2.火星に有人機が飛んだ日(蜜柑山 博の寄稿)
アルフォンソ医師から妙なメールが来た。
何か書けだって?
彼は優秀な医師で尊敬すべき人格者なのだが、時々子供みたいないたずらをしたりする困った人でもある。まあ今回のはいたずらではないようだが。
さて、何を書こうか。
そうだ、あれがいい。
火星初の飛行機の有人飛行。但し非公式の。
この話というか事件の発端が、実は僕が作ったおもちゃの飛行機なのだ。
◇
去年の今頃、僕は少々煮詰まっていた。
今あるコロニーは、規模の小さな溶岩洞窟を利用した試験施工的なもので、本施工の大きなコロニーを造る予定の溶岩洞窟は、これより規模がだいぶ大きい。ところが、この溶岩洞窟には、一部土被り(いや岩被りか)の薄いところがあって、ここの強度が十分かどうかを検証したい。しかし、どうやって検証するか、その方法で悩んでいた。
厄介なのは、ここが昔の溶岩流で出来ているということだ。溶岩は冷え固まる時に縮んで縦方向にヒビが入る。柱状節理というやつだ。溶岩の層が十分に厚ければ問題ないが、薄い場合は、内圧を掛けた際に天井が割れる可能性を考えなければならない。
行き詰まった僕は、一旦現実逃避することにした。これはアルフォンソ医師のアドバイスに従ってのことでもある。そう、決してサボりではないんだって。
試作室へ行く。ここには色々な素材や工作機械、3Dプリンターなんかがあって、色々なものを作ることができる。まあ大きなものは無理だが、アイデアが出来たときにスケールモデルを作って検証したりするのに良く使われる。
アルミ板の端材と角材、おお、小さなボールベアリングもある。そうだあれ作って遊ぶか。
一時間程で出来たのは、妙な形の模型飛行機。主翼が水平方向を軸にして縦に回転するようになっており、両端はベアリングで支えてある。で、ベアリングの横にプーリーをつけて、ここに紐を巻いて、引っ張ると主翼が回転する。それを投げると、回転する主翼に風が当たることで揚力が発生し、ふわりと浮いて飛ぶ。
昔、僕が考案して、父親と一緒に作って飛ばしたんだよな。懐かしいな。
「何それ?」
突然、背後から声を掛けられた。
びっくりしたあ。
「失礼。モビリティ開発室のジャンポール オプロンと言います。その飛行機、貴方が作ったんですか?」
「ええ、子供の頃に作ったやつを思い出して作ってみたんですよ。変な飛行機でしょ?」
「そうですね、ははは。」
目が笑ってない。真剣な顔で僕の模型飛行機を見ている。
「それ、多分、モーターで駆動すれば外で飛びますよ。」
「外って、火星の薄い大気の中で、ってことですか?まさか。」
「まだ私の勘ですけど、上手く設計すれば、火星大気中で運用できる飛行機になります。」
「ええ?」
「共同開発しませんか?」
「ええええ?」
大変嬉しいお誘いなのだが、残念なことに僕は今ものすごく忙しい。
「そうですか、残念です。では、私が貴方のそのアイデアをお借りして、開発してみてもよろしいでしょうか?今、私、それを見て思いついたアイデアが幾つかあるのですよ。もちろん発表するときは貴方の名前も論文に入れます。」
「しかし、揚力を得るのにわざわざ動力を使うから電費が悪いし、抵抗が大きくてスピードも出せないでしょうから、実用機にはならないのでは?」
オプロン技師はこの質問を待っていたらしく、にっこり笑ってこう言ったのだ。
「地球ではそうかも知れません。でも火星の薄い大気の中で飛ばす場合は、動力を使ってでも揚力を大きくすることには意味がありますよ。それに、電費については既に実用化されているヘリコプター型ドローンよりもいいはずです。スピードもね。」
なるほど、そうか。
「わかりました。これ差し上げますから、好きに作ってください。」
「ありがとうございます。出来たら報告しますから、メールアドレス交換しましょう。」
さて、妙なことになった。でも面白いことになりそうだ。
って、とりあえず僕は仕事に戻ろうか。
◇
それから1か月くらい経ってから、オプロン技師からメールが来た。試作機の模型が出来たらしい。
モビリティ開発室を訪ねる。土木機械製作の相談で何回か来たことはあるが、航空機担当とはまだ仕事をしたことがない。
大きな台の上に、トンビくらいの大きさの模型が置かれていた。脇に立っているオプロン技師は、それはもう満面の笑顔で僕に手を振っている。
「これが試作機の模型です。どうですか!」
それは、飛行機には素人の僕が見ても、驚くべきものだった。
まず、固定翼がある(僕の作ったおもちゃの主翼は水平軸ローターだけで、固定翼はない)。その固定翼に長方形の穴を開けて、水平軸のローターが取り付けられている。これで水平軸ローター周りの空気を上下に分割して整流し、より大きな揚力を得るしくみらしい。もちろん固定翼自体も揚力を発生する。また、固定翼があることで、普通の飛行機のようにフラップ等を取り付けることが可能になる。その固定翼は後の方に伸びてそのままアーチ状の尾翼を形成する。プロペラは後ろだ。
全体の形は何かに似ている。そうだ、大きな蛾だ。翼の素材の薄い青の樹脂の色がオオミズアオを思い起こさせた。
「水平軸ローターがあるおかげで、翼長を短くできます。小回りも利きますよ。」
さすがは本職の作品である。僕のおもちゃとは比べ物にならない。固定翼のアイデアも素晴らしいものだ。
「これは飛ぶんですか?」
「まだ実機は飛ばしてませんが、シミュレーションではちゃんと飛びました。まあPCの画面上ですけどね。」
「そうですか、凄いな。」
これが火星の空を飛んだら、さぞかしきれいだろうな。そう思った。
「これからこれをスケールアップして、モーターと電池をつけて、外で飛ばすための試験機を作ります。」
「え?このサイズで作るんじゃないんですか。」
「最終的には、人や物を乗せてある程度の距離を飛べるくらいのものを目指します。」
「えええ?てっきりドローンだと思ってましたよ。」
「うちはモビリティ開発室ですよ。人の移動に使えるのが最終目標になりますから。では、出来たらまたご報告します。」
うーん、忙しい人だ。って人の事は言えないが。
◇
それからまた3か月くらい経った頃、オプロン技師からメールが来た。
外で飛ばせる試作機がようやく完成したそうだ。明日の昼実機を飛ばすので是非見に来てください、とある。
もちろん、「行きます!」と即答した。昼飯なんか喰っている場合ではない。
さて翌日の昼。急いで昼食を済ませたら、外出届を出して、与圧服を着て外に出る。
カメラも持ってきた。飛ぶところをスチルと動画で記録するつもりだ。
コロニーの出口から少し離れたところに、見覚えのある形の機体が置いてある。あれか。外は大きさを比較するものに乏しいので、遠くからでは大きさが良くわからない。機体の方へ歩いてゆくにつれ、機体がだんだんと大きく見えてくる。大きく…
ちょっと待って。
随分大きくないか。
さらに近寄ると、これはもう人が乗れるほど大きいサイズであることがわかる。
いや、サイズの問題だけではない。機体の前端に座席のようなものが2つついているのだが。スケールアップって、いきなり人が乗れるものを作ることだったの?
「ミカンヤマサン、待ってましたよ!」
機体の陰から出てきたのはオプロン技師である。こっちに向かって両手を振っている。この人の大袈裟なあいさつにも、ちょっと慣れてきた。
「これですか。」
「これです!」
「あの。」
「何か?」
「座席がついてるように見えるんですが。」
「そうです!スケールモデルの飛行試験のデータを解析した結果、問題なく人を乗せて飛ばすことができるという結果が出ました!もちろんこの機体も、ラジオコントロールで一度飛ばして試していますから大丈夫です。」
「一度…。」
うん、これはもう覚悟しようか。
風防だけで屋根のないコクピットに、与圧服のまま収まる。オプロン技師が操縦席、僕がコパイロット席に座り、ハーネスを締めて体を固定する。
その時ちらっと頭の片隅で考えはした。これは後でおこられるかもな、って。
まあ、いいさ。
オプロン技師が水平ローターを回す。回転が安定したら、次に後ろのプロペラを回す。
車輪のブレーキを解除すると、思ったよりもゆっくりと機体が滑走しはじめた。
最初は遅いが、すぐにスピードが乗ってくる。そして、僕が考えていたよりもだいぶ手前で、機体は火星のVermilionの空へ舞い上がった。
飛んだ。
僕はカメラを回した。
思っていたのと違う視点からの映像になったけど。
多分、火星における有人飛行機の初飛行である。
でも、正式な記録には残らない可能性が高そうだな。
◇
後日、やっぱり?という感じで、我々二人は、管理部に呼び出されてこってりと油を絞られた。
その後、それぞれの部署でまたお叱りを受けた。
安全性の確認がまだ充分にとれていない試験機に、いきなり人を乗せて飛ばすとは何事か、という訳である。ですよね。はい。
でも、少しだけオプロン技師を擁護させてもらうならば、火星で運用する航空機の安全基準なんてまだないのである。それともアメリカの耐空証明を取れとでも?私を乗せて飛ぶという判断には、彼なりの充分な安全性に関する裏付けがあったはずである。まあ第三者に証明できないんですけどね。
で、その後、試験飛行を繰り返して、充分な安全性が確認されたこの飛行機は、現在リモートセンシング用の無人機として活躍している。ヘリコプター型ドローンよりも、大きく重い測定機材を乗せて長い距離を飛べるところが評価された。
僕が悩んでいた溶岩洞窟の土被り問題も、この無人機を使って無事解決できた。
え?人を乗せて飛ばないのかって?
火星には、まだ「リトプス1」以外にコロニーはない。つまり人を乗せて飛ぶ用事自体がないのだ。
それに、飛行機だから、行った先にも滑走路がないと着陸できない。
そんなわけで、実用上の有人飛行は、まだ実現していないのである。
◇
次はオプロン技師にお願いします。