7.ルマティカ
■
この世界には神の遣いである聖獣がいて、人々の暮らしを守っている。
極稀に、聖獣様は地上に降りてきて、災害や病気に苦しむ人々に癒しを与えてくれると信じられている。
恋の種も、間違った相手と縁を結び苦しむ人々が多いことに心を痛めた聖獣が成した奇跡のひとつだと言われている。
その聖獣の血を授かった特別な人々が住まう国。
それがルキウスたちが住んでいるルマティカだ。
ルマティカの民はその血を受け継いだ聖獣様の御姿をとり、その存在を、いまに伝える者たちである。
「ルキウス・ノースです。お嬢さんであるリリカさんの恋の種のお相手として選ばれた栄誉に感謝します」
「ルキウス様のお目付け役としてこの度の外遊に同行しております。執事のマグでございます」
初めてみる人間ではない種……聖獣の血を引くと言われる国の住人を目の前にして、しがないパン屋を営む夫婦は固くなりきっていた。
「ルマティカ国は知ってます。聖獣の血を継ぐ特別な国だって教えられております。けど。でもずっと、遠い国のお話で、なんというかこう……神話かお伽噺の中の存在のようでして」
居心地悪そうに、リリカの父が、妻が淹れてきた薄い茶の味を気にしながら呟くように言った。
「あはは。我がルマティカでも、聖獣の血はもうかなり薄まっていると思いますけどね。ほら、だから私にもマグにも、耳と尻尾しか現われていませんし」
もふもふの耳をピコピコと動かされるのを目の当たりにして、「本物だ……」と呟いたのは、リリカの弟だった。
扉のない布で仕切られただけの部屋の入口の隙間から覗く幼い顔へ向かって、ルキウスがちいさく手を振る。しかし、さっと隠れられてしまった。
「この対応、微妙に胸にくるものがあるな」
ぐっと歯を食いしばり胸を押さえる。
「ルキウス様。今は、ご両親とのご挨拶に集中してください」
「あぁ、これは失礼」
お目付け役であるというマグから諭されて、あっさりと謝罪を口にするルキウスの姿に、リリカは緊張が解けた気がした。
「実は、私はすでに20才でして。恋の種を飲んで5年が経ちましたが、ずっと右肩に誰の姿も結ぶことが無かったのです。ただぼんやりとした光があるだけでした」
淡々と事実のみを告げたルキウスだったが、その場にいた者すべてから同情の視線が集まった。
稀に、すぐに相手の像が現れないことはある。
その際は、運命の相手が未成年の場合がほとんどだ。その相手が成人し恋の種を口にすれば、共にその右肩へ運命の相手が現れる。
しかし、極々稀にではあるが、何年も、時には死ぬまでずっと誰の像も結ばないことは、あるのだ。
自分の恋の種が誰の事も選ばない、誰にも選ばれない悲しみは、その人にしか分からない。だが、想像はつく。
生涯を、孤独のまま暮らすかもしれないという恐怖。
運命の相手と手を取り合うのが当たり前の世界でたったひとり生きていく孤独は、辛く悲しいことに違いないのだ。
「次の恋の種の日こそは、と毎年願いを込めて自国で過ごしてきました。けれど、6年目の今年の恋の種の日も駄目だったならと思うと、自分を知っている人だらけの自国でそれを迎えるのが怖くなってしまって。情けなくも、幼い頃に訪れたことのあるこの国に逃げてきたのです。縁があるかもしれないから、と」
その頃のことを思い出すだけで惨めな気持ちが蘇るのか、ルキウスの視線が段々と下がっていく。どこか自嘲じみた笑みを口元へ浮かべた。
「口実でしかなかったんですけれど。まさか、本当にこの国でこうしてご縁があるとは思いませんでした」
「あの。でもその……わたし、る、きうす様と、お会いしたことなんてない、なかったと、思うんです、だからその何かの間違いじゃないかと思うんですけど」
訥々と、言葉を選びながらもリリカが懸命に疑問を口にする。
恋の種で見えるようになる運命の相手は、それまでの人生で見知った相手であることがほとんどだ。
知らない相手と恋をすることができないように、知らない相手が運命の相手として浮かぶことはないとされている。
「私は、幼い頃のリリカを知っているんだ。あと……彼、タイのことも」
告げられた名前に、リリカだけでなくその父も母も、肩を竦ませ動揺した。
「でもきっと、リリカには分からないと思う。最初に謝っておく。ごめんね」
「え?」
何に対して謝罪されたのかも分からずに呆けた様子のリリカが可愛らしくて頬を弛ませる。そんなルキウスに、マグの冷たい視線が突き刺さった。
「できればリリカにだけ話したいんだけれど、ご両親にも話しておいた方がいいかもしれないから」
覚悟を決めて、ルキウスは幼い頃の思い出を話し出した。