20.ルキウスとリリカ
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「止せよせ。どうせ絡繰り仕掛けの偽物だろうよ。こんなチンケなパン屋の娘が、どうして聖獣様の国の民と知り合えるっていうんだ」
「それはそう!」
げたげたと下品に笑う、パンを買いに来た客ですらない見知らぬ男女の顔から色が抜けていく。そしてガタガタ震え出していて、笑っていても笑っていなくても下品なんだなとリリカは呆れた。
「触らせませんよ。私のこの耳が本物かどうかが、知らないアナタ方に証明する必要を感じないですしね」
店の扉を開け入って来たその人の、頭の上から視線を動かせなくなったまま、ふたりが床にへたり込んだ。
「ルキウス様。また来たんですか?」
「うん。お昼の用のパンを買いに来た」
「今朝、朝食用のパンを買いに来た時に一緒に買っていけば良かったのに」
「それじゃリリカの顔を見れるチャンスが減っちゃうじゃない」
「まったくもう。じゃあ夜のパンは、いま一緒に」
「買わないってば。また夕方に買いに来るから。できればナッツたっぷり練り込んだパンがあると嬉しいな」
「ナッツはローストしてある奴でいいのよね」
「うんそう。あのパンだいすき」
「お得意様のお口に合ってなによりです」
「リリカが売ってくれるならどんなパンでも美味しく食べるよ」
「分かった。昨日の売れ残りを積極的に売りつける先ができたわね」
「リリカ~」
気が付けば、さきほどの男女はいなくなっていた。
本当に、何も買っていかなかったなと呆れた。
「変な奴に絡まれたら、いつでも私を呼んでね、リリカ。先ほどのあいつ等程度なら、1000人くらい相手でも負けないから」
「大丈夫。リリカのことは、私が守るよ」
『大丈夫だ。リリカは俺が守る』
ルキウスの笑顔に、タイの笑顔が重なった。
「あとね、あいつ等には絶対に触らせないけど、リリカならいつでも歓迎だから。モフモフしたくなったらいつでも言って。耳でも尻尾でも触り放題」
ルキウスがピンッと指で弾くと、白銀の光が煌いた。
「せっかく見直しかけた所なのになぁ。耳や尻尾で誘惑しようだなんて」
思わず誘惑されそうになった気持ちを誤魔化すようにプイっと横を向く。
「わぁ! ごめん、許してリリカ!!」
慌てて縋ってくるルキウスに、頬が弛んだ。
***
恋の種の日、運命の相手として右肩に現れたルキウスの手を振り払った。
国へ帰っていったルキウスとは、二度と会わないと思っていたのに。
翌朝、王城から迎えが着て、王女から話を聞かされて、横に立てるような後ろ盾を用意するし、教養を身につける手伝いもすると申し出られた。
けれどリリカはパン屋の娘だ。
貴族の娘にはなれない。
だから週に一度、勉強だけは受けさせて貰うように約束した。
三回目の勉強会を終えて、勉強だけでもなんていったけど、下地のないリリカにとっては、勉強だけでも十分すぎるほど無謀な挑戦だった。疲れ切って自宅へ辿り着いた。
「おかえり。遅かったねぇ」
呑気な顔をしたルキウスに出迎えられて、息が止まった。
パクパクと口を何度も開け閉めして。けれど声にならなかったリリカに、ルキウスは明るく告げたのだ。
「リリカが知らない男の手を取れないのは当たり前だと思うんだよね。それと。私にとってリリカが運命で、特別な相手だ。それは間違いない。けれど、心から愛する人かと言われれば、ちょっと、違う。リリカもでしょう? だからさ、まずはお互いによく知り合おうよ」
はにかんだ笑顔。まるで眩しいものを見るような目をしたルキウスがリリカを優しく見つめていた。
「だから、一度国に帰って、ルマティカの王にはなれないって宣言もしてきた。リリカの傍にいたいから国に戻らない、って。それと裏の空き家を買い上げたんだ。まずは、ご近所様から始めようね」
リリカそっくりの光の像を肩にして、ルキウスが笑う。
「よろしくね、ご近所さん。いろいろこの国の常識を教えて欲しいな」
リリカには、ルキウスを知る為の勉強を王女様の下で始めたのだと、伝えることはできなかった。
***
「ふふ。でも。またひとつ、リリカが私のことを知ったね。ローストしたナッツの入ったパンが好きだって。覚えてくれて嬉しい」
不意打ちの言葉に、頬が染まる。
「うれしい。ありがとう」
やわらかく笑うルキウスの顔は、タイの笑顔と重ならない。
全然似ていない。
それでも。
いつか。リリカは、ルキウスの手を取るのかもしれない。
初めて、そんな思いが芽生えた。
お付き合いありがとうございましたー!




