7.明けない夜のはじまり(李世仁の寄稿)
電力・エネルギー担当の李世仁です。石橋さんからバトンをもらいました。
「ギリギリまで奔走した」と石橋さんは書いていますけど、実は出来ることはそんなに多くなかったんです。
フライホイールやその他の蓄電池のリストアップと残量の確認。あっという間に終わりました。
あとは、やるべき作業の内容と手順を決めて、各担当者に伝えること。それから、かかる時間の見積り。蓄電可能容量の計算。ここまで二時間もかかりませんでした。
そこまで終えたところで、わかったこと。
① 砂嵐が来るまでの間に全ての蓄電池を満充電にすること。→これは多少の余裕をもって可能。
② 全ての蓄電池を満充電にした電力で、コロニーを二週間稼働できるか。→3日分足りない!
このままでは大変なことになります。
そこで、燃料電池の数と発電能力を確認しました。あと水素と酸素のタンクの容量と残量の確認。蓄電池への充電が終わったあとは、残りの日照時間を使って水を電気分解し、水素と酸素を作ることにしたのです。石橋さんが書いているように、エネルギーを半分近く捨てることになりますが仕方ありません。また、万が一の場合は、居住スペースの呼吸用の酸素としても利用できると考えました。
そのあと、午後の半日を使って作ったのは、節電計画。
空気製造と循環、上下水の処理などの生命維持系を最優先にして、照明や空調などは出来る限り出力を落としました。悩ましかったのは研究施設。食糧は地球からの持ち込み分で充分賄える量があったため、食糧生産部に話をして、野菜の試験栽培を始めていたファイトトロンは電源を落とすことにしました。
担当のクリステンセンさん、わかったと言いながら涙を浮かべてました。でも仕方ありません。
出来上がった節電計画は、各部に通知した上で、その日のうちに電力マネジメントのプログラムに書き込みました。色々文句を言われるかなと思っていたのですが、文句を言う人は誰もいませんでした。事の重大さと危機感が、コロニー内で等しく共有された結果だったのだと思います。
そして、準備が終わり、節電開始。ほどなく、石橋さんの言う「明けない夜」が来ました。
私はその時、以前カウンセリングでアルフォンソ医師に言われた言葉を思い出していました。
長い間狭い場所に閉じこめられていると、
ひとは君が思っているよりも簡単に、
狂うんだよ。
我々は、狂うことなく朝を迎えられるんだろうか?そう思いました。
そして、ちょうどその時、我々はあるイベントを計画していました。
節電はもちろん大事。でも、このイベントは、皆、中止にしたくなかった。
何故かって、それは、この嵐がコロニーに最悪の事態をもたらす可能性が、まだ残っていたから。だからやらずに悔いを残したくはない。
それは、誰しも一生に一度のこと。いろんな事情があって、地球ではなくここで行うことになったそれは、結婚式。
次は、この結婚式の当事者だったフローレス夫妻に。お二人とも書いてくださいね。