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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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未だ咲かず(1/1)

 その後、無事に(・・・)ふたりとも残月様に捕まってお小言を聞かされ、みそぎを済ませて身を清めたあと、私たちは今日の予定を話し合った。


「外で住民たちの名前を聞いて回るのだろう?」


 残月様が私に聞いてくる。あまり根に持つたちではないのか、私や荒魂様から反省の言葉を聞くと、残月様は何事もなかったようにいつもの涼しげな表情に戻っていた。


「行かないほうが無難だ」


 残月様の質問に答えたのは荒魂様だった。


「その辺をうろついて、また亡名者にもみくちゃにされたらどうするんだ。それに、今日は縁起の悪い奴にも会ってしまったし……」


 縁起の悪い奴、とは死人と物の怪のことだろう。それに、すっかり忘れていたけれど私を訪ねてきた亡命者も大勢いるんだった。


「本当に今日はろくでもない日だな。怖かっただろう、まれびと」


 もうお説教をする気分ではないらしく、残月様は私を抱きしめて頭を撫でてくれた。すで恐怖心は消えていたけれど、夫の体温を感じて心が休まる思いがする。


「俺の分も撫でておいてくれ」


 荒魂様が残月様に言った。少し羨ましそうな顔をしている。


 相方の願いを叶えようとしてか、残月様の撫で方がさらに熱心になった気がした。


 荒魂様に実体がないことは、私にとっても本当に残念だ。彼も夫なのに、気軽に触れ合うこともできないなんて。


「それにしても、今日はどうするか……」


 私を撫でながら、残月様が思案顔になる。


「外に出るのが危ないとなれば、室内で名前探しをするほうがいいだろうか?」


「室内で……。できますか、そのようなこと?」


「ああ。まれびとは、今まで色々な住民の話を聞くことで名前を探そうとしていただろう? だが、たまには違った方法を取るのもいいのではないか?」


「まるで奇襲だな。いいぞ。こちらが思いもかけないところから飛び出せば、敵も慌てふためいて倒すのも容易くなる」


「いくさの話ではないと思いますが……」


 荒魂様の言葉に私が苦笑していると、彼は「いいや、これはいくさだ」ときっぱり言い切った。


「あと七日だ。あと七日以内に名前を見つけられなければ、あなたは消えてしまうんだぞ? 名前探しには、まれびとの命がかかっているんだ」


 なるほど。命がけの活動なら、いくさと変わらないというわけね。荒ぶる神らしい考え方だ。


「では、名前を探しに行くとするか」


 気が済むまで私の頭を撫で回してから残月様が言った。彼が案内してくれたのは、館の中にある棚がたくさん設置された高床の建物だった。


 残月様は手近な棚から、私の腕と同じくらいの長さの板状の物体を取り出す。粘土板かしら? なんだか不思議な模様が刻まれているようだけれど……。


「これは何でしょう?」


 私は模様を指差して聞いた。「羽」「卯」「宇」などなど。どれも見たことのない形ばかりだ。


「これは『文字』と呼ばれるものだ。言葉を表記するための記号だな」


 残月様が説明した。


「たとえば、私の名はこういう文字を使って現わすことができる」


 残月様が髪から翡翠のかんざしを抜いた。霊力を使い、空中に「文字」なるものを使って「残月」と描く。


「つまり、使用したい字を決めてから、それを使った名前を考えるわけか」


 荒魂様が粘土板を覗き込みながら言った。荒魂様は残月様の考えに納得したようだけれど、私にはふたりが何を言いたいのかまだよく分からない。


「文字から決めるのですか……。どのように?」


 初めて見る「文字」というものをどう扱っていいのか理解できなくて、私は戸惑っていた。けれど、荒魂様は「別に難しくはないさ」と気楽そうに言う。


「文字を眺めて、気になるものがあれば言ってくれればいい。俺と残月が読み方を教えよう」


「もしこの中に気に入った文字がなくとも、心配無用だ。粘土板はまだまだあるからな」


 残月様が部屋中に設置された棚を手のひらで示して言った。彼も楽観的な声色だ。ふたりがそう言うのなら……と思い、私は粘土板を持って床に座る。その右隣に荒魂様も腰を下ろした。


 残月様はというと、そこら辺の棚から粘土板を無造作に取り出していた。それ私の前に置き、空いていた左隣に座る。


 ふたりの夫に挟まれた私は、積み上げられた粘土板を一枚一枚、膝の上に置いて、そこに刻まれた文字を眺めていった。


 識字能力がないから、どんな規則性で文字が並んでいるのかはよく分からなかったけれど、とにかく集中することする。


 その最中、ふと疑問が湧いてきた。


「この『文字』というものは、どれくらいの数があるのですか?」

「そうだな……五百? いや、千くらいか?」

「もっとあるだろう。一万は超えているんじゃないのか?」


 残月様と荒魂様は顔を見合わせて肩を竦めた。私は「いちまん!?」と素っ頓狂な声を上げる。それがどれほどの数なのか、多すぎてとても想像ができなかった。


「神域の方は……随分とたくさんの文字を扱うのですね……」


 なんだか血の気が引いてきた。ここの住民は記憶力が良すぎはしないだろうか。ひょっとしてこの場所で暮らしていくためには、私も一万以上の文字を覚える必要があるというの?


「まあ、きちんと数えたことがないから、本当にそんなにあるかは分からないぞ?」


「それに、神域の住民といえど、すべての文字を覚えているわけではないんだ。よく使う文字と、滅多に使わない文字があるからな」


「そうですか……」


 それなら一安心……かしら?


 というよりも、今は圧倒されている場合ではない。私が最優先でするべきなのは名前探しだ。粘土板を端から端まで眺めて、一文字ずつ丁寧に見ていく。


 当然だけれど、並んでいるのは見たことのない形ばかり。この中から気になるものなんて、どう見出せばいいというの?


 そんなふうに考えていたものだから、文字の羅列の中からあるものを見つけた時、私は喜びの声を上げた。


「これ、残月様のお名前に使われていた文字ですね!」

「ほう、私の字をもう覚えたのか」


 残月様が上機嫌で粘土板を覗き込む。だが、私が指差していた「日」の文字を見た途端に、眉を下げた。


「少し縦線が短いかもな」


 右隣の荒魂様が領巾(ひれ)を口元に当てながら、クスクスと笑った。荒魂様は自分のかんざしを使って、空中に「月」と描き出す。あっ……、確かに縦線の長さが足りなかったわ……。


「大した違いではない。ほとんど正解みたいなものだろう」


 残月様が少しむくれながら言った。早合点して喜んでしまったのが恥ずかしいらしい。


「まれびとは私の名前に使われている文字を覚えようとしてくれた。その事実が大事なのだ」


「俺への当てこすりか?」


 今度は荒魂様がふくれっ面をする番だった。


「俺も自分の名前を知っていれば、まれびとに字を覚えてもらえたのになあ。誰かさんが俺の名前を奪っていったせいで、それもできない」


 そうか。荒魂様は残月様に名前を奪われたんだった。でも、肝心の残月様が荒魂様の名前を忘れてしまったせいで、荒魂様は封印を解くことができないのよね。


「残月様は荒魂様のお名前を思い出すことはないのですか?」


「ああ、無理だろうな。私は不完全だ。だが、思い出したとしても、荒魂に名前を教えるつもりはない。封印を解くわけにはいかないのだ。大切な人と約束したから」


「大切な方?」


 私が首を傾げると、横から荒魂様が「未咲のことだ」と口を挟んだ。


「今のところ、残月は俺よりも記憶の欠落がひどいようだな。その内、欠けた月どころか新月になってしまうぞ」


「そうか……未咲だ!」


 荒魂様の言葉を無視して、残月様が膝を打った。雲の合間から月が顔を覗かせたように、表情が生き生きとする。


「そうかそうか……。未咲、未咲……」


 残月様は一人の世界に入り込んでぶつぶつと何事かを呟き始めた。もしかして、何かを思い出したんだろうか?


「花嫁がすぐ傍にいるのに、ほかの女人のことばかり口にしているのはどうかと思うぞ」


 荒魂様がたしなめる。けれど、私は別に嫌な気持ちにはなっていなかったので、「構いませんよ」と言った。


「私、未咲様のことは嫌いになれないのです。他人のように思えないと言いますか……。残月様が未咲様を大切だと言う度、私も大事にされているような気がするのですよ。……なんだか変ですよね。会ったこともない方なのに」


 あることを思いつき、私は粘土板に視線を落とした。


「『みさき』という名前は、どんな文字を使って現わすのですか?」


 どうしてそんなことが気になったのか分からないけれど、何となく知りたくなってしまったのだ。


 荒魂様が空中に「未咲」と描く。


「そうそう。確かこんな字だったな……」


 左隣から声がした。考えに没頭していた残月様が、顔を上げて空中の文字を見ている。


「未だ咲かず。だからこそ、これから何を咲かせるのか楽しみな者……」


 残月様が呟く。私は少し驚いてしまった。


「どうして文字を見ただけで、そんなことまで分かるのですか?」

「文字には一語一語、意味があるからだ」


 荒魂様が粘土板を指しながら言った。


「『未』は『まだ』。『咲』には、『花が開く』という意味がある。だから、文字を見ただけでその言葉が何を示しているか分かるんだ」


「まあ、便利ですね!」


 目を見開く私の脳裏に、神域の住民の名前を聞いて回った時の記憶が蘇ってくる。


 ――雪のように真っ白な肌の美しい娘になるようにと思って、小雪と名づけたとか。


 ――(たける)。これは強い者を現わす字なんだよ。


 ――『お前も土器で長い壁を作れるくらいの名人になりなさい』ってことでこんな名前になりました。


 そうだわ……。皆の名前には、「こういうふうになってほしい」「こんな未来を迎えてもらいたい」という想いが込められていた。


 つまり、名前というのは、ただ個人を識別するための記号ではないんだわ。名で表現されているのは祈り。名前は未来への希望を現わしたものなんだ。


「少し分かった気がします」


 私は胸に手を当て、この発見を噛みしめるように大きく頷いた。


「名前をつける上で大切なのは、その名にどんな願いを込めるか。自分がどういう人になりたいかということなのでしょうね」


 では、私の場合はどうなの?


 目を閉じて考える。けれど、色々な想いが泡のように頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返して、なかなかはっきりとした形を取らない。


「それだけ分かったら充分だ」


 いつの間にか眉間にシワを寄せていたのか、残月様が私の眉と眉の間に指を当ててぐいっと肌を引き伸ばす。


「まれびとは名前探しで一番重要なことに気づいた。そうなったら、あとはもう簡単だ」


 荒魂様も優しい言葉をかけてくれる。


 ……そうね。まだ焦るような時期じゃないわ。期限まであと七日。私が消えてしまうまでには、この発見が必ず実を結ぶはず。


 ふたりの夫を見ている内に、そんな自信が湧いてくる。大丈夫。私なら絶対にやれる。というよりも、やってみせる。


 私は再び粘土板に視線を落とし、気になる文字を探す作業に戻ることにした。

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