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4.リリカとタイ

■ 



 ゴクリ


 甘い、不思議な香りが、私を包む。


 滑らかな種が喉を滑り落ちて、心の臓の、すぐ前まで来た時だった。


 胸元にやわらかな光の粒が幾つも生まれ集まっていく。

 光の粒が動くと光の尾を作り、それがまるで植物の蔓のように見える。


 ──あぁ、だから、種なんだ。


 眩しさに目を瞑り、そんなことを考えている間にも、光の蔓は(つど)い丸まり固まって、半透明の、光の像を象った。



『リリカ』


 耳元で、ずっと聞きたかった声が、聞こえた、気がして目を見開く。

 肩に置かれた手など、もうどうでも良かった。


「タイ!!」


 何年振りに、その名を口にしただろう。


 日に焼けた肌。太くてまっすぐな眉。

 その瞳は、やさしく愛しむように自身を見つめていた。


 涙で潤む、視界の先に、大好きだった笑顔があった。





 隣の家に住むタイとは同い年だった。


 パン屋の我が家に、製粉工場に勤める彼の父は、毎日、夕方になると翌日の分の小麦粉を納品しに来てくれていた。


 いつの間にか、納品に来るのは彼の仕事になって。

 それを受け取って、重量を確認するのは私の仕事になった。


 朝から晩まで一緒になって転げまわって遊び、国の政策で二年ほど前に突然始まった聖堂の勉強会でも、いつだっていい加減でふざけていることも多かったタイが、小麦粉の入った大袋を真面目な顔をして配達して回る姿とのギャップに、どきどきした。


 たまに、指先が触れ合って、慌てて引っ込めた。


 ちょっと前までは、手を繋ぐどころか飛びついたり、おんぶして貰ったって全然平気だったのに。


 早朝、仕事に向かう姿に、厨房から挨拶をした。

 それが喜びに変わったのは、何時頃のことだっただろう。


 そわそわと、窓の向こうに彼の姿を探して、視線がこちらに向くのを緊張して待った。


「おはよ。やっぱ朝早いな、パン屋は」

「おはよう。製粉工場も朝早いわね」


「お互い頑張ろう」なんて。いつもより多く言葉を交わせた日は、一日が幸せな気がした。



 ある日。


 小麦粉を受け取りサインをしたペンを、取り落としそうになった時だった。

 タイと私とで、ペンを何度も、交互に掴み損ねて、床に落とす寸前に、ふたりで捕まえた。


 両手で必死にペンを掴んで、「落として壊したら弁償させられるところだった。ありがとう」と、ホッとした様子で笑うタイが、あまりも眩しくて。


 私からペンを受け取って温かなタイの指が離れていく。硬くてごつくて。知らない男の子の指みたいで、寂しくて。


 だから。ぎゅって、握った。


 そうしたら、ぎゅって握り返してくれて。


 見上げたとろりと蕩けそうなほど甘い顔をした彼の、その瞳の中に、彼を見つめる自分を見つけた。


 あぁ。彼が、自分を見つめている。

 嬉しそうに。

 彼を見上げる、私のことを、見つめているのだと。


 嬉しかった。

 すごくすごく、嬉しかった。


 そうして、

 彼が、上擦った声で、「あの日の約束。まだ、有効だから」そう、言ってくれたのだ。



 彼の手の温度も。私の名前を甘く呼んだ声も。

 絶対に忘れない、そう誓ったのに。

 


 15の歳のその日に、一緒に恋の種を飲むのだと。

 信じていた。


 パン屋を贔屓にしてくれているお姉さん達が、嬉しそうに、その日に出会った運命の相手と、手を繋いでパンを買いに来てくれるようになったように。


 いつか、自分も。タイと一緒に、並んで買い物に行って。同じ家に帰るようになるのだと。


 信じていた。



 なのに。





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