その5.動き出す音
【登場人物紹介】
藤 知日路[ふじ・ちひろ]:公立古港高等学校の二年生。伝統楽器研究部部長。
静波 乃愛[しずなみ・のあ]:同二年生。同部副部長。知日路の親友。
廿梠木 漆[とどろき・うるし]:転校生。二年生。伝楽部に入部。
有衛 爽雨[ありえ・そう]:同一年生。同部部員。知日路の中学からの後輩。
鍋形 凪々帆[なべがた・ななほ]:同一年生・同部部員。爽雨とはクラスメイト。
【前回までのあらすじ】
廃部寸前の古港高等学校、伝統楽器研究部に所属する5人の女子生徒たち。
部の再興のためバンドネオンという楽器を中心にした演奏会を計画する。
その中で知日路の親友である乃愛が、転校生の漆を好きだと相談する。
自分の気持ちがわからないまま二人の関係が近づくことに不安を感じてしまう知日路に、後輩の爽雨が「自分が守る」と近づく。
曖昧なまま進めてきた関係が、漆が「乃愛のことを好きになりかけている」と言ったことで知日路が涙をこぼし少しずつ崩れ始めた。
普段は自分の感情を直接的な行動に表すことは滅多にしない爽雨が、こんなふうに自分を連れ去っていったということに知日路はとても驚いていた。あまりにも驚きすぎて、ついさっき止められずにあふれていた涙もすっかり乾いてしまった。
「爽雨ちゃん! どうしたの? 爽雨ちゃん」
校舎裏から構内に入り、人気の少ない特別教室棟の方に向かう爽雨に向かって知日路は必死に呼びかけた。
しばらく何も言わずにずんずんと進んでいった爽雨だったが、周囲に誰もいない非常口の近くにまで来て止まり知日路に向き合って手を放した。
「すみません。さっき、廊下を歩いていたら先輩たちがグラウンドの方に向かっていくのが見えて。話しかけようと思って近づいたら知日路先輩が泣き出したのが見えたのでつい飛び出してしまいました。
確かに、爽雨たち一年生のクラスの廊下からはグラウンド前がちょうど見下ろせる位置にある。
「何を話していたんですか?」
「何って、部活のことよ。いつもと同じ……」
「どうして泣いていたんですか?」
会話から話の詳しい内容は聞かれなかったらしいことがわかり少しだけ安心をしたものの、強めに問い詰められた知日路はどこまで言うべきだろうかと悩んだ。
答えを出すことができずにただ黙ったままでいる知日路に対して、爽雨は悔しそうに顔をしかめて俯いた。
「…………いつか、こうなるんじゃないかと思ってたんです」
「えっ?」
「漆先輩は、知日路先輩を傷つけるようなことをするんじゃないかって私は前から思ってました」
「漆が? どうして? 漆は本当に優しいのに」
以前に一緒にでかけたときから爽雨が漆のことをあまりよく思っていないことはわかっていたが、そこまで評価が低かったとは。
知日路が”部長として”これは解決しなくてはいけないと直感的に思い、漆の部活動への貢献度を思いつくまま並べて挙げるがそんなことは爽雨にとってはどうでもよいことらしかった。
「理屈じゃないんです。私だって伝楽部で漆先輩が大切な役割をしていたり、責任をもって行動していることはわかっています。でもそういうことじゃないんです。…………うまく説明できそうになかったんで今まで言えませんでした。でもなんとなく、いつかきっと漆先輩は知日路先輩を深く傷つける存在になるんじゃないかって、そんな気がしてました」
吐き出すように言う爽雨に知日路は何も言わなかった。
最初から漆に対してなんとなくよくない気持ちがあったからそういう予感を持ったのか、それとも逆に予感があったから普段の態度がよそよそしくなっていたのかはわからない。
でも自分の気持にまっすぐ正直に生きている爽雨だからこそ、その言葉が思いつきではなくずっと思っていたことなのだろうことが知日路にはわかった。
「ありがとう、爽雨ちゃん。でもね、泣いちゃったのは本当に私一人の責任なの。漆は全然関係ないわ」
「先輩……」
「自分ではそんなつもりもなかったけど、きっと気持ちを張り詰めていたのね。それでテストが終わって、緊張の糸が切れたところで不意に漆に優しい言葉をかけられたものだから、つい気持ちが弱くなってしまったっていうか。その程度のことなのよ」
爽雨は全く納得できていない様子だったので、知日路は一歩自分から前に出てそっとその肩に抱きついた。ぎゅっと、ぶら下がるように首元にしがみつくと軽く触れた相手の頬がカアッと熱くなったのを感じられた。
「もう大丈夫。爽雨ちゃんがいてくれて、自分の気持を落ち着けることもできたわ」
「そ、そうですか。よかったです」
そうしているうちに爽雨の肩から力が抜けて、知日路はそっと身体を放した。間近に見た爽雨の顔は、どこか名残惜しいというか身体が離れたことを残念がっているように見えてとてもかわいらしかった。
「もし、また私が急に気持ちが弱くなっちゃったりしたら。その時は爽雨ちゃん、慰めてくれる?」
「! もっ、もちろんです!」
言いながら、知日路は自分はずるいと思っていた。
自分を慕ってくれる爽雨のことは憎からず思っているし、優しくしてもらえるのは本当に嬉しい。先輩後輩の立場は逆であっても、こうして頼りになる友人ができたことを満足に思わないわけがない。
だけども、私は誠実ではないことをしているのではないだろうか、と。
知日路は自分の心の中の闇が一層深くなったような、そんな気がしてして仕方なかった。
*****
それから数日して、中間テストの結果が戻ってきた。
ほんのちょっとだけ知日路は心配をしていたものの、乃愛もなんとか赤点はなくそこそこの成績。練習に相当時間を費やしていた爽雨もなんだかんだ言ってクラスで10番台になるくらいの点数はとれていた。
予想通りだったのは知日路と凪々帆で、こちらは学年でも5位以内に入る成績。そして最も予想外、いやある意味予想どおりだったのが漆でいきなり学年のトップをとってしまっていた。
「前の学校は中高一貫の私立校だったから授業の進行が公立校よりも早かったの」
と漆は言うものの、一応は古港高等学校はこの地域ではトップレベルの進学校として知られているので、それをいきなり来て学年で一位をとるというのは都会と田舎の違いという一般論だけの問題ではないだろう。
ともあれまた普段の生活が戻ってきて、伝楽部の5人は練習に打ち込む日々が続いた。
そんないつものある日にいつもではない連絡が届く。
朝から雨の降る天気の下、お昼休みに部室に5人は集まって昼食をとっていた。ここ最近は昼は部室でミーティングをしたり軽く音合わせをしたりということが通例になっていた。
「ね、凪々帆っていつもなんか読んでるよね。どんな本が好きなの?」
自分の食事をさっさと終えて手元の文庫本を開いた凪々帆に隣にいた乃愛が声をかけた。
「特にこれってこだわってるジャンルはないですね~。あ、最近は勉強を兼ねて近代の日本文学の小説をよく読んでます」
「近代文学って、太宰とか芥川とかそのへん?」
「そうです。よく知ってますね」
「ねえ、今ちょっとバカにして返事したでしょ?」
本からほとんど目を離さずにそう言った凪々帆に乃愛がうざ絡みをしていく。
楽しそうなその会話に知日路は間に入っていった。
「今練習している曲もそうした時期に流行したものが多いものね。何か参考になりそうな描写があれば私も読んでみたいわ。ねえ、凪々帆ちゃん。その手にしている本はどんな本?」
「これですか? 坂口安吾です。なかなか興味深いですよ」
「ちょっとーっ! 知日路に対する態度が私と違うくない?」
そんなふうに盛り上がりつつあったところで、急に部室の扉がノックされた。一番近い席にいた爽雨が立ち上がって開くと、そこには知日路たちと同じクラスの女子生徒の一人が立っていた。
「あ、やっぱここにいた。知日路、小阪先生が探してたよ」
「小坂先生が? 私? うん、わかった」
小阪先生というのは名目上のこの伝統楽器研究部の顧問となっている先生だ。まだ若い女性の教師だけれども、この学校のOGということもあって学内外の活動についてはかなり熱心に相談になってくれる存在である。
自分だけを呼び出すということはおそらくは部活動についてのことだと知日路は予想はしていたが、呼び出された用事は全くもって意外すぎる内容だった。
「ほ、本当ですか?!」
「ええ。今回、演奏会でバンドネオンを使うことを先日の研修会でお話したところ、先方からぜひにと言われたんです」
そう言うと、小阪先生は職員室の机から一枚のクリアファイルを取り出した。中にはある音楽会のフライヤーと一通の手紙が入れられていた。
「ただね、ちょっと考えてもらいたいことがあって」
先生からの言葉を聞きながら知日路は受け取ったクリアファイルの中でバンドネオンを膝に乗せてスポットライトを浴びている一人の女性の姿を見つめていた。
漆とあの日一緒に演奏をしたときから、何かのトリガーが引かれたように自分の周りの空気が次々に動き出していると思うと高揚する気持ちを止められなかった。
*****
「演奏会?!」
戻ってきた知日路がテーブルの上にもらってきたチラシを置くと、ぴったりとハモリながら4人は声を上げた。
「さすが創立100年の名門校ね。こういうネットワークはさすがだわ」
そう言って肩をすくめたのは漆だった。
小坂先生から聞いた内容と受け取った手紙の内容をまとめると以下の通りになる。
先生が研修会で会った別のOGに部の活動や現状について説明をしたところ、そこから同窓会を通じてかつて伝統楽器研究部に所属していた者に情報が伝わった。
その中に現在バンドネオン奏者として本場南米や各国でライブ活動を行っている人がいて、非常に大きな興味を持った。
伝統楽器研究部の支援と、バンドネオンという日本ではかなり珍しい楽器を使う学生がいるならぜひとも応援したいということで、近々日本国内で行う公演に招待をしたい。
だからチケットを送るので、ぜひとも演奏会とそのあとの懇親会に参加をしてほしい、と。
「招待って、随分太っ腹だね~大先輩」
「ええ。貴重なお話も聞けそうだし、ぜひとも参加はさせてもらいたいと思うわ。ただ」
と、知日路は言葉を切った。この先が一番問題となることだ。
「チケットと、先方までの交通費や宿泊場所は2人分となっているの」
その場にいる5人は顔を見合わせた。
2人だけ、ということは実際にバンドネオンを演奏し、かつ部の代表者である知日路は当然に参加するとして、残りはあと一人。
「演奏会だけならみんなで自費で行くということも考えられるけれども、その後に懇親会もあるそうだし。あ、もちろん演奏会だけみんなで参加して懇親会は二人だけ参加ということもできるわよね。ただその場合、先に帰るか別のところに宿泊をするか計画をしないといけないから」
乃愛がさっと手を挙げた。
「でもさ、客席の様子は見えるだろうし。2人招待したのに5人でウロウロしてたらあちらも気を使うことになるよね。押しかけたみたいにならない?」
「そうですね~。かといってこちらから『部員は5人なので5人分チケットください』なんていうのはちょっと図々しいですし」
凪々帆が乃愛の意見を補足するように言う。
うーん、と場のみんなは腕を組んで考えだした。膠着状態の空気を破るように知日路は言う。
「もし、5人で参加した方がいいということならこの話自体を遠慮するということもできるのよ。私も一部の部員だけが特別な扱いを受けるというのはちょっと問題あると思うし……」
「そんなことありません!」
バン! と、机を叩いて立ち上がったのはそれまで黙っていた爽雨だった。
爽雨はまっすぐに知日路を見て言う。
「知日路先輩は、部長として私達を必死にまとめてくれているのに大事なところでいつも後ろに下がってしまいます。そうじゃなくて、私はもっと知日路先輩には部長としてどんどん前に出ていってもらいたいんです」
この演奏会を決める前までがずっとそうだった。
知日路は自分のやりたいことや考えなんかを後ろに隠し、みんなの調和であったり部としてのしきたりやメンツといったものを優先しつづけてきたのだ。
そのことをずっと見てきた爽雨はよく知っていたし、乃愛にしろ凪々帆にしろ漆にしろそうではないことを知日路が選択してももとより反対する気持ちなどなかった。
「ありがとう。爽雨ちゃん、みんな………じゃあ、乃愛? 一緒に行く?」
順当に考えれば、この中で一番長く部に在籍しているのは乃愛だし副部長でもある。二人の招待に知日路と乃愛で行くのが自然な流れだろう。
「ん…………でも。私は、私じゃなくて」
喜んで同行を了承すると思っていた乃愛が、指名に対して声を潜めてちらりと横を見やる。
「漆が一緒に行く方がいいんじゃないかなって思うんだけど」
「はぁ?! 私? わ、私はこの中で一番新参者だし、よそ者でしょ?」
「それだよ! それ」
突然の名指しに驚いた漆に畳み掛けるように乃愛が続けた。
「漆はそれ、いつも言うよね。自分のことをよそ者だとか、外から来た人間だとか。そんなのもう気にすることじゃなくない?」
「でも……。私は実際にこの学校とか地域のこととかよくわからないんだし」
「わかってても、わかってなくても。もう漆はこの学校のこの部にいるんだし、全然『よその人』じゃないよ!」
しん、と場の空気が張り詰める。
そこでふうと息をついたのは凪々帆だった。
「漆先輩、あちらの交通事情に詳しいですよね。電車の乗り方とかそういうの」
「え? まあ、そうね。あちらでは毎日使っていたわけだし」
「知日路先輩が迷子にならないようにってことで、お付きの人になってあげたらどうでしょう」
ん、と漆はしばらく考えていた。そこで予鈴が鳴り、制限時間の終わりが迫ってきた。
「本当に、いいの? 私が知日路についていって」
「もちろんだよ! ね? 爽雨、凪々帆。知日路」
誰も反対しなかった。知日路は漆の方をじっと見て、手を差し伸べた。
「私からもお願いするわ。漆、ぜひ一緒に演奏会についてきて頂戴」
「……うん。こちらこそ」
外はまだ雨が降り続いていて、遠くの方でかすかに雷が鳴る音も聞こえていた。




