」


 残月が何かを考え込むような表情になる。


「未咲とまれびとが本当に無関係だと言えるか? 私にはそうは思えない。……なぜと聞かれても困るが」


「俺はあなた。あなたは俺。それなら、未咲はまれびとで、まれびとは未咲だとでも?」


「……分からない。そうなのだろうか?」


 荒魂の考えは、残月にとっても意外なものだったようだ。そのまま思索にふけってしまいそうになる残月を見て、「ややこしいったらありゃしねえ」と荒魂はぼやく。そして、片割れに詰め寄った。


「小難しいことはどうでもいい。俺が知りたいのは、残月はまれびとをどうするつもりかということだ」


 荒魂は残月の鼻先に人差し指を突きつける。


「未咲との別れは悲しいものだった。だったら、やるべきことは一つだろう。まれびだけは絶対に手放さない。何があっても俺たちの手元に置いておくんだ」


「荒魂……」


「別れることになるかもしれないから距離を置くだなんて、バカらしいことこの上ないだろう。この臆病者が。神なら離別の悲しみくらい呑み込んでみせろっての。それを含めてまれびとを愛してやれよ。彼女は俺たちの花嫁じゃねえか」


「……口調が荒くなっているぞ」


 残月に指摘され、荒魂は口元に手を当てる。顔を引きつらせる片割れを見ながら、残月が口元を緩めた。


「同じ神なのに、お前は強いな」

「荒ぶる神として人に罰を与えてきた経験があるからな」


 ごほん、と咳払いしながら荒魂が言った。


「罰を受ければ人間は俺に負の感情を抱く。俺は、これまでそんな恨み辛みを一手に引き受けてきたんだ。強くもなるさ」


「私とは大違いだな」


「何が大違い、だ。弱いならこれから強くなればいいだけだろう」


 また感情が高ぶり始めてきたのを感じて、荒魂は軽く深呼吸をした。


「俺が言いたいのは、もっと素直になれということだ」


 荒魂は落ち着いた声を出すように心がけながら言った。


「あなたは色々と考えすぎるんだ。好きなら好きで今はいいじゃないか。苦しみは過去か未来にしかない。今この瞬間、俺たちは幸福だ。花嫁が手を伸ばせば届くところにいるんだから。そうだろう?」


「荒魂……。私は……」


「なんだ? まだうだうだ言うのか?」


 荒魂は呆れ顔になる。


「やはりあなたは考えすぎだ。考えすぎて、周りが見えなくなっている。苦しんでいるのは自分一人だけだと思うのか? あなたが離れていって、まれびとが何も感じなかったとでも?」


 残月が虚を突かれたような表情になる。荒魂ははあ、とため息を吐いた。


「心配しなくても、(つぐな)いの場なら俺が用意してやろう。俺はあなたで、あなたは俺。残月のしでかしたことの尻拭いは、もう一人のあなたである俺がしないとな」


 嫌とは言わせないぞ、とばかりのきっぱりとした口調だ。さすがの残月も反論する気になれないらしい。


 残月が決心を固めたと判断した荒魂は、片割れに何事かを耳打ちしたあと、花嫁のところへ戻っていった。

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