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名もなき供物の幸せな神隠し  作者: 三羽高明


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千客万来(2/2)

「やはりダメだな。封印された身では、最大限の力が発揮できない。本来なら死人(しびと)だけではなく、あんな物の怪など一撃でどうにでもできるのだが……」


「死人に物の怪……?」


(かく)()の住民だ」


 荒魂様は馬のほうを覗き見ながら言った。


「まったく、なぜ奴らがこんなところにいる? ……いや。俺のせいか」


 荒魂様は苦々しげに言った。


「神域に怪しい者が入ってこないようにするのは俺の務め。だというのに、妻を(めと)って幸せボケしていたのかもしれない」


「本当にそれだけでしょうか?」


 確か、あの死人は何かを言っていた気がする。


 けれど、私は突然現われた異形の人間が怖くて、ほとんど話を聞いていなかったのだ。彼に話しかけられた時のことを思い出し、鳥肌を立てる。


「そう怯えるな、まれびと」


 荒魂様が慰めるように言った。


「生者が死者を恐れるのは当然のことだ。だが、必要以上に怖がることはない。隠り世には、亡者や物の怪といった姿形が奇怪なものが住んでいるが、悪さをするのはその中の一部だけ。大部分は隠り世の王の下で、平和的に暮らしている連中だ。人間にもいい奴と悪い奴がいるのと同じだな」


「……神様にも、荒魂と和魂があるように、ですか?」


「そのとおり。まれびとは賢いな」


 荒魂様が満足そうに頷いた。


「それに、我々が普段から使っている霊力は、元は隠り世由来の力なんだぞ? 隠り世の王と契約して、時がたてばあの国の住民となる代わりに力を使わせてもらっているんだ。そういう背景があると思うと、少し親近感が湧かないか?」


「そう……でしょうか。……でも私、あの馬にだけは一生かかっても親近感など持てそうにありません」


 物陰から覗いていた私と馬の目が合った。といっても、馬には瞳はなく、本来なら目のあるところに異様な光が宿った気がしたので、そう見えただけなのだが。


 怒りをたぎらせながら馬がこちらに走ってくる。荒魂様は、「あそこに登るんだ!」と近くの木を指差した。


 幸いにも、村にいた頃は木の実の収穫するために何度も木に登った経験がある。私は上等な服が破れるのも構わず、枝を伝って必死で上を目指した。


「……っ!」


 いきなりぐらりと体が揺れて、私はとっさに木の幹にへばりつく。ひょっとして、枝が折れてしまったの!?


 と思ったら、馬が木に体当たりしていた。もう死んでいるからなのか、どれだけ激しくぶつかっても、馬はちっとも痛そうにしない。


「おい、やめろ! まれびとが落ちて怪我をしたらどうするつもりだ!」


 荒魂様が声を荒げて止めようとするが、馬は聞く耳を持たなかった。それならばと、荒魂様が翡翠のかんざしを構える。


「残月の名において命じる。魔を払え」


 吹き渡る清涼な風を、馬は飛び上がって難なくかわし、少し離れた場所へ着地した。木への攻撃がやんで、私はほっとする。


 馬が蹄で地面を掻いた。馬と荒魂様は互いに怖い顔で睨み合う。荒魂様が腹立たしそうな声を出した。


「まったく……どうして俺たちばかり狙うんだ」


「……荒魂様がその馬の乗り手を消してしまったからでは?」


「消したわけではない。亡者はすでに死んでいるから再び殺すのは無理だ。ただ元いた場所へ……隠り世へ送り返しただけだ。……だが、この馬はそれが気に食わなかったようだな」


 馬が高い声でいななく。なかなか賢いらしく、荒魂様が「残月様の名において……」と唱え始めると、霊力の影響を受けなくて済むように再び距離を取った。


「このまま木の上にいるのは危険だな。……まれびと、登ってほしいと言った手前申し訳ないが、降りてきてくれないか?」


「はい」


 私は枝を伝って下へ戻る。地上では荒魂様が周囲を警戒しているので、今のところ馬が突進してくる気配はなかった。


「そういえば、荒魂様は残月様の名前で霊力を使うのですね」


 ふと疑問に思って尋ねる。荒魂様は苦笑した。


「暴れ馬を前にして気にすることがそれなのか? あなたは肝が据わっているな」


「荒魂様の花嫁ですから」


「それもそうか。神域の民が霊力を使うには、名をもって命じる必要があるんだ。だが、俺の名前は奪われてしまった。だから、代わりに残月のものを使っている。俺は残月でもあるからな」


「なるほど……」


「しかし、(うつ)()では、また事情が違うとか。彼らは血によって霊力の使用者を限定しているらしい。神域でもそうなら良かったのにな。封印されている影響もあるが、残月の名前ではまともに力が使えない。止まっている相手ならともかく、動いている馬に攻撃を当てるのは今の俺には無理だ」


「止まっている馬には当てられない……」


 地面に降りる直前で、私は足を止める。そして、もう一度木登りを始めた。荒魂様が「何をしている?」と(いぶか)しむ。


「早く降りてこないと危ないぞ。また馬が木を攻撃したらどうするんだ」

「攻撃してもらうために木に登るのですよ」

「……何だって?」


 荒魂様は目を見開いた。


「私に考えがあります。この場は任せていただけませんか?」

「……危ないことはしないよな?」

「……少しはするかもしれません」

「まれびと!」

「大丈夫です。怪我はしないように気をつけますから」


 私は説得にかかったけれど、荒魂様は渋い顔だ。それだけ私のことを大切に思ってくれているのだろう。


 その気遣いは嬉しかったものの、あの馬を放置しておくことはできなかった。このまま暴走が続いたら、住民に被害が出るかもしれないもの。今の内に何とかするべきだ。


「荒魂様には神域を守る役目もあるのでしょう? でしたら、あなたの花嫁である私がそれに協力しないわけにはいかないではありませんか」


「そう言われてしまうとな……」


「私なら平気です。きっとあの馬を止めてみせます!」


 私は胸の前で握りこぶしを作る。荒魂様はまだ不安げな顔をしていたけれど、渋々といった様子で後ろに下がった。どうやら私を信じることにしてくれたらしい。私は少し誇らしい気分になる。


 荒魂様が退いた瞬間を見計らって、馬がこちらに走ってきた。今度の一撃は強烈だ。馬に体当たりされ、木が大きく揺れる。


 でも、今回の私は冷静だった。馬が真下にやって来たのを確認すると、ためらわずに木の枝から身を躍らせる。


 そして、馬の背に飛び乗った。着陸地点の狙いを外さないように、わざわざ低い枝の上で待機していたのだ。


 突然背中に衝撃が走り、馬は興奮状態になった。後ろ足で立ち上がり、危うく振り落とされそうになる。私は蜘蛛のように手足をぴたりと密着させて、馬の背中にへばりついた。


 手探りで手綱を取り、姿勢を立て直す。


「どうどう!」


 私は思いきり手綱を引いた。「なるほど!」と荒魂様が感嘆する。


「乗り手がいれば馬も落ち着くかもしれないな! それにしても、まれびとは乗馬ができるのか。すごいじゃないか」


「いいえ、今回が初めてです」


「……何だって?」


「でも、立波村の首長たちは簡単そうに乗りこなしていました。だから私にも……」


 できるはずです、と言いかけたけれど、馬が急速に駆け出したものだから、私は舌を噛みそうになった。手綱を強く引いても止まらない。思わず悲鳴を上げる。


「な、なんで!? どうして!? 止まってちょうだいよ!」


 ……あっ、こんなところに(むち)があるわ! これで馬のお尻をピシリと叩いたら、言うことを聞くんじゃないかしら? 相手が奴婢だったら、この方法で絶対に命令に従うもの!


 私は馬の胴体に紐で固定されていた袋から笞を取り出し、馬のお尻を軽く叩いた。すると、馬は火がついたようにいななき、ますます加速する。……ええっ、どうして!?


「まれびと! どこまで行くつもりなんだ!?」


 後ろからは荒魂様が全力疾走で追いかけてくる。でも、馬が相手では分が悪い。両者の距離は徐々に離れていく。


「ひゃあっ!」


 いきなり冷たい水が降ってきて、私はびしょ濡れになってしまった。館の敷地内にある池に馬が突っ込んだのだ。


 馬はずんずんと進んでいく。一方の私は、落馬しないように必死だった。


 ああ、岸辺で荒魂様が途方に暮れているわ……。


 ……そうだ!


「荒魂様! 氷です! 池を凍らせてください!」


「……今度は何をするつもりなんだ?」


「今回は大丈夫です! さあ、早く! この馬の周りだけでいいから!」


「……まったく、俺の花嫁はどうしてこうもとんでもないことばかり言い出すんだ? ……残月の名において命じる。池よ、凍れ!」


 不意に辺りが冷気に包まれたかと思うと、足元からパリパリと音がした。私は慌てて水に浸けていた足を引っ込める。


 馬も異変に気づいたらしい。進行方向を変えようとした。


 だが、手遅れだ。


 すでに四方は分厚い氷に囲まれ、馬は身動きが取れなくなっていた。私が近くの氷の上に飛び乗るのと同時に、荒魂様が叫んだ。


「残月の名において命じる! 魔を払え!」


 涼やかな風が馬に直撃し、物の怪は隠り世へ帰っていった。私ははあ、と息を吐き出す。一件落着だ。


 荒魂様が氷で道を作ってくれ、私はその上を歩いて無事に池から脱出した。岸で待っていた荒魂様は額を押さえている。


「まれびと……色々と言いたいことがあるんだが……」

「……はい」

「あなたはなんて勇敢なんだ!」

「……え?」


 てっきりお説教されると思っていたのに、荒魂様は熱い賞賛の言葉を投げかけてきた。彼の金の瞳には強い輝きが浮かんでいる。


「身の危険を顧みずに敵に向かっていくその姿、まるで歴戦の武人のようだったぞ! それに、初めの作戦が上手くいかなくても、すぐに次の策に切り替える頭の回転の速さにも舌を巻いた! 最後まで戦うことを諦めない姿勢はまさに荒魂の花嫁に相応しいといえるな……!」


「ええと……私を叱らないのですか?」


「あまり危ないことをしてほしくなかったのは事実だ。これが残月なら長々と説教をしていたことだろう。だが、俺は荒魂。俺はあなたを叱るよりもまず、その勇気をたたえたいんだ」


 荒魂様が膝を折って、私の唇に自分の口をつけた。お馴染みの、「触れられない触れ合い」だ。


 随分と心配をかけたはずだし、作戦は詰めが甘かったかも……と思っていただけに、荒魂様がこんなふうに褒めてくれて、気持ちが上向きに戻ってきた。


 私は荒魂様の花嫁として相応しい資質を持っている。そんな自信の種が胸の中に植えつけられたような気がした。


「その勇姿、いつまでも留めておきたいが体は清めておかないとな」


 荒魂様がまだ興奮が抜けきらない口調で言った。


「湯の準備をさせよう。特に今回は隠り世の者と接触したんだ。みそぎは必須だな」


 この神域では、びっくりするくらいの頻度でみそぎをさせられる。まずは、朝起きてからみそぎ。昼間も必要とあらばみそぎ。そして、夜寝る前にもみそぎ。まるで水浴びでもするような感覚で湯を使うのだ。


 神様は穢れを嫌うものだし、ここは神域なのだからそれが普通なのかもしれないが、村では祭祀(さいし)の時くらいしか体を念入りに清めたりはしなかったので、この習慣にはまだまだ慣れそうもない。


 けれど、今回ばかりは私も入念に体を洗っておきたい気分だった。馬と戦っている内に、体中土まみれになっていたし、池に入ったせいで服が濡れて気持ちが悪かったのだ。


「荒魂、ここにいたのか!」


 遠くから声がした。見れば、残月様がこちらへ走ってくるところだった。


「一体何があったのだ! 暴れ馬が出たとかで、館中が大混乱に陥っているぞ!」

「ほら、早速お説教だ。……逃げるぞ、まれびと」

「私もですか!?」

「撤退はいつだって最上の策だからな」


 言うが早いか、荒魂様は風のように走り出す。


 ええと……私は残月様の妻だけど、荒魂様の花嫁でもあるから……。こういう時は、どちらの夫に従うか、自由に選んでもいいわよね?


 最上策を選択した私は、荒魂様のあとに続いて駆け出した。

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