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第1話 風、来たる…

七月も終わりに近づいた頃。

夏休みを目前に控えた教室の空気は、どこか浮ついていた。

期末テストも終わり、あとは終業式を待つばかり……そんなタイミングで、転校生がやってきた。


「風見瑠璃さんです。夏の間だけ、うちの学校に通うことになりました。皆さん、よろしくお願いしますね」


担任の岡本先生がそう紹介したとき、僕を含めたクラス全体が「えっ」という感じでざわめいた。

今から転校してくるなんて、ちょっと珍しい。しかも「夏の間だけ」と言われると、何か事情があるのかなと勘ぐりたくなる。


彼女は、名前のとおりどこか風に似ていた。

静かで、でも確かにそこにいる。

さらっとした長い黒髪を後ろでまとめ、制服の袖をきちんと折ったその姿は、少し古風で、けれど妙に印象に残る子だった。


「……風見瑠璃です。よろしくお願いします」


声は小さかったけれど、はっきりと届いた。

それだけで、何となく“芯のある子だな”と僕は思った。


風見さんの席は、僕の二つ後ろ。

彼女は静かに座り、黒板を見つめたまま、何も喋らなかった。


その日一日、彼女はほとんど誰とも話さなかった。

昼休みにもひとりでお弁当を食べ、放課後も早々に姿を消していた。


(まあ、無理もないか)

いきなりこの時期に転校してきて、すぐに馴染めるわけがない。


ただ……

風見さんが教室に来た瞬間、廊下から入り込んだ風が、カーテンをひらりと揺らしたのを、僕はなぜかよく覚えている。


週末、僕は母に頼まれて、街の外れにある親戚の温泉旅館へ荷物を届けに行った。

「清水屋」といって、このあたりでは一番古くて大きな旅館だ。

叔母――母の姉が女将をしていて、子どもの頃はよく夏休みに泊まりに来たけれど、最近はほとんど顔を出していなかった。


帳場で声をかけると、奥から誰かの気配がした。


「いらっしゃいませ……あっ」


姿を現したのは、まさかの風見さんだった。


浴衣にエプロン、手には木製の盆。

僕の知っている制服姿とはまるで違っていて、一瞬、誰だかわからなかったほどだ。


「……風見さん、だよね?」


「うん。びっくりした。まさか、同じ学校の人にここで会うなんて」


彼女は小さく笑った。

その笑顔が、教室で見るより少しだけ柔らかく見えたのは、照明の加減だけじゃないと思う。


「僕、この旅館の親戚なんだ。今日、荷物を届けに来てて」


「そっか。私、ここの舞台で芝居するために来てるの。……一応、旅芸人なの」


「旅芸人?」


僕が驚いて聞き返すと、彼女はほんの少し恥ずかしそうにうなずいた。


「夏の間だけ、この旅館でお芝居するの。昼は少し仲居の手伝いもしてるけど、本当は……夜の舞台が本番」


「……すごいね。まさか、そういう人だったなんて」


「ふふ。変わってるよね。自分でも、ちょっと不思議な人生だなって思うの」


ふいに、奥から女将――叔母が顔を出した。


「まあ、ちょうど良かった。圭人けいとも手が空いてるなら、少しだけお手伝いしていってくれる?」


「えっ、僕も?」


「ちょうど人手が足りないのよ。風見さん、案内お願いできる?」


「はい、喜んで」


彼女はそう言って、僕に軽く会釈をした。

その仕草は、教室の誰よりも大人びていて、それでいて、どこか演技のようにも見えた。


不思議と胸の奥に、風が吹いた気がした……


こうして、僕と彼女の“夏”が始まった。





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